宮中における神仏分離と「決断の君主」としての明治天皇/「ついログ」のツイッターAPI利用停止によるログイン休止

Posted at 23/04/07

4月7日(金)雨

気がついたら庭先の花海棠がだいぶ開いていて、そういえば桜の季節にこの木も花をつけるのだよなと思い出した。私はこの花が好きなのだけど、去年は盛りの時期を見過ごした感じで、久しぶりに花をつけてるのを見ている、という感じがしている。美しい人が憂いを帯びた表情をしているのを「海棠の雨に打たれたるが如し」というけれども、この花を見るたびにその言葉を思い出す。どの木も花は一年に一度しか咲かないし、紫陽花のようにずっと咲き続けるのもあるけれども、花の季節が短い木は咲いているうちに堪能しなければなあと改めて思う。

昨日は午前中松本に整体の操法を受けに行き、だいぶ体がスッキリした感じはする。頭の中もだいぶ整理はされてきた感じはするが、まだまだこれからだ。歳をとってくるということは身体の機能があれこれ問題が起こってくるということでもあるが、とりあえずそれらが役に立つうちにできることをしていかないとなと思う。

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ブログを書く時にはツイッターの過去投稿を利用することがあり、そのために「ついログ」を使っていたのだが、先ほどそれを試したら「API利用が停止されたのでログイン休止」とのこと。これは困った。Twitterは、というかイーロン・マスク氏は何を考えているのだろう。この間はインスタグラムの投稿をTwitterと共有できないようになったし、Twitterが他のサービスとの接点として利用されているということがどうもわかっていない感じで、これは困ったなと思う。

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「国家神道」、昨日は宮中祭祀について読んでいたのだが、この辺りはいろいろと知らないことが多くて勉強になった。ただ他の本を読んでいるとこの本はやはり見方が一面的だということがわかるので、並行して他のものも読まないといけないなと思う。

宮中祭祀や宮中における神殿の配置、祀られている対象などは古例に則って行われているとなんとなく思っていたのだが、明治以降に対象になったものや入れ替えられたものもかなりあるということがわかった。特に江戸時代には宮中に置かれていた歴代天皇その他の方々の「位牌」が宮中から泉涌寺に移されたということはやはりかなり大きいなと思う。宮中における神仏分離ということもまた、明治初期に行われているということなのだなと思う。

考えてみれば当たり前なのだが、明治維新によって天皇の住まいも京都御所から東京城=宮城=皇居に移され、それに伴って宮中制度も当然ながら相当変わったわけで、明治天皇は電気の灯りを好まず御座所では灯りを灯させたという話は聞いたことがあるが、明治天皇までは皇后以外に女官に生ませた子供がいて、大正天皇自身もそうであるわけだけど、大正天皇以降は皇后のみになったわけで、それをはじめとした制度的な変化も大きい。当然ながら祭祀だけではないのだけれども、明治元年の時点で15歳という若さだったからこそ対応できた変化なのかもしれないと思う。

この辺りは、「頼山陽の思想」でいうところの「決断の君主」として明治天皇に成長していただきたいという思いが明治政府にもあり、だからこそ西郷隆盛の依頼で山岡鉄舟が侍従として天皇に近侍するなどの配慮が行われたのだろう。そして歴史を見る限り、明治天皇ご自身もその期待に応えられた、ということなのだと思う。


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