「安倍晋三回顧録」:安倍晋三の手腕と力量と遺産、評価と総括の必要性/ただ生きるだけなら可能だが、何かやろうとすると困難な時代

Posted at 23/02/27

2月27日(月)晴れ

朝からよく晴れている。東京にいるからあたたかいかと思ったがそうでもなく、最低気温は3度。ただ郷里の最低気温はマイナス4.7度なので、8度くらい差がある。夏に引き比べると25度の時に33度ということか。そのくらいの差はあるときはあるかもしれない。

昨日は10時半ころの特急で東京に帰り、電車の中では「安倍晋三回顧録」を読んだり音楽を聴いたり昼ご飯を食べたりしていた。東京についたのは1時を過ぎていて、大手町の丸善で「儒教入門」や仕事に関わる本を少し見て、地下のカフェでケーキを買って帰った。

家で一息つき、郵便物など見てからまた出かけ、日本橋の丸善へ。気になっていたバイロスの「神曲」の画集を見たのだが、39万円もしたので少なくともすぐには手が出ないということが分かった。思ったより厚くて画集というよりも『神曲』の挿絵をバイロスが描いているという感じだった。多分イタリア語だと思うが、まあ要検討。ここでも少し本を見たが結局買わないで、高島屋へ。しばらく買ってなかったキャピタルコーヒーでマンデリンを買う。諸色高直、いつもなら200グラムのところを無駄にしてもいけないと思って150グラムにした。

実際、いろいろなモノの値段が相当上がっている。成城石井に行くといつもその高騰に驚くのだが、今日はやめにして、コレド日本橋の地下のメゾンカイゼルでパンを買い、携帯のモバイルスイカの残高が少なくなってきたのでセブンイレブンを探してチャージすることに。

ただ、日本橋はセブンがちょうどいいところになくて、グーグルマップを頼りに昭和通りの郵便局の近くのセブンに行ったのだが、あまり歩かないところなので少し新鮮だった。渋谷も再開発でよくわからないことになってるが、日本橋もかなり再開発が進んでいて、たいめいけんのあったあたり一帯が入れなくなっていた。昭和通りを渡るのに歩道橋があったのでその上から「夕暮れの首都高の地下に向かう入り口」を撮ったり、地下道をくぐったり、「江戸橋」を渡ったりして、室町の方から中央通りに入るとゴマ油で揚げた天ぷらのいい匂いがしてきた。

近くの蕎麦屋のウィンドーを見たらもりで800円強。なんというか、自分の中の基準と100円ほど違う。かつ丼が1200円強。こういう微妙なずれが自分の物価感覚と現実とのずれを感じさせるのだけど、本当に物価は上がっているなと最近実感する。

「ブルーピリオド」で八雲の回想のところで「ただ生きていくだけなら生きて行けるんだけど何かやろうとすると途端に金がかかって足を引っ張る」みたいなことを言ってて、これは本当にそうだと思った。スーパーの安い弁当を買えば3食1000円だって生きていけるが、たとえば真面目に絵を描こうとしたら筆洗いだけで8000円したりする。ハードモードの中で足掻いていく中で、八雲は真田のメッセージをきっかけに仲間をつくっていくわけだけど、「ただ生きていくだけなら生きていけるがやりたいことをやるのはハードモード」というのは実際そうだと思った。やりたいことを自由に気兼ねなくやれるという時点ですでに相当な勝ち組なわけで、八虎も親の負担を気にはしているがやらせてもらっている時点で自分が恵まれているということを強く自覚しているのはよくわかる。

タロー書房まで歩いて本やマンガを見る。ここはこの規模の書店としては人文書が充実しているし、マンガの品ぞろえも個性的。文庫なども面白いものが置いてあって楽しい。東京にはこういう個性的な書店がまだ時々あって、そういうところを回るのは楽しい。大型書店やチェーン店の売れ筋の本屋も便利ではあるのだが。実際自分の必要な本は大型書店で買うことが多いのだけど。

夕食は地元の西友で買うつもりだったが、歩くのが疲れたこともあり、三越の地下で弁当を買って帰った。

***

電車の中と家についてから、「安倍晋三回顧録」を読み進め、2015年の部分、第5章と第6章を読んだ。それぞれに章題がついているけどこれはざっくりしたまとめで、中身はその年の話という構成になっている。

2015年は戦後70年に当たるので、第5章はその関連の話が多かった感じ。

この年の防衛大の訓示で旧日本軍、ペリリュー島のエピソードに触れたのだという。旧日本軍を賞賛するようなコメントは今まで差し控えていたようだけど、住民を先に避難させ、そのあとは本土への攻撃を少しでも遅くするために徹底抗戦した、という話をしたようだ。いろいろ解釈はあるけど、こういう話はおそらくは保守系の知識人から聞いた話もあるんだろうなと思う。

「戦後70年談話」は村山内閣の誤りを是正することが目的だったという。戦争の反省ということについては、「歴代内閣がお詫びをしてきたということに触れ、この立場は変わらない」ということで、自分は謝らなかった、という話で、私はこの談話を読んだときにそういう意図だろうと思っていたのだけど、やはりそうだったのかと思った。「侵略戦争の悪」を謝罪するのではなく、開戦に至る「戦略の誤り」を認め、また同じようなことをした諸国も含めて「それは誤りだった」という、というロジックになっている。日本だけが悪かったわけではない、と言いたいわけで、これは私もそう感じた記憶がある。

これは右派からは評判が悪かったが左派からは割と評価されたということで、つまりは「安倍内閣が右派からの期待は高いが左派からは低い」ということでもあり、「あまり期待値を上げすぎないのが政権運営の要諦」というようなことを言っていて、まあその通りだろうと思った。私自身、第一次政権の時は過剰に期待していたので辞任の時は本気でショックを受けたが、私を含めて国民があまり期待しすぎなくなったから長期政権が実現した面はあるなと思う。

国会の論戦で、与野党のやり取りが荒くなったのは小選挙区制導入の影響ではないかと言っている。選挙区で直接対決するため、野党に花を持たせるような文化は成立しにくくなったと。なあなあ出国会運営をされるよりはいいかもしれないが、ガチすぎて対決の身に注目が集まり、建設的な議論ができないのもあまりよくないなと一長一短を感じた。あとは党首選が国政選挙と関係なく任期2年ないし3年で行われるのは行われるのは無駄な労力を割かれるということで批判的だった。確かに国政選挙を機に党首選も行った方が筋は通るだろうと思う。

それから「経済の好循環」というフレーズは経産官僚出身の新原政策統括官から出てきたということを知る。倉本圭造さんも書いていたが、安倍さんはこれは誰が提案したとか誰が動いてくれたとか、これは誰の失敗だったかとかはっきり言うのは面白いと思う。

第6章は外交、というか諸国の要人との付き合いの話で、トランプとは親しくなったのでホットラインで電話が来て、自分自身の政策について相談されたりした、というのは面白かった。歴代の大統領は「西側のリーダー」という責任感を持っていたがトランプにはそれはなかったと。だから安倍さんはNATOや日本も協力するから、自由世界のリーダーとして振舞ってほしいと説いていたというのも面白いなと思った。

首脳たちと話はそれぞれ面白く、親しくなった人とならなかった人が誰だったのかというのも興味深かったのだが、意外だったのはオーストラリアのアボット首相だろうか。靖国参拝の時に文句をつけられるのではないかと会談を断ったら結局話しかけてこられて、日本は過去に対しいわれなき批判を受けているが、それはフェアではないし、日本は安全保障分野でもっと貢献すべきだ」と言われて驚いたのだという。この前のイギリスのメイ首相が日英の同盟関係を求めてきた話といい、安倍さんが「自由世界のリーダーの一人」として高く評価されていて、「自由で開かれたインド太平洋」がお題目でなく、中国の台頭に備える力として日本が正当に評価されるようになったきっかけがその辺にあったのかもしれないと思った。

この辺は長期政権になった安部さんへの信頼感が世界的に高まったことがあるのだろうと思う。

この章の最後に取り上げられたのは台湾の李登輝総統なのだが、「一国のリーダーとしての姿勢を叱られた」というのは何というか「懐かしい先生の思い出」という感じでしんみりした。戦後政治の総決算と言っても、戦後世界秩序の中では譲らなければならないこともあり、そのことに忸怩たる思いをやはり安倍さんは持っているのだと思うし、その思いを李登輝さんの思い出に重ねて述べたのだろうなと思う。李登輝さんは本当に偉大だったなと思う。

李登輝さんは旧世代の政治家だが、1990年代に台湾の現在の方向性を定めた偉大な政治家だった。彼は京大出身で、いい意味での教養主義、学問への信頼感みたいなものを持っていた。現在のアカデミズムは戦前のレベルの高いアカデミズムに比べると遜色はあるし、安倍さんにとっては政敵観もあるのでなかなか使いづらいところもあるけれども、人を選んで頼っていることもまた事実であり、きちんとした保守系の学者たちがもっと健在であれば、もっと日本の国のブレーンとして思うさま活躍できただろうと思うのだが、そのへんは残念だった。

こういうのを読んでいると、安倍さんは日本が良くも悪くも「普通の国」になることに大きく貢献した政治家だったと思うし、安倍さんが長期政権になることで対外的な信頼感がものすごく高まったということは本当に大きかったなと思う。小泉政権もそれなりに長かったが、安倍さんほどの安定感は感じられなかった。やはり世界的に見ても変人感が強かったのだろうか。中曽根さんの時はそれなりに安定感はあったが、まあこの辺は当時のそれぞれアメリカの大統領との関係がよかったということは大きいのだろう。

ただ、今考えてみると小泉政権は郵政改革という彼自身のこだわり以外は北朝鮮の問題にしろアフガン戦争やイラク戦争にしろ、周辺諸国に振り回された感が強かった。安倍さんは自分自身が「戦後政治の総決算」というグランドビジョンを持っていたから、そのときの状況に合わせてひとつひとつそれを実現していくという政治家としての手腕があったということなのだろうと思う。

多くの政治家は選挙が怖くて自分のやりたいことが必ずしも実現できないし、多くの首相は十分な政権基盤を築けなくてやりたいことが実現できない。安倍さんも財務省には譲歩もしながらそれでもアベノミクスを実現し(十全にとはいかないが)自分のやりたい政策は着実に実現して行ったわけで、こういうのが政治家としての力量なんだろうと思う。

安倍政権の末期にポスト安倍が誰ができるんだろうとツイッターで議論した時、結局ポスト安倍も安倍さんだ、みたいな結論になったのだけど、結局政治家としての手腕と力量を持った政治家らしい政治家が安倍さんしか見当たらなかった、ということはあったんじゃないかと思う。

だから日本は安倍さん無しでこれからの時代の大波を潜り抜けて行かなければならないわけだけど、岸田さんが外交防衛に関しては結構着実に進めているように、安倍さんの遺産は今のところ生かされてはいると思う。その賞味期限がいつまでなのか、その間に安倍さんに匹敵する力量を持った政治家が現れるのか(もちろん岸田さんがその方向に成長するということだってあり得ないわけではないのだが)、期待していきたい。そのためには安倍政権の正当な評価と総括が必要だと思うし、そのためにこの回顧録は重要な参考書になるだろうと思う。

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