ガチャとしての日本音楽/日本がこれから変化していくであろう方向/「クオリア」とか「気」とか:「あるのでもないのでもないもの」

Posted at 23/06/26

6月26日(月)曇り

昨日は昔の職場のひとたちとおそらく10年以上ぶりに飲んでいろいろ話をした。普段は自分が最年少になる集まりとかに出ることはほとんどないので、今思い出しても「生意気な若者」みたいな話し方になってしまって数十年前の自分ってこんなものだったよなと思ったり。ただその当時はいろいろ遠慮のようなこともあったし、今はもうそういうことも考えなくていいから、少しいい気になってしゃべりすぎたなと昨夜は寝る前に反省した。

今朝ネットでいろいろ記事を見てたらGachaPopという話題があって、これはSpotifyの公式プレイリストの新しいものとして5月30日に突然現れたものという話なのだが、つまりはJ-Popの新しい呼び名というか、何が出るかわからない「ガチャ」みたいなものとしての日本の音楽の面白さみたいなものを指している、という話をYouTubeのポッドキャストで聞いて、面白いなと思った。

https://www.youtube.com/watch?v=m9fxmL9KjTE

私は動画は苦手なのだが、こういう音声だと他のことをしながら聞けるので、話題も面白いなと思いながら聞いていたのだけど、特に音楽に関しては自分が新しいものを追い求めなくなってからかなり長いので、ときどき流行っているものを聞くことで「こんな感じ?」みたいな感じで聞いているのだけど、音楽そのものだけでなくこういう音楽に対する「語り」みたいなものも聞いておかないと今なぜこういう音楽なのか、みたいなことは見えてこないんだなと思ったりした。

わたしにも明らかに聞きたい音楽とそうでない音楽、これはいろいろな意味での自分のコンディションによっても違うのだけど、があるので何が出てくるのかはガチャ、というのは「感性の瞬発力」みたいなのが必要だからそんなに得意ではないのだけど、「こういうジャンル」みたいなものに閉じ込められない良さというものが日本のポップスにあることは確かだなと思うので、そういう意味では面白いと思った。

出来れば自分のメンタルも含めて、こういう新しいものに即座に反応できるような心身的な健康性みたいなものを持っておきたいなと思うのだけど、そういう意味ではなかなか世の中に対する「追っかけ」は大変だなと思う。

昨日年配の方々と話をしていて、自分が一番若いということもあり、話は今のネットでの考え方のある種のメインストリームみたいな話では余裕をもって話せていたけど、逆にだからこそつい調子に乗っていろいろ話してしまったなと思う。

しかし、こういう音楽のこととかの話を聞いていると、だいたいは私が「へええ、そうなんだ」と思うことばかりで、まあ古い時代のことでも専門外のことはなるほどなあ、とかそうなんだなあと思いながらでもこれはどう評価すべきなんだろうなみたいなことを考える、というか考えられるわけだけど、こういう新しいことに対しては自分自身の評価基準みたいなものがまだできてなくて、だからより純粋に「面白いな」とおもうか「どうなのそれ」と思うか、ということが先に立つけれども、評価以前に知らないことが語られているとまずは学ばないと、ということになる。

まあ年配の人間に対して新しいことを学んでもらっても若い人にとってどれだけメリットがあるかと言えば分らないのだけど、少なくとも自分にとっては時代の流れに少しでもキャッチアップしていくことそれ自体は生きているという実感につながるのでよいという部分はある。

ただもちろんそれがよい方向へ行ってるのか否か、みたいなことはあるわけで、最近出てきて勢いを得ている新しい考え方みたいなものに対して自分なりの考え方、評価基準を持つのにはそれなりに時間がかかってしまう。

70-80年代の大平・鈴木・中曽根内閣期に日本にも入ってきて90年代の橋本行革などによりある程度進展し、0年代の小泉政権によって本格化した新自由主義政策にしても、最初は「頑張った者が報われる仕組み」みたいな話で支持をされていったけど日本が全然豊かにならないからおかしいなと思っていて、2010年代の半ばだろうか、その本格的な批判を読むことでようやく「新自由主義は間違っている」という自分の考えが出来たのだけど、これなどは自分の中で評価ができるのに数十年かかっているわけで、今現実に起きている現象に対しては感覚的な評価が自分の中では主なのだけど、ただ自分の感覚というかアンテナというか情報キャッチの網みたいなものによってとらえられないようなことが増えてる感じはする。

我々が若いころは文系学問が花形でいわゆるニューアカデミズムみたいなものが注目されていたわけだけど、21世紀になると若い起業家たちが花形になり、ここ10数年の傾向では就職にしても理系の方がメインになってきていて、優秀な若者は理系に行ってそこで就職を目指すというのが強くなり、文系でもコンサル的な就職が若者のターゲットになってきていて、そういうトレンドみたいなものが社会全体に影響を与えていくのだよなと思う。

簡単に言えば、われわれの若いころはまだ旧来的な意味での社会の貧しさみたいなものは残っていて、それを是正するために累進課税制度や福祉への支出などは当然必要なこと、というふうに考えられていた。今は新自由主義が強くなって福祉に風当たりが強くなっているが、今後は社会の動かし方についても理系的な考え方、ソーシャルエンジニアリングとでもいうのか、そういうことが強くなっていくのかなという気もするし、文系でも現場で頑張る人よりコンサル的に提案だけしていく人たちが成果を持っていく時代になる可能性はあるなと思う。いや実情は知らないから何とも言えないしもうなっているのかもしれないのだけど。

自分は自分より年配の人たちと話をしていれば自分が一番今の世の中に近い感覚を持っているという感じがしてつい生意気なことを言ってしまうのだけど、自分の下の世代、甥たちと話をしていると相手が未熟だからなのかこちらが知らない世界や未来が見えているからなのかはわからないけれども、何を言っているのかよくわからない、と感じることがままある。もし自分が社会の動きについていけてないだけなら、そこは何とかしたいとは思う。

こうした社会の大きな変化をとらえるためには自分の専門分野だけでなく、ある程度の世の中の森羅万象を知らないといけないわけで、私もまあ及ばずながらそういうものもとらえて行きたいと思っているわけである。

***

「神様と神はどう違うのか?」第6章「神と世界」読了。面白いのだがまあ哲学史的なことからのアプローチがあり、神についてスピノザの汎神論、神はあまねく存在していて我々=世界も神の一部であるみたいな感じの考え方や、トマス・アクィナスの「神以外のもの=世界」は神の「認識の対象」である、という考え方、認識論的な神についての議論、みたいな話が出てきていて、つまり「私」の根源にいるΩに現れるクオリアは「外界の刺激に基づいて現れる」ものでもあり、「Ωが認識することによって現れる」ものでもあるから、「あるのでも ないのでも ないもの」ということになる、という話が面白いと思った。

つまりクオリアというのはいわば実体はないものであり、そういう意味で「存在」はしないが、Ωの中に立ち現れるという意味では「非存在」もしないものである、ということだろう。

これはつまり、よくあることで言えば意識の中に「思いつき=アイデア」が生まれるけれども、それを記述したり発言したりする前に忘れてしまえば(よくある)、それは「存在した」のか、「存在しなかった」のか、ということとかに通じるのだろうと思う。

クオリアはあるのでもないのでもないものだからそれをあるものに結びつけるためには主体=Ωの主体的・積極的な関与が必要なわけだし、いわゆる「雑念」のように必要ない(と主体に判断される)「思考や印象=クオリア」が主体の行動を妨害したりする程度には「非存在」ではないわけである。このあたりは考えだすと面白い。

また「意識」とか「クオリア」がどこに存在するかというと脳に存在すると思われがちだが、たとえば「足が重い感じ」というのはこれも当然クオリアなのだけど脳に存在するといわれると「そうかな」と思うわけである。「心はどこにある?」と言われてきゅんとすると胸が痛いから胸にある、みたいに思ったり、まあつまりはどこにあるともいえないが、人間の物理的延長と割と近いところにあるのではないか、みたいにしか言えないのだろうなと思う。

こういうふうに考えてみると、東洋医学的にあるものと考えられている「気」というものも、ある種のクオリアなのではないかという気がする。気は生命体にしか存在しないので、「気を感じる・気に動かされる」のは生命体だけであり、「気を入れる・気を引き締める」ことができるのも生命体だけである。気も物理量としては測定できないが確かにあるなと整体に通っている自分としては思うので、「あるのでも ないのでも ないもの」だなと思う。

まあこれは哲学の本なので東洋医学との関連に関してはまた考えなければいけないが、ちょっとそういうことも思った。

神はすべてのもの=世界に対して認識を持ち、すべてのものに影響を与える力がある。これは人間の主体=Ωのクオリアに対するあり方に似ているということから、神と世界の結びつきの一つの側面が認識である、という考え方は納得できるなとは思った。

今日はこんなところで。

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