身辺雑記 頭は真似できるがからだは真似できない

Posted at 05/06/21

身辺雑記

 久しぶりに日記を書き出すと、日常の動きも歯車がかみ合ってきたような気がする。今朝は朝から浴室の天井裏を開けて換気扇の状態を調べたり、玄関灯がつかないのを調べたりした。換気扇はどうも素人の手に負えそうにはないが、玄関灯は割合あっけなく点灯した。単純なことだが、家の中の不具合がひとつ解決すると嬉しい。何度もつけたり消したりして。馬鹿というか何というか。

 先週、十年来使っていた眼鏡がレンズをとめるねじが緩んでいたために、風呂上りにバスタオルで頭を拭いていたときに左目が落下し、運悪く脱衣所の縁の金属の部分に当たって粉々に砕け散った。私は視力が著しく低いのでプラスチックレンズでは極端に厚くなってしまうため、ガラスのものを使っている。しかしその眼鏡もおそらくは両眼で0.5くらいしか出なくて、免許の更新には使えないので更新のたびに新しい眼鏡を作ってはいた。仕方ないので昨年作ったのを今はかけているのだが、よく見えすぎるということと前のに比べて視野が狭いということでなかなかなじまない。そのせいかどうか、目がかなり疲れる。なるべくPCの前に座らないようにしないと、と思ってはいるのだが。

 体調の全体的な感じのアドバイスを受けたり、調正をしてもらったりするのには野口整体の操法を受けている。先日は腰の動きが鈍っているといわれたが、それは自分でも感じていて、なるべく活元運動をするようにはしているのだが、まだまだである。昨日あまり腕が変なので導引術を久しぶりに試してみたが、即効性という点では効果があることを再認識した。よくわかっていないのにちゃんぽんでやるのは良くないとは思うのだが、いろいろやってみると体の各所でいろいろな「感じ」を再認識することができて、それ自体は悪くないような気がする。自分の体というのは本当に「わからない」ものだなと思う。

 渡辺昇一が『バカの壁』について書いているのを読んだが、なるほどと思ったのは養老が本当に個性的なのは「身体」であり、「脳」は余り個性的ではない、「脳」の内容、つまり「考えること」というのは簡単に真似をすることができるからだ、という話だった。確かに考え方をまねるのは簡単だが、体の動きを真似することは難しいことだし、体の「ありよう」を真似することはなお困難である。人間の感情とか、性格といったものも身体性に由来するところが大きいわけだから、本当の個性は身体にある、という主張は説得力があるように思われた。確かにネットを見ても人の言うことをコピペした頭しか持ってないのではないか、と思われる記述を良く見かけるが、それを書いてる人の身体性はきっとそれなりに多様なのではないかと思う。

 話は脱線するばかりだが。

 一応私のサイトのポータルということでFeel in may bonesというのを製作中である。とりあえずBookstoreReviewが今のところ新しくてなおかつ増えつつあるコンテンツという感じになっている。まだまだ正式オープンというわけには行かないが、整備していきたいと思う。

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