日本は非欧米諸国の先頭から少し下がって馬群の中から虎視眈々と機会を狙うべきでは/本当の少子化対策は子どもが生きていける国を作ることではないか

Posted at 23/07/16

7月16日(日)雲の多い晴れ

昨日は仕事の後駅前のスーパーで買い物をして帰り、夜は「ブラタモリ」の行田の回を見ていろいろと面白かった。古墳の話や石田三成の水攻めの話も面白かったが、「武士の街・忍(おし)」と「商人の街・行田」が一体的に発達して結局「行田市」になったというのは面白いと思った。こういうケースとしては規模は違うが「商人の街・博多」と「武士の街・福岡」の例が考えられるけど、普通は武士の街の名前が市の名前になることが多いだろうと思う。行田はそれだけ足袋製造による知名度に優っていたということなのだろう。

***

朝起きて涼しいうちにいろいろやろうと思っていたが、なんとなくネットを見ていたらキューバの話が出てきて、「貧しいけれども格差のない国」という話になっていた。

社会主義などの独裁体制はどうしても個人崇拝と権力機構による職権濫用が起こることは「ノーメンクラツーラ」などで書かれていたが、キューバはそれが少ない。カストロの巨大な肖像画とかがない国だ。

今の中国も、汚職撲滅とかやってるのはある意味そういう社会主義の先祖返りをある程度は目指している気がするのだが、習近平の個人独裁強化と個人崇拝体質、あと一番大きいのは「大国意識による帝国主義化」が「真の社会主義」には復帰できない最大要因だろうと思う。

開発独裁のアジア諸国は明治日本を一つの目標に、侵略を受け続けた中国はナショナリズムの強い国民国家を目標に国を作ってきたけど、いずれにしてももうロールモデルには乏しい状態になってきていて、まあここから真の国づくり=オリジナルモデルの国づくりが始まるんだろうなあという気はする。

日本は高度経済成長を終え、石油ショックを乗り切った時に「ジャパンアズナンバーワン」状態に上り詰めたが、その後が結局プラザ合意以降の金融敗戦、貿易協定による通商敗戦、コンピュータ開発競争の特許争いによる開発敗戦と連敗続きでどうにか「同盟国」の地位だけ許してもらって失われた30年。

国家観の行動モデルができないうちに矢継ぎ早にしてやられていったのが平成時代だったのだと思う。経済面でやられていった平成末期からは思想面の戦争になってWokeの上陸でいいようにやられているのが現状だろう。

日本は「「先に行き過ぎた」非欧米の国」になってしまい、適切なロールモデルが得られないままダッチロールを繰り返すことになったのだろうなと思う。

ただ現状を見ると、例えばフェミニズムの浸透による男女対立の激化などの「先進現象」は日本よりむしろ韓国で起こったり、そういう意味での「非欧米諸国の最先端」ではなくなりつつあるわけで、「「標的にされる非欧米諸国最先端」の弊害」みたいなものを避けやすくはなっているところはあるのではないかという気はする。

「非欧米諸国の最先端として欧米側に叩かれた」最大の出来事はもちろん第二次世界大戦なわけだが、そういう意味で「軍事的に最先端」であることは割とこりごりという感じに日本はなってて、そうならないためにいろいろ譲歩してしまったのが平成初期のさまざまな敗戦ではあるのだが、日本がとりあえずしっかりした国家ビジョンを作れないうちは馬群の中に埋もれて二番手でいくという手もありなんだろうとは思う。

中国やインドや韓国やシンガポールやドバイなど、「先進国として欧米に向き合う」という経験のないある意味無邪気な国に先を走らせておいた方が最終コーナーを回ってからは楽になりそうだ。

今は先進国から転落したロシアのリベンジマッチに世界が付き合わされているが、「元大国」の体力はやはり侮るべからざるもので、まあ資源小国と言われた日本ですら3年9ヶ月ほど米英と戦い続け、ソ連の「裏切り」とアメリカの「非人道兵器の使用」というチートが使用されるまで戦ったわけだから、ロシアもそう簡単には引っ込まないだろうなと思う。

日本はだから、生き残りのための経済・軍事・安全保障の国家戦略と、国がこれ以上変容させられないような「思想的な戦略」みたいなものをもっとしっかり構築していく必要はあるんだろうなと思う。

安全保障面とかの話の時は親欧米派の保守は声高なのだが、woke、フェミニズムやLGBTの跋扈状態という問題に関してはだいたい沈黙しているのは、何を守りたいのかというところの問題なんだろうなとは思うが、本当はもっと文化的な核になるようなものが再生していくと良いのだがとは思う。

***

少子化問題についても、女性が産みやすくするという視点ばかり語られて来たけど、むしろ「生まれた子供を死なさない」ということを重視すべきではと思うようになった。

ちょっと箇条書き的になるが、離婚後の実親・継親に対する虐待防止のために親権を共同にすること、それからいじめの徹底防止。子どもが生き延びられる環境を最優先すること。

虐待を行う保育士や教員の徹底処罰、子ども同士のいじめを見逃した教員の左遷、いじめを確認したら即座にいじめた側を隔離ないし転校させる、など。そこには強権の付与も必要かもしれない。教室に監視カメラなど動かぬ証拠を掴めるようにするなど。体育館裏などにも。

本来やればできることをやってこなかったことをちゃんとやれば子供はずっと育ちやすくなる。

あとは児童労働の禁止、ヤングケアラーが出た場合の行政の強制的な介入など。

徹底して子どもを守る政策を打つことが少子化に歯止めをかけるのではないかと思う。今の政策は結局は「女性の保護」を主張する勢力との妥協の産物に過ぎず、子どもに焦点が当たっていない。その中途半端さが子どもの明るい未来を見えなくさせ、親になる人たちの希望を見失わせているのだと思う。

「この国が子どもが明るい希望を持って生きている国だ」と親になる人たちに思わせることができたら、子どもはもっと生まれてくるのではないかと思う。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday