「2.5次元の誘惑」第138話「何者」を読んだ:やりたくてやっている人と何者かになりたくてやっている人/作品に必要な批評とエンタメに必要な感想、それらを支える「解釈」

Posted at 23/05/27

5月27日(土)晴れ

ジャンププラスで「2.5次元の誘惑(リリサ)」第138話「何者」を読んだ。ほぼ1ヶ月ぶりの本編の更新で、長い間楽しみにしていた人は多かったのだと思うが、明るい展開になるという当初の予想は全く裏切られ、いきなりハードモード全開の展開に、すぐには受け入れられず戸惑っている感じが感想コメント欄やTwitterでの感想などにぽつぽつと現れていて、ああそう思ったのは自分だけではなかったのだなと思ったのだが、いろいろ考えながら他の人の感想など読んでいるうちに、ここはまあ読者として受け止めなければならない展開なんだなと腹が据わってきた感じがある。といえば大袈裟なんだけれども。

https://shonenjumpplus.com/episode/4856001361266868108

これから書くことは上の回の連載だけではなくて、この作品をずっと追いかけてきている人でないと通じない部分が多い、というかマンガの感想などというものは全てそうなのだけど、ただ一応普遍的なこともあるのではないかと思う。ただ恐らくは読みづらい部分があるとは思うので、その辺一応お断りした上で。

一番最初の感想は、やはりいきなりハードモードの突入したことへの戸惑い、ということで、次に思ったのは、エリカのユキへの誘いの言葉、「私の作品になってくれない?」というのは「残酷な言葉」だな、ということだった。作品へのこだわり、自分が「何者」かになるために必死で足掻いてきたユキに対して、「私の作品」になってくれ、というのはハードな申し出だな、と思ったのである。

しかし、感想をいろいろ読んでいると、ユキはエリカに救われた、と思ってる人が多くて少しびっくりした。もちろん、そういう部分はないとはいえないけどそこから自分の世界でなくエリカの世界を生きることになってしまったわけで、それはそれで楽しかっただろうとは思うけど、そうであればあるだけエリカの凄さと自分が自分の世界を作れてないことの辛さが明らかになって来てしまう。

「モデルとして生きる」は一つの生き方で、実際みかりはそのように生きているわけだけど、ユキは「アートをやりたい」のであって「アートになりたい」わけではない。「アートになりたい」モデルたちもたくさんいる中で、自分の生き方に中途半端さを感じて、一度エリカを離れたい、と思ったのではないかと思う。

それにしてもガンとして口を割らないエリカがリリサのために自分の苦しい過去を告白し、自分のようになるな、他人の世界を生きるなと言うのはなんと言うか熱い展開だ。少年マンガはこうで無くっちゃと言う感じなのだが、ヒロインレースとして読んでる人には何が何だかわからない話が複雑になって来たなと言う感じはするだろうなと思う。

エリカがエリカの側から見たコスプレや淡雪エリカ像、コスプレ作品を作る側の気構えを語り、ユキがコスプレを「する」ないし「させられる」側の気持ちを語る。ただアイデア豊富なリリサと何者かになりたいと足掻いて来たけどまだ自分が人の作品でしかないと思ってるユキとは違う。この辺、この話がどこに着地するのか見えないところがあって、まだ先がわからない。と言うか、今回の展開は前回のラストからは想像もつかない展開になってて、思いがけないハードモードで頭と心がついていけない感じがあった。

こうやって書いているうちに「意味」は見えて来たけどみかりはどうなる?リリサはどうなる?エリカとユキの関係は?リリサが「ただ一人の先輩」との関係が「ただの後輩の一人」と言う思いから抜け出せるのか?と言うとても多層なテーマがどのように着地していくのか、どんどん話が大きくなったまま放り出されていて、読んだばかりなのに続きを読みたい。

でも逆にいえば大きないろいろ絡み合った話だからこそ小さく区切られることでこんなふうに考えられるのかもしれない。私が「にごリリ」を読み始めたのは冬コミのあたりから断続的に読んでこれは面白いと思って最初から読んだのだけど、一気読みは面白いのだけどやや消化不良の部分も残って、何度も読み直している。特にジャンプラの各回の感想はとても参考になる。2週に一度の連載のペースが多分この作品を消化していくには良いペースなんだろうなと言う気はした。

エリカさんはいい人なのだけど、天才の意識せざる傲慢さみたいなのが周りを引っ掻き回してしまうタイプなんだよなと読んでいて思った。でもそのスパルタについて来てる奥村とリリサも凄い。何がどうなるかまだ見えないけど読者は二人の未来を信じるしかない、みたいな。どう言う未来を描いてくれるかはまだわからないわけだけど。

今月の「ブルーピリオド」を読んでも思ったが、アーティストであると言うことは大変なこと、と言うかむしろ業のようなものかもしれないと思わされる。

ユキがリリサに言う、「他人の世界を生きるな」って本当は言うほど簡単なことではない。ツイッターにわらわら湧いてくるエピゴーネンもそうだけど、人は他人の「思い」に囚われたり縛られたりもする。大事な人の思いなら尚更である。

だからと言って暴走した例が「日本画」の発表で自分がコスプレしたものを作品として提出した例として示されているが、例えば今日ニュースにあった「これが自分だ」と思って全ての商業看板を青に塗りつぶして逮捕されたりするのもまた、そうだろう。こう言うのはバンクシーや路上アートなどと紙一重のところがあるから難しくはあるのだけど。

アートや学問というものは、「やりたくてやっている人」と「何者かになりたくてやっている人」の両方がいる。後者は割とハードモードだと思う。「これを知るものはこれを好む者にしかず。これを好むものはこれを楽しむ者にしかず。」と孔子がすでに言っているのだけど、他の目的のために取り組んでいる人は、それをやりたくてそれ自体が楽しくてやっている人には及ぶことはできない、と言う残酷さはある。

「何者かになる」ことを目指すにしても、例えば「麻原彰晃」になるよりは何者でもない人の方がマシだと思うけれども、そうでもない人たちが東京新聞の記者になったり猟友会に入る気もないのに猟銃の許可を取ったりする、と言うことも世の中にはあるのだろうと思う。そこに社会への迷惑や悲劇の芽が含まれていても、止めることはできない。

私などは「やりたいことしかやれない」のに、それにすぐ飽きてしまうという最悪のパターンで、それで才能があったら「万能の天才」なのだがそうでないと「器用貧乏」でしかない、と言うことになる。こなせてればまだいいのだけど。「何者かになりたい」と言うことは考えたことがあったけれども、これはつまりはある種の競争に勝つと言うことなので、私のような飽きっぽい性格だとそこまで執念を燃やすのは難しい。食べていくために身につけたスキルというのは結局人に何かを教えることとこうやって文章を書くことくらいなのだけど、これらは元々好きだからできたことで、なかなかどちらもそううまくは行っていない。

再度中身の話に戻ると、リリサは本音として、先輩=奥村のことが好きだ、というのがある。そしてそれが自分のコスプレへの思いと合体してしまっていて、うまく整理ができない。奥村への想いは今まで上手に隠して来たけど、もう隠せなくなった。コスプレへの想いが自動的に奥村への想いに回収されてしまう悪循環。いや、悪循環というにはあまりにも美しいのだが。

もう一つ、コメント欄などをみていて思ったことなのだけど、マンガは作品=アートでもあると同時にエンタメでもあるから、「作品」には「批評」が必要なんだけど「エンタメ」に必要なのは「感想」なのだよな、ということ。

アート論や作品論が展開するからそれを期待する人はジャンプラの感想コメにエンタメとして読んでる人たちのヒロインレース的な感想が並ぶのを嫌がるコメをよく見るのだけど、「にごリリ」という作品にとってはどちらも大事なコメントなのだと思う。

リリサ自身が作品を作りたいという想い、アート的な感情を強く持っていると同時に、奥村を自分のものにしたい、自分だけのものにしたいと言う強い感情を持っていて、(その恋愛感情というのはエンタメの王道なのであって、)その強さが今のみんなの関係性を壊すものだということに気がついて恐れている。みかりの奥村に対する感情の強さも知っていて、奥村にふさわしい人は自分ではないという半ばコンプレックスのようなものも持っている。読者から見るとリリエルオタクとしての息の合いぶりは他にないものがあるのだが、視野が狭くなっているから見えなくなっているのだろう。

コスプレへの想いは奥村に出会う前から強かったのだけど、奥村に出会ったことで夢が実現する方向へ大きく走り出し、また奥村の人間性に触れて強く惹かれるようになったわけで、ただその思いと向き合ってこなかったからコスプレへの想いと奥村への想いが整理できずにパニクっているということだろう。

書いていて思ったが、私が今書いてるのは批評でも感想でもなく「解釈」だなと思う。解釈の仕様は他にもあるだろうし、そこで「解釈違い」が発生する。私が書いてる解釈はたくさんあり得る解釈の一つなのだが、まあこれを元に自分は感想や批評を持つわけで、解釈はどちらにとっても重要だなと思った。

まあだから私の解釈に基けば次の展開はリリサが奥村への想いとコスプレへの想いをどう整理するかという話になるわけだけど、多分これはユキ自身のコスプレないしアートへの想いとエリカへの想いの葛藤とシンクロした問題なのだよな。ユキは自分のアートへの想いのために、エリカとの関係を切ろうとしているのだと思うので、おそらくリリサに対しても奥村への想いを切るような方向でアドバイスしてくるような気がする。

でもリリサにとってはどちらも大事なものなので、それはできない。「天乃リリサは欲張りなんだ⭐︎てへっ」と推しの子パターンで言い切れる強さがあったら苦労しないが、その辺は多分、奥村への想いとコスプレへの想いをどこでバランスを取るか、みたいなところで落ち着くような気がする。そうなるとユキも切り捨てることでなんとかしようとして来た自分を振り返って、エリカとの関係を見直して修復する、という方向に行くこともあるような気はする。

まあ先読みの先読みの先読みで、40手先くらいまで読んでしまったが、私は藤井翔太ではないので読みの外れてるところも多いとは思うのだよな。ただこれは進撃の巨人を読んでた頃からそうなのだが、どうしても深掘りしてしまってその先の展開を読む癖がついている。まあ連載マンガの楽しみ方の一つの王道ではあるだろうと思うのだが、こういう予想を遥かに斜めに超える展開を作者という人たちはやってくるので、常にやられっぱなしなことが多い。まあ時々当たって溜飲が下がることもあるのだが、藤井翔太も時には負けるのである。

だからまあ、リリサは二つの想いを二つとも、また漫研への思いも含めて、多分これは結果的にうまくいくという形になる気がするけど、二つとも叶えるための気持ちの持ち方を見つけると思うのだが、それがなんだかはまだ見当がつかない。

というわけで朝から6時間くらい「にごリリ」のことを考えてしまったが、自分の中でいろいろ考えが進んで面白かった。こういうことだけ書いて生きて行けたらいいのだが、あいにくそういう職業はないので現実にも復帰しないといけない。

ただまあ「2.5次元の誘惑(リリサ)」は、そういうふうにハマるのにふさわしいようないい作品だなと思っている。

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