昭和の話のような「スティグマ」を読んだ/神道は宗教か

Posted at 23/04/03

4月3日(月)晴れ

世の中的には今日から新年度、と言う感じだろうか。妹たちや姪っ子たちが来ていたのだけど、今日から新社会人と言うことで、母からお祝いを渡してもらった。当地ももう桜が満開に近くなっていて、昨夜はお城のライトアップもされていて、人出も結構あったようだ。例年に比べると結構速くなっている。2月までは結構寒い冬だと思っていたけど3月は暖かい日が多くなったからだろうか。

昨日はオリジナル連載の「スティグマ」を読んでいた。この作品は、無実の罪で服役した元ヤクザの男とそれに恋した「あやかし」の女、と言う組み合わせで、二人が男の無実の罪を晴らそうと謎に挑んでいく、と言う展開になっている。1・2巻はKindleで、3巻以降は紙の本で読んだのだが、「あやかし」であることがバレたくない一途な女と、服役後誰にも雇ってもらえず自分の甲斐性のなさを恥ずかしく思う不器用な男のすれ違いと心の通い合いみたいなものがいい感じで、実際のところめちゃくちゃ昭和っぽい話なのだが、ものすごい逆境の中にいた二人がだんだん理解者を得ていく、その中ではもちろん危ないこともあるのだが、最後に晴れて結ばれるところがある種の夢物語な感じはするのだが、そこまで含めて昭和っぽくてよかった。

***

「国家神道」は教部省のあたりのところまで読んだのだが、読めば読むほど「神道」と言うものがなんなのか、つかみどころがなくなってくる感じがあって少し読むのを休憩することにした。

神道は仏教や儒教、陰陽道などの渡来系の宗教や思想に影響されて自己形成をしていったわけだけど、江戸時代には国学の影響のもとに、それらの影響を排して「もともとあった神の道=惟神(かんながら)の道」を復興することを目指し、復古=平田神道が形成されていったわけだけど、それらの教えを奉じる人々が明治維新の一つの原動力になり、王政復古を成し遂げ、また仏教を排除する思想が肯定されたために廃仏毀釈運動が起こるなど、神道の影響力は頂点に達した。

しかし明治政府はこうした神道側の暴走はそれはそれとして危険視したわけで、新たな国教=大教として浸透を公認したものの様々な流派がある中で神道は統一的な教義を打ち出せず、また民衆の教化力において布教に力を入れてきた浄土真宗や、檀家を説法などで醇化していたその他の仏教に比べて圧倒的に弱かったし、また神道教義の普及によって叢生した民間信仰、天理教や黒住教などに比べてもその教化力は劣っていた。

結局のところ教部省では国家が民衆に浸透させたいイデオロギー、「日本は天皇を中心とした神の国」であると言うことと人倫の安定、そして文明開化=近代化=西欧化によって普及が懸念されたキリスト教に対抗するために神道だけでなく浄土真宗などの仏教側や民間信仰まで動員して「大教」の普及を図ったわけだが、もともと開明派の官僚からは今更の国教創設など無意味だと言う意見も強く、学校教育を普及させると言う方向性の文部省に比べて期待も弱くて、文部省の予算が133万円だったのに対して教部省はわずか7万円だったと言うのも一体何をやりたかったのかと言う感じはした。

最も大きいなと思ったのは、神道側の内部で祭神論争が起こったこと。教部省廃止後社寺は内務省社寺局に移管され、大教院の後継機関である神道事務局が日比谷に神宮遥拝所を設けることになったとき、その祭神として造化三神=天之御中主神・高皇産霊神・神産霊神と天照大神に加えて復古神道で幽明界の神とされた「大国主命」を祀るかどうかの大論争となったわけである。これは神宮=伊勢神道と出雲大社=出雲系の神道だけでなく幕末に力を持った復古神道との対立というややこしい事態を生み、当事者同士では決着がつかず、結局明治天皇の勅裁によって明治14年2月に神宮遥拝所に祀るのは天神のみ、すなわち大国主は祀らないと決定した。これは皇室神道の主宰である皇室の立場からすればそうなるしかないと思われるが、要は国津神系の出雲神道だけでなくそれを取り込んだ平田神道=復古神道も否定することになり、もっともいわゆる宗教に近い形であった平田神道がそれ以上の発展の可能性を失った、つまりは神道自体が宗教として発展する可能性を失ったという評価は、なるほどそういうことなのかと思った。

明治14年という年はいわゆる明治14年の政変で大隈重信が政府から追放されて伊藤博文を中心とした薩長藩閥体制が確立するとともに国会開設詔が出されて自由民権運動に火がつく年でもあり、また大蔵卿に松方正義が就任していわゆる松方デフレが始まった年でもあり、かなりの激動の年でもあったわけだけど、浸透や思想政策においても大きな転換点となった年なのだなと改めて思った。

神道は今でもそうだと思う(少なくとも私の認識では)が、布教ということをしない。神道全般を包括する体系的な聖典があるわけでもなく、本来歴史書である古事記や日本書紀が聖典とされている。だから自分は神道の信仰者である、と自覚を持っている人は少ないだろうし、氏神や産土神でない神に帰依していると考えている人もどちらかというと特殊だろう。

そういう意味では神道は少なくとも組織宗教とは言えないわけだが、一方で日本人は無宗教とは言っても無神論というほと神という存在を否定しているわけでもない。既存宗教系でないいわゆるスピリチュアルな思想はキリスト教が強い英米でも盛んであるけれども、日本でも様々な方面からスピリチュアルな思想は唱えられていて、なんとなくそれを信じたりする人は少なくない。仏教やキリスト教などの既存宗教の側からはその危険性も主張されているが、日本に普通にある神社神道の側が積極的にそういう需要に応えるという感じもなく、御朱印などのブームが起こってもそれを機会に神への信仰を深めましょう、みたいなムーブにはならない。仏教の参禅などの修行に対して、神道だと滝行とか禊とかになるがどちらかというとそれは山伏方面のイメージである。

一方で神社の祭礼というのは今も盛んなわけで、諏訪大社の御柱や京都の祇園祭、岸和田のだんじりなど神道がらみの祭礼は今でも盛んであり、定例の神事もある程度の規模の神社では規則正しく行われている。

こうしたある意味参加型の信仰というのは恐らくは古い時代の宗教の原型みたいなものなのだと思うが、内面の「人間とは何か」みたいなある種の近代人に届くような実存的懐疑にはなかなか届かない。そういう面では仏教やキリスト教などの理論構築には全く達していないわけで、それが日本型信仰のある種の形とでも考えるしかないのかなという気はしなくはない。

これは神道を「祭祀」、仏教・キリスト教・教派神道は「宗教」と分離するという政策がポイントになったということのようだ。この辺のロジックはまだよく納得しきれていないのだが、実際問題として「津地鎮祭訴訟」の結論のように、地鎮祭は「社会の一般的慣習に従った儀礼を行うという専ら世俗的なもの」ということと判断され、他の宗教のような「宗教性」は薄いということになったことからもわかるが、「神道は(少なくとも普通の)宗教ではない」という考えになってると考えていいのだろうと思う。

「国家神道」は江戸時代までの内容はとても勉強になった感はあったが、平田神道以降の記述は客観性がやや失われて「敵としての国家神道」を描くことに注力している感があり、きちんとした知識をもともと持っていれば違ったとは思うが、保守思想の源流としての神道を学び直そうという動機の自分にとっては少し辛いものがあった。昨日の夕方に岡谷の書店まで出かけて本を色々見て、「日本神道史」を立ち読みし、より客観的な記述になっていたので、まずこちらから読んでみようと思った。とりあえず、入手してからそちらの方を読むことにして、とりあえず「国家神道」の方はお休みすることにした。

この問題は割と難しい側面が多いなと改めて思ったが、とりあえず少しアプローチを変えて保守の問題を考えていきたいと思う。

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