「ガクサン」:学習参考書にかける「縁の下の力持ち」の情熱を描いたマンガ/「廃仏毀釈」:近代の始まりの宗教クーデターと仏教の強かさ

Posted at 23/04/01

4月1日(土)晴れ

今日から多くのところで新年度。こちらは少し冷え込んで、最低気温は2.5度。それでも桜がもう咲き始めていて、ここ数日は盛んにくしゃみが出る。花粉症は30年くらい前に結構盛んだった時期があるのだが最近は良かったのだけど、よく眠れてないなどの理由でそういうのもぶり返しているのかなという気はする。ちゃんと休みたいものである。


 

少し参考書というものについて考えようと思ってDモーニング連載の「ガクサン」を1−4巻買ってみて読んでいるのだが、面白い。学習全般について考えさせられるところがある。自分の考えと共通しているところもあるし違うところもあるのだが、その考え方の出どころがわかりやすいので、なるほどと思う。またすごくちゃんと取材をしていて業界の動向とか季節による参考書の売れ筋、主力は高校生、つまり大学受験向けのもので編集部が文系・理系・英語と三つに分かれているが、小中は一つの部でやっているとか、まあこれは舞台になった架空の出版社の話なのだが大体の傾向としてはおそらくそうなっているのだろうなと思ったりした。

もちろん参考書は学校を受験するいわゆる学参=学習参考書だけでなく、英語などの資格試験のものとか上は弁護士や公認会計士などの受験のためのものまでさまざまあるわけだけど、学習についての考え方というのは共通している部分がある。もちろん子供・中学生・高校生・大人とそれぞれの発達段階に合わせて学習しやすいように考えられているわけだが、実際のところ私が受験した1980年の冬に比べて40年後の現在の学習参考書の充実ぶりはすごいと思う。それだけ多くの人たちの研究と、学習者側のフィードバックによって完成度が上がってきているのだと思う。

最近では大学生向けの参考書なども出てきている感じで、素人でも参考になるような本もあるのだが、やはり大学受験までの学習参考書のような至れり尽くせりにはなっていないのでなかなか勉強仕切ることは難しい。

また孔子の言うように何かを身につけると言うことは「学びて思わざればすなわち暗く、思いて学ばざればすなわち危うし」であって、「学ぶ=理解し記憶し使えるようにする」だけでなく「思う=思考する=その本質は何かとより思考を深め、認識を更新していく」ことも重要だし、また「まだ未開拓の分野を切り開いていく=研究する」ことも重要であるから、「参考書ができること」「参考書の役割」と言うのは「学ぶこと・身につけること・世界を広げること」の一部でしかないのだけれども、そうした大海に漕ぎ出す上での最初の一歩、最初の一漕ぎを確かなものにすることはできるわけで、そこに注ぎ込まれる情熱の大きさと言うものもまた感動的だよなあと思う。

ただまあこれは学習者や教育者、研究者にとってはそんなにはっきりとは見えてこない、いわば「縁の下の力持ち」であって、学習していたときは毎日嫌になる程みていても、目的が達成されたら「卒業してしまった学校」のように、またそれより思い出されることの少ないものになる。だからこう言うところに光を当てる作品というのは今まであまりなかったわけだけど、何が日本の教育を本当に支えてきたのか、というところを見ていくためには避けて通れないものの一つだろうと思う。

***

国家神道 (岩波新書)
村上 重良
岩波書店
2019-10-24



村上重良「国家神道」(岩波新書)、廃仏毀釈のところを読んでいる。この辺りは以前鵜飼秀徳「仏教抹殺」(文春新書)で読んだところと重なるのだが、「仏教抹殺」がジャーナリスト視線、ライター視線で書いているのに比べると、「国家神道」では淡々と事実が述べられている感じがする。「仏教抹殺」には参考書として圭室文雄「神仏分離」(教育社、1977)が挙げられているが、江戸時代の仏教の実像等についてはこちらに書かれているとのこと。


 

いずれにしても、廃仏毀釈というのは日本の歴史の中でもかなりエポックメイキングな出来事であって、「宗教改革」というほど前向きではないが「宗教的クーデター」であったことは確かだろう。織田信長の一向宗・比叡山弾圧から徳川家光の時代のキリシタン弾圧にかけて、武家の統治権力によって宗教勢力の弾圧が一通り終了した日本において、宗教的な騒乱が全国規模で起こったことはこの廃仏毀釈運動しかないわけで、これは明治政府の意図を超えた神道側やそれと同調した一部の地方権力の「行き過ぎ」が元になって騒乱が大きくなったようだ。

神仏分離 (教育社歴史新書 日本史 113)
圭室 文雄
ニュートンプレス
1977-01T

 

「仏教抹殺」によれば鹿児島県では徹底的に寺院が破却され、仏教寺院ゼロになったという。鹿児島では明治以降浄土真宗によって開教活動が行われ、現在は487の寺があるそうだが、こうした地域ではその時代のことについて取材しようとしてもいまだに「嫌な過去の歴史については話したくない」と言われるケースが多いのだという。すでに160年くらい昔の話ではあるのだが、山口県の人が福島県の人に「維新以来150年以上経ったのだから仲直りしましょう」というと「あと100年ほど経ったら考えましょう」と言われたとかいう話を思い出すわけで、歴史の刻印というのはなかなか消えないものだなと思う。

「国家神道」によれば、鹿児島県でこのような徹底的な廃仏政策が成功したのは、武士たちの宗旨は禅宗であったが、民衆の宗旨は禁制とされていた浄土真宗で、密かに講が組織されており、他地域のような寺と檀家の関係が希薄だったということが大きかったのだという。逆に言えば、「仏教抹殺」に書かれたような浄土真宗の活動が成功したのも、そうした下地があったからなのだなと思った。これは廃仏毀釈の激しさを示すエピソードでもあると同時に、浄土真宗、すなわち仏教側の強さ・したたかさを表すエピソードでもあると思った。

伝統の強さ、というものが保守の強さであるとしたら、このエピソードもまたそういうものの一つであるように思った。







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