「軍部の独走」と「昭和天皇のリーダーシップ」

Posted at 23/09/30

9月30日(土)曇り

土曜日は少し余裕があるかなと思っていたのだが、昨日少し前に進んだ案件があって少しホッとしたのか、朝起きたら5時半でここのところ3時過ぎに起きてやっていたペースでは物事が全然進まないという感じになった。と書いていて、まだ朝の入浴をしてないことに気づく。(午前10時15分)

今朝はいろいろやろうと考えていたことがあるのだがなかなか進まず、ブログも書けないままこの時間になってしまった。

福澤諭吉「帝室論」。福澤諭吉はこれから議会政治が始まるに際し、軍が一方の政党に与することの危険を語り、それゆえに

「今この軍人の心を收攬して其運動を制せんとするには、必ずしも帝室に依頼せざるを得ざるなり。帝室は遙に政治社會の外に在り。軍人は唯この帝室を目的にして運動するのみ。帝室は偏なく黨なく、政黨の孰れを捨てず又孰れをも援けず。軍人も亦これに同じ。固より今の軍人なれば陸海軍卿の命に從て進退す可きは無論なれども、卿は唯其形體を支配して其外面の進退を司るのみ。内部の精神を制して其心を收攬するの引力は、獨り帝室の中心に在て存するものと知る可し。」

と述べるのだが、これは今日の目から見ると複雑な気持ちになる。政党政治の行き過ぎを引きとどめるのは皇室である、ということを強調したいわけだし、軍もどちらかの政党に与することなく日本のため、天皇のために尽くせば問題はない、と主張しているわけである。

実際に昭和前期に起こったことは、軍部自体が「至高存在としての天皇」に対してはともかく、現実の昭和天皇を軽んじていたことは事実であって、「明治天皇ならこういうことはしなかった」みたいな帝王教育に名を借りたマウントをとって昭和天皇を沈黙させ、ついには二・二六事件を引き起こし、天皇が強くこれを非難してようやく鎮圧するということになったものの、満洲事変から始まる軍部の独走を引きとどめることはできなかった。これは彼らが現実の昭和天皇のイギリス型立憲君主志向に強い反発を持っていて、理想の天皇なら受け入れるはずだという幻想の方向に実際の軍事力を使ったわけであり、天皇と軍部の関係は幸せとは言えないものになってしまったわけで、福澤の理想とするものがなぜうまくいかなかったのかについてはちゃんと検討する必要があるように思う。

福澤自身は軍人の政治志向ということについてはちゃんと指摘しているのであるが、そこに軍事的な功名心やセクショナリズム、軍縮の復讐としての政府の軽視といったものが帝国憲法の制度内では掣肘できなかったことなど、様々な問題があるし、昭和天皇もまた制度内での行動に自重心が強すぎた、はっきりリーダーシップを取ることを宣言しなかったことなど限界があったとは思う。ただ戦いのリーダーとしての天皇というのは後醍醐天皇が最後であるし、天武天皇や桓武天皇などの僅かの例を除いてはそのリーダーシップが成功裡に終わったことはなかなかないわけで、ロールモデルがないことは昭和天皇にとって辛いことだっただろうと思う。この辺りは、玉松操により「神武創業の昔に帰る」ことを宣言した王政復古の大号令が全ての歴史をすっ飛ばして明治政府を一から作るロジックを可能にしたことの裏表で、昭和天皇の選択肢は少なかったのだろうなと思う。

とりあえず今朝はここまでで。


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