ジャンプコミックス/アイデンティティ戦争の時代

Posted at 23/07/05

7月5日(水)曇り

昨日は午前中、労働保険関係の提出書類を作っていて、例年そんなに時間がかからないからすぐできるだろうと思って手をつけたら昨年は途中で雇用保険の保険料率が変わっていてその分書類が煩雑になっていて、30分くらいでできるだろうと思ったのに結局2時間近くかかって午前中がほとんど潰れてしまった。とりわず終わらせてクリーニングを出して取ってきて、銀行で支払い手続きをし、それからツタヤに行って昨日発売のジャンプコミックスを買ってきた。自分としては抑えたつもりなのだがそれでも9冊(朝コンビニで買ったワンピース106巻を入れれば10冊)も買うことになり、金銭的にもアレだが本棚的にも相変わらずやばいなと思っている。買ったのは

OnePiece 106巻
呪術廻戦 23巻
アンデッドアンラック 17巻
正反対の君と僕 4巻
幼稚園WARS 4巻
不治の病は不死の病 3巻
バンオウ 1・2巻
氷の城壁 1・2巻

このうち、氷の城壁はLINEマンガとコミックシーモアで縦読み版を全部読んではいたのだが、紙版が出るということで買ってみた。いろいろ感想はあるのだが、また考えてから書きたい。

***

「ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか」の第1章、「ロシア・ウクライナ戦争はなぜ始まったのか 高橋杉雄」を読んだ。そんなに新しい観点という感じでもないが、国際政治学の専門用語で言うとこういう感じなのか、という受け取り方だったかなと思う。

冷戦終結後、アメリカおよび西欧諸国はロシアを「ヨーロッパの一部」として取り込んでいく方向で接していたという。これは私もその方向性はあるかなと思っていた、というかロシアはピョートル大帝以降、ロシア派と西欧派のせめぎ合いが続いている国だから、共産主義という一つのグローバリズムを採用しつつロシアの独自性というものを守る、みたいなスターリン路線が破綻した後、ロシアアイデンティティに回帰するか日本などと同じようにある程度のアイデンティティを保持しながらグローバルなアメリカ一極支配体制に乗るのか、まあ後者の可能性もあるかなくらいには思っていた。

ただ、そうはならない、というのを911の時点で言っていたのが小林よしのり氏で、「21世紀はアイデンティティ戦争の時代だ」ということをその時点ですでに言っていた。これはイスラムについてはその可能性はあるが、他はどうだろうという感じがあったのだが、その後思いがけずロシアが石油生産で復活し、中国が経済成長を遂げて中露もまた超大国として復活してきたことによって、「アイデンティティウォーズ」の可能性が急激に高まってきたことは事実だなと思う。

この論でもロシアの復活により、プーチンは「西欧の一員となる=バンドワゴン」よりも「旧ソ連圏の復活=バランシング」を選択し、中国の超大国化によって中国とバンドワゴンする形で米欧と対決することになった。「旧ソ連圏の復活」という言い方が最も妥当なのかはよくわからない、というかプーチンはソ連という言い方よりも「ロシア帝国の復活」みたいな言い方の方を好む感じがするが、いずれにしても「ウクライナがロシアの一部であること」はどちらの発想からしてもアイデンティティのかなり根幹にあるだろうとは思う。

一方こうしたロシアの動きを抑えられるのはアメリカだけだったが、アメリカは「大国間競争の時代」になって主敵を中国(つまり主戦場は東アジア)と定めていたため、ロシアやヨーロッパに対して2014年のクリミア併合以降も決定的な行動を取ることを避けてしまっていた。また、ロシアにおいて「インテリジェンスの政治化」つまり政治の望む形で情報機関が情報を上げるという現象が起きてしまっていて(イラク戦争の際、アメリカの情報機関がイラクが核放棄していないという誤った情報を上層部に上げてしまったのと同様)、ウクライナは瞬時に制圧できると誤った軍事判断に繋がり、また2021年の演習において20万の兵力を集結していたため今しかないということになって2022年2月に侵攻を始めたのではないか、としている。

これらは一つ一つ、報道でも言われていたことだが、専門用語で言うとこう言う感じになるのか、とは思った。

ただ、最も重要なことは、この戦いが「アイデンティティの戦い」であると言うことで、つまりロシアにしてもウクライナにしても引くに引けない戦いである、と言うことで、つまりは長期化せざるを得ないだろう、ということだろうと思う。プーチンはロシアのあるべき姿はウクライナをその一部とする形であるというアイデンティティに基づく主張があり、ウクライナは自らをロシアの一部ではなくヨーロッパの一部であるとする国是と国民統合が2014年以来の戦争の中で強固に成立していった。

そしてこれはロシアのみの話ではなく、中国もまた自らの「帝国」としてのアイデンティティ復活を企図している(と思われる)し、インドなどいわゆるグローバルサウスの国々も米欧中心のグローバル化に対する異議申し立ての形で陰に陽にロシアを支持する姿勢を示している。

また、あまり重視されていないけれども、要は行き過ぎたポリコレやフェミニズム、LGBT運動も含めた「自由で民主主義的な世界」と言うのも要は米欧のアイデンティティなわけで、日本はどちらかというと割と安直にそちらに乗っかっているわけだ。

まあ現在の情勢では日本は中国とバランシングし、アメリカにバンドワゴンするのは間違った選択とは言えないが、それは逆に言えば明治以来の先人たちが西欧の文物の日本語化・日本化をやってきてくれているからこそ「ま、今は自由と民主主義でいいんじゃない?」くらいのノリで受け入れることが可能になっていると言うことはあるだろう。

中国やロシアにバンドワゴンすべきと言う勢力もなくはないが微小だし、日本独自のアイデンティティをもっと強めるべき、と言う主張も、私自身はそう思うけれどもなかなか強くはならないのは、まあこう言う状況があるからだろうとは思う。

「ポスト冷戦」と言う時代を一言で言えば「自由と民主主義の勝利・唯一の超大国としてのアメリカ」と言う時代だったが、ユーゴ内戦などを含めすでに「アイデンティティの戦い」の萌芽はあった。と言うか共産主義と自由主義というイデオロギーが世界を規律していたため、ある意味世界がわかりやすく見えていた、ということなのだろうと思う。

多文化主義というのは結局こうした「アイデンティティの戦い」を避けられないのだと思うが、西欧は「自由と民主主義をベースにしたマルチカルチャーは可能だ」という立場なわけで、現在はそれが可能だと思うのが左翼リベラル、無理じゃね?と思うのが保守ないしは右派、という感じになるのだろうと思う。

日本は割と妥協とか折衷とかが上手な文化的伝統があるのである程度はそこは信頼したい感じはあるが、ただ最近は右派も左派も余裕がなく相手の言うことに耳を塞いでいる感じがあるのがあまりいい感じはしないなとは思う。

「大国間競争の時代」と言う言い方には「イデオロギー」も「アイデンティティ」も出てこない。国際政治学には「リアリズム学派」というのがあり、これは国際社会をアナーキーと捉える、つまり国家の上位存在は「ない」ので国際平和は「パワー配分・パワーバランス」によって保たれると捉える考え方なのだそうだ。つまりは勢力均衡論ということになるかと思うが、国連などの国際機関や理念的な国際法体系の存在をあまり強くは考えないということだろうか。現在のロシアの行状を見ていると国際法も戦争犯罪もへったくれもないという感じの戦い方なので、少なくともこの戦争に関する分析としてはこの方向性はマッチしているのかもしれない。

まあそういう見方は見方として持って置く必要はあると思うけれども、いくつかの視点を持って様々な角度から現状を考えていきたいと思う。


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