「貴族とは何か」徳のある人たれという理想/「七つの大罪」と多神教世界のすったもんだ/本を読むスピードを遅くしたインターネット

Posted at 23/02/08

2月8日(水)晴れ

昨日は本を読んでいた時間が長かった気がする。読んでいたのは主に君塚直隆「貴族とは何か」なのだが、そこで引用されている南川隆「新・ローマ帝国衰亡史」も手元にあったので、照らし合わせたりググったりしながら読んでいた。現在第2章の80ページくらいまで読んだが、これは自分のペースとしては早い方だと思う。しかし約280ページあるのでこのペースで読んでも3.5日かかることになる。

若い頃はこのくらいの本なら多分1日で読めたのだが、それは昔はインターネットがなかったということが大きいなと思う。気になることがあっても調べられるものは限定されているし、手元には世界史関係の図表だとかが少しあるだけで、あとは祖母に大学入学祝いに買ってもらった平凡社の百科事典で調べるという感じだった。百科事典の内容はすぐ古くなるので、また新しい語彙などは調べようがなく、なんだかわかったようなわからないような感じでとりあえず読み終える、という感じだったが今ならちゃんと読もうと思えばいくらでもちゃんと読めるので、体力が落ちていることもあって読むペースは格段に遅くなっている。

また、以前では自分の関心のある分野も専門外のところで新書や選書などの一般向きのリーズナブルな学術書があまりなかったということもある。また研究の深度も格段に上がっているし、はるかに多くの人々や情報が世界を行き交うようになっているから、情報量が圧倒的に増えたということもある。現代に学生であることはそういう意味では恵まれていると思うが、大変だろうなとは思う。まあ、今学生でないのでフェミニズムとかを必修で学ばないで済んだのはある種幸運だったということかもしれないが。

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「貴族とは何か」の前に少しマンガとそこから発展した話を書いてみたい。ジャンプ+の水曜日の連載に「エクソシストを堕とせない」という作品があるのだが、その中に「我が名はベルゼブル 七つの大罪が一つ暴食の魔王」という台詞が出てくる。そういえば今までも「強欲の魔王マモン」とか「色欲の魔王アスモデウス」とかも出てきたなと思い、調べてみると「傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲」が七つの大罪でそれぞれに「ルシフェル・サタン・リヴァイアサン・ベルフェゴール・マモン・ベルゼブブ・アスモデウス」という「悪魔」が当てられているということを知った。これは16世紀のペーター・ビンスフェルドの著書から始まるものだということだが、もちろんそれらの悪魔自体はその前から知られていた。

ベルゼブブは「蝿の王」だが、これは本来はペリシテ人など古代オリエントの人々が信仰していたバアル神の呼び名、「バアル・ゼブル(気高き主)」をヘブライ人が憎み、バアル・ゼブブ(蝿の王)と呼んだのが聖書に記述され、定着したということのようで、現代のSNSで行われているような「レッテル貼り」がすでに紀元前10世紀頃には行われているということがよくわかった。

この関連でバアル神について調べると、天候神アダドと同一視され、嵐と慈雨の神であったという。バアル神に関する記述を読んでいると、メソポタミアの神々はそれぞれ争っていて、なんだかみんな素戔嗚尊みたいなのだが、多神教というものは本来こういう要素があるのだろうなと思った。

最高神の地位もその時その時で変わっていて、天空の神アヌが頂点なのだがアヌは早い時期に「暇な神」になり、荒れ狂う神エンリルが最高神になったりしている。この「暇な神」という概念は面白いなと思った。

日本神話を考えてみても、古事記で最初に現れる神は「天御中主神」だが造化三神は身を隠す、ないし隠身であった、と書かれている。国産みをしたのは伊弉諾神・伊奘冉神だが、三貴神を産むと活動を停止する。こういうのもいわば「暇な神になった」ということかもしれない。また、日本神話では溝口睦子「アマテラスの誕生」で書かれたように最高神が高御産霊神など「ムスビ系の神」と「天照大神」の二系列あるわけだが、これもある種の神々の争闘があったのを現在のような形に「編集」したのだろうなと思う。多神教世界では流行する神と廃れていく神があるわけで、インドでもヴェーダ時代のインドラ一強から現在のようにヴィシュヌとシヴァの二強になったり、様々な変遷がある。

もう一つ「七つの大罪」関係で面白いと思ったのは、ガンディーが「七つの社会的な罪」として「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき学識」「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき信仰」を挙げているのだが、現代がまさにそうした罪に塗れた時代になっているということがよくわかる。

また「人間性なき科学」というのはScience without Humanityであるわけだが、これは「人文学なき科学」とも読めるわけで、現代の人文学潰しへの風刺でもあるように読めるなと思った。

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「貴族とは何か」、第2章の第3節、「ヨーロッパ貴族の特権」の途中まで読んでいる。第1章は古代ギリシャ、古代ローマ、古代中国の貴族たちを素描しているが、ギリシャのところではプラトンが哲人政治=貴族政を良しとしたのは師であるソクラテスが民主政=衆愚政そのものである民衆法廷で裁かれて死んだからではないかという指摘がなるほどと思うところがあった。

ローマのところでは貴族=パトリキの家系が紀元前5世紀には50の氏族に限られ閉鎖されたこと、それに対して新しい貴族・ノビレスが出てきたこと、帝政期には600の元老院の議席が重要だったこと、元老院階級と民衆の間に騎士階級が形成されたこと、ディオクレティアヌスの時代に騎士を取り立てて元老院階級を掣肘しようとしたというのは絶対主義時代の国王と市民の接近の構図に似てるなと思ったが、コンスタンティヌスは騎士や都市参事会の中からも元老院議員を登用し、元老院階級と騎士階級の区別が消滅、実質的に騎士身分が消えたことなど、貴族階級の変遷が頭に入りやすくまとめられていたと思う。

一つ重要だなと思った、というか今まであまりちゃんと認識していなかったが、コンスタンティヌスらによる「側近の登用」というのが後の西ヨーロッパの貴族階級の形成に大きなステップになっていることで、ローマの軍団長duxがゲルマンの部族長の役職を経てdukeすなわち公爵の語源になり、側近が任じられた役職がcomesと呼ばれたことがcountすなわち伯爵の語源になり、独立した小王プリンケプスprinceps(元はもちろんアウグストゥスの第一発言者、第一人者の意味)がPrinceの語源になったことなどが興味深かった。

中国のところで特になるほどと思ったのは六朝貴族たちが教養と地域社会を倫理的に治めたことによる名望家支配的な側面を持っていたことにその権威・権力の基盤があったというところで、六朝貴族たちの今までの「惰弱」のイメージや、中華民国期の軍閥に代表されるような中国の支配者たちの酷薄さのようなイメージとは違う、郷挙里選以来の九品官人法の地方官による選出という方法は本源的に「郷党社会の支持あってこそ」という指摘はかなりこの時代や貴族たちの自分の中でのイメージを変えるものになった。

ローマのキケロの共和政へのこだわりや三頭政治への批判は「深慮・正義・勇気・節制」という四つの「徳」に欠ける人々による社会の堕落に対する批判であったわけだが、六朝貴族たちをそのように描き出すと「貴族=徳ある人」という定義が成り立ちやすくなるなと思った。

今日はとりあえず第1章まで読んだところの感想と知ったこと・考えたこと、ということでまとめておきたいと思う。

一番大きいのは、「貴族」というもののイメージを「社会に寄生した搾取者」みたいに描き出すマルクス主義的な描き方ではなくて、より公平にその形成過程を描いていること、またより内在的に貴族が理想としたものを描くことで「貴族の一般的イメージ」を変えたいという意思が感じられたことだと思う。その辺りについては、先を読むのがより楽しみになったことを書いておきたい。


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