「日本人の反戦意識」の淵源は「普段威張っているのに戦争に勝てない軍人に対する反発」:これは「普段威張ってるのにコロナを終息できない医者に対する反発」と同根ではないか

Posted at 22/08/19

8月19日(金)晴れ

昨日は時間的には比較的余裕があったはずなのだが、それでもあまりやりたいことが進まなかったのは、疲れを取る方が優先されたからなんだろうなと思う。今日で60歳になって1週間。年齢的なものはなかなか否定できない。24時間元気で活動的、というわけにはいかないなあ。って考えてみたら若い頃だっていつも元気だったわけではないが。

今日は朝起きてゴミの処理をしたり。草刈りもしようと思ったが、先にブログを書くことにした。最低気温は20度以下になったのでそろそろ日が出てからも外で働けるかなと思ったり。甘いかもしれないが。

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ロシアの侵略に対するウクライナの抵抗に否定的な意見が多いのは何故か、という話をいろいろ読んでいた。これは多分根深いこともあるのだと思うが、左翼方面から言えば「アメリカ(敵)による戦争」ではなく「ロシア(味方=幻想だが)による戦争」であることが大きいように思う。アメリカの戦争だったらアメリカを非難しやられている方を支援するのは「当たり前」なので何も言わないが、「ロシアによる戦争」に対しての「命がけの戦い」であるところに、左翼リベラルの人々の居心地の悪さがあり、「戦わないでほしい」「やめてほしい」「アイデンティティが溶かされる」みたいなある種の魂の叫びから「ウクライナよ、ロシアと戦うな」と言ってるところは大きいと思う。

「戦争には良い戦争も悪い戦争もない、戦争は全て悪だ」という戦後平和思想のバグが温存されてきたことも大きいだろう。手塚治虫の「ブッダ」にブッダの祖国カピラバストゥを攻めようとするコーサラ国のルリ王子=ヴィドーダヴァ王に対し、何日もかけて議論をしてついにやめさせたものの、ブッダの弟子のタッタがカピラバストゥを扇動してコーサラ国と戦ったために、王はブッダに「戦わなければ侵略されるのだ」と宣告し、ブッダ求めることができなかった、というくだりが出てくる。「侵略されたら戦う」というのは、ブッダでも、というか手塚治虫でも否定できなかったことなんだなと子ども心に思っていたので、「侵略されたら戦う」のは当たり前だと思っていたが、そうでない人がこんなに多いというのは少し驚いた。手塚治虫くらい読もう。

日本人が「戦うべきではない」という意識が強いことと織豊政権以来の「刀狩」を結びつける議論がタイムライン上にあったので、ちょっと考えてみた。

実際には「刀狩」と言っても江戸時代の民衆は武器を全く持ってないわけではない。いざとなったら自分の身を守るための脇差や懐刀は携帯していたし、農家なら猟銃を持ってたりもした。仮名手本忠臣蔵五段目でも勘平が猪と誤って盗人斧定九郎を撃ち殺す場面がある。

江戸時代は少なくとも武士には仇討ちも公認されていたわけだし自力救済原則は無くなったわけではない。武士身分以外の敵討ちがどうみられていたかはわからないが、敵討ち的なヤクザの抗争みたいなことは平手神酒などの講談にも残っている。戦前でも自警団があったり、軍人は普通に軍刀持ってたりしたわけだから、完全に武装解除されてたわけではない。

ただ、惣無事令・廃刀令などに見られる「治安はお上が守る」という思想はある程度浸透はしていた。しかしお上の力が弱くなると、ヤクザなどの民間軍事治安組織が力を伸張させたのは幕末に侠客の力が強くなった(新門辰五郎・清水次郎長など)ことや戦後の治安維持にヤクザや右翼が動員されるなど歴史にも表れている。暴力や武力は比較的身近にあったものであって、庶民といえども戦わなくても済むということは必ずしも思っていない。

しかし、「自由党史」に書かれている板垣退助の経験、つまり官軍が会津軍と戦った際、会津領の農民たちは敗軍の兵であった自領の武士たちから着物を剥いだり武器を奪ったりして官軍と戦う気が全くなかったことに衝撃を受け、庶民がこの有様では外国が攻め込んできたときに国を守ろうという気持ちがないことは大きな問題だと思い、庶民に国を守らせるためには権利を与えなければいけないと考えて「自由」の重要性に目覚めた、というエピソードからもわかるように、少なくとも「国を守るのは自分たちの仕事ではない」と国民は考えていたのは事実だろう。だから国民皆兵を実現するために明治憲法では国民=臣民の権利義務が定められたわけで、国家の近代化と国防の必要性から民主主義の思想が導入されたことは重要だと思う。

第二次大戦と大戦後に国民に厭戦気分反戦の風潮が広まったのは、長引く戦争のうちに「誰のための戦争なのか」という疑問が広がったことは大きかっただろう。特に普段は威張っているのに戦争に勝てそうもない、勝てなかった軍人に対する評価が一気に地に落ちたことは大きかっただろう。

この「普段威張っている人たち」に対する日本人の潜在的な反発というのはすごく大きいから、この時は軍人が袋叩きにされ、彼らがやってきた国防の仕事全般まで強く否定的にみられるようになったことは「日本人の反戦意識」の淵源としてとても大きいだろうと思う。

これは最近、「普段威張っているのに政治に対しておかしな発言しかしない学者」とかが攻撃されたり、「普段威張っているのにいつまで経ってもコロナを終息させられない医者たち」に対する反発として今は現れているわけで、軍人が袋叩きにされたのもこういう感じだったのだろうなと思う。

今の風潮を見ても学者たちに対する反発から「人文系の学問は全て無意味」であるとか「医療など信用できない」という感じになっていることからわかるように、「軍事力・防衛力なんて意味がないんだ」という極端に走る人が一定以上はいるわけで、それが左翼や国際共産党勢力、連合国の軍事占領機関によってうまく利用されたということはあるのだろうと思う。

だから日本人の平和意識の硬直化というのは、刀狩まで遡るような長い歴史の話はベースとしてはなくはないかもしれないが、あまり関係ないと思う。

暴力や軍事力を嫌う気分というのはそういう「軍に対する反発」「暴力に対する反発」みたいなものから基本的には戦後どんどん準制度的な暴力が排除されていったことが大きいのではないかと思う。

戦後すぐには国会議員の周りにも院外団などがいたし、ヤクザももっと社会に浸透していた。創価学会の折伏や新左翼過激派の暴力テロも、そうした社会的な雰囲気の中である程度は許容されていたのだろうと思う。

転換点になったことの一つは60年安保で犠牲者が出たことだったような気がする。70年前後には過激派は社会から浮き始めている。決定的になったのは暴対法の施行だろう。

もともと飲食店等がヤクザにみかじめ料を払って守ってもらうというのも警察が十分に機能していなかった時代があったからこその自警措置だったわけで、「自警・自衛もいけない」という方向性が出てきたことが「ウクライナは抵抗すべきではない」という意味のわからない反応と結構関係があるように思う。

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昨日は「世界と日本を目覚めさせたウクライナの「覚悟」」を読了したのでその感想を書くつもりだったのだが、日本人の反戦意識はどこからきているのかという話をつい考えてしまったのでそちらを書いた。この本の感想については改めて書く。

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