「自分を守るということ(2)」それを格好悪いと思うのは何故だろう

Posted at 22/12/30

12月30日(金)晴れ

年の瀬も押し詰まってきて、年末のいろいろな外的な仕事は大体終わった感じだが、まだ仕事自体は営業中で、あとは年越しと新年を迎えるための家の中の仕事に取り掛かる感じになってきた。

昨日は年末年始の引き落とし関係の資金補充やらお歳暮配り、家の中の照明のおかしいところを工面してなんとかしたりなど、またばたばたと動いていた感じ。どこのうちもやることは同じということもあり、道路も混んでいる。今日あたりからは帰省客や観光客も増えてきて車の渋滞もキツくなってくるだろうなと思ったり思わなかったり。

昨日の朝に書いていた「自分を守ること」「自分を大切にすることの大切さ」みたいなことは、昨日の朝はものすごく鋭利に自分にとって大切だったからキリキリ書いたのだけど、今朝はだいぶ余裕が出てきたせいかそこまで刺さらなくなっている。

つまりなんというか「自分を守ることは必要なことだ」という考え方を見たくないというかあまりそういうことを考えたくない自分というものがいるということだなと思うのだけど、なんだかだらしないような、弱々しい考え方のような気がしてしまうということなんだろうなと思う。

これはまあそれこそジェンダー教育というか「男は男らしく」的な考えの強さというものもあるとは思うんだが、我々の世代はある程度は「自分の身は自分で守れ」という意識はもともと強い気はする。ただ「攻撃されるのは自分が弱いから・悪いから」みたいな「いい人ムーブ」も自分の中にはあるんだろうなと思う。また「自分を守ることなんて考えてないように見せたい」という形でのカッコつけみたいなものもあるわけで、「自分を守るとはどういうことか」みたいなことをもっとちゃんと考えないといけないなと書きながら改めて思っている。

人間のタイプに「攻め」タイプと「受け」タイプがあるとしたら(誤解を招きそうな表現だが)、攻めタイプの「守り」と受けタイプの「守り」とでは結構違ってくる感じがする。もちろん一人の人間が完全にどちらかということはないと思うし、私なども自分の中に両方あると思うけれども、攻めタイプの守りは「攻撃は最大の防御」みたいなところはあるだろうし、受けタイプの守りは受け流しながら効果的に反撃する、みたいなのが中心になるだろうか。

ただそのどちらにしても絶対防御というかこの線は譲れない、みたいなものはある気がするし、そういうものをどう考えるか、みたいなことはもっと考えないといけないなと思う。

それにしても、書いている途中でいろいろ用事が入ってまた勢いが失われてきた。こういう「勢いを必要とするタイプの文章」というのは中断したらダメだな。朝は「余裕が出てきたから」なくなった勢いを丁寧に今の心情を考えることで取り戻そうとしたのだけど、書く以外のことに力を取られすぎて今度は疲れが出てきた。こういう文章は実はかなりエネルギーを使うので、いろいろ条件を整えないと書けないのだが、条件を整えているうちに時間がなくなってしまうので困る。

逆に感想などは対象がはっきりあるからそれについてどの長さで書くかとかを考えやすいのでとりあえずそんなにパワーがなくても書けることは書ける。面白くなるかどうかはまた別の問題なのだけど。

今日もまた忙しいので続きがいつ書けるかわからないが、とりあえず更新しておこうと思う。

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