「世界史としての大東亜戦争」を読んでいる:八月は「経験したこともない過去の戦争の反省」ではなく「今行われている侵略」を含めた「戦争」について、正しく学ぶ時にするべきではないか

Posted at 22/08/14

8月14日(日)曇り

お盆休み二日め。昨日はお盆の初日で午前中にお坊さんが来てお経を上げてくれたり、60歳の誕生日なので帰省している妹が色々作ってくれたりケーキを買ってきてくれたりして、お祝いみたいなことをして楽しかった。

今朝は職場の周りの草刈りをしてきて、どうも消毒液の匂いなどがしてそれに感覚がやられてしまった感じがして困ったのだが、まあなんとか立ち直って文章を書き始めている。



今読んでいるのは細谷雄一編「世界史としての「大東亜戦争」」(PHP新書、2022)なのだが、この本はすごく読み応えがある。「あの戦争」「この前の戦争」というような曖昧な呼ばれ方をするこの戦争について、「大東亜戦争」と呼ぶべきではないかとイデオロギーではない提案も含め、ようやく中立的な立場からの研究がまとまったものになりつつあるのだなという安堵した印象を持った。願わくは、小林よしのり「戦争論」が出されてあの戦争についての議論が起こった90年代後半から0年代前半にかけての時期にこのような本が出ればよかったのにと思うが、今からでもしっかり読み、また周辺の研究も読んでみて「教科書に載せるに足る大東亜戦争史観」みたいなものを確立できたらいいなと思ったりする。

こういう本が出せるようになった一つの背景は、ロシアのウクライナ侵攻だろう。左翼方面にとって「平和勢力」であるソ連やその後継国家であるロシアを批判するような文脈は出版しにくいという背景がだいぶ薄らいだということはあるのだと思う。そして戦争を「自分が経験してもいない過去の反省」みたいな抽象的な話ではなく、いつ起こるかわからない身近な脅威として論じなければいけない対象になった、という甘利喜ばしくはない現実というものもあるのだと思う。

もう一つはそれより前から続いていた中国の経済的・軍事的台頭だろう。これらの中国との関係が悪くなり、特にペロシ訪台によって台湾を取り囲むような軍事演習が行われるなど、東アジア、我が国の南西諸島を取り囲む地域でも緊張感が増してきている。この本の出版はペロシ訪台以前だが、本質的な中国の脅威というものに変わりはないわけで、ロシアのウクライナ侵攻という「起こるはずがなかった戦争」が始まった今、中国が直ちに台湾に侵攻することはないという確信は誰にも持てないわけで、イデオロギーに囚われない「大東亜戦争の全体像」が描かれなければならない危急の時がやってきているということなのだと思う。

今読んでいるのは第7章のドイツとの関わりだが、今まで読んだところでも知らなかったこと、考えてみたいことが色々出てきている。

第6章でいうと蒋介石の日本に対する見方というあたりだが、蒋介石という人物は共産中国においてはもちろん批判されているし、現代の台湾においても二・二八事件の虐殺から強く批判されている。ただ、第二次対戦終戦時における中国の地位を築き上げたのは蒋介石の外交政策の功績だし、日本に対しても比較的寛大な占領政策を主張した部分もある。彼はトルーマンに見捨てられて台湾に逼塞したが、50年代には共産党に滅ぼされるというアメリカの予想に反して生き残り、現代まで東アジアにおける自由の砦として台湾は生き残っている。

国民党軍もひどい軍隊であったことは確かだし、その責任は蒋介石に一義的にあることは確かだけれども、アメリカがもっと効果的な援助をしたら今のように大陸を全て失うことはなかったかもしれない。その辺りはタリバンに駆逐されたアフガニスタンの政府軍やイラン寄りになってしまったイラクの政府軍などとは根本的に違うわけで、「汚職まみれの」国民政府に対する忌避感情がそこを見誤らせたのだろうなと思う。この辺りは腐敗が問題になっていたロシア侵攻前のウクライナ政府の件とも関わってくるし、腐敗した中南米の独裁政権を支持した戦後のアメリカの方向性などとも関係してくるなと思う。

第7章では戦前のドイツは必ずしも親日的ではなかったということ。これは南京事件の時にドイツの特派員がいわゆる「虐殺」を報道していることからも分かるが、自分にとってはどうしてこういうドイツと日本は手を組もうとしたのかがずっと疑問だった。

これは英米との関係がギクシャクし、ソ連という共産国家の脅威を感じている日本において、陸軍建設の師となったこと、また第一次大戦に負けた後国力を回復しつつあるヒトラーが英雄に見えたことなど、日本軍人のある種特殊なフィルターがかかった色眼鏡で状況を眺めていたことなどがあると思うが、本来は英米に幻滅したからドイツにつこうとか、あまりに子供っぽすぎるわけで、そのあたりのことは90年前のこととはいえかなり歯痒いものを感じる。

しかし本来ドイツの支配的な勢力も日本よりは中国を支持していたわけで、それを変えたのがリッベントロップだったという指摘はなるほどと思った。彼は諜報部のカナーリス提督の支持を得たというが、カナーリスは「対ソ諜報能力に優れた」日本との接近を支持していたといい、それが「日独防共協定」として最初の一歩を踏み出すことになったのだという。

「日本のソ連に対する諜報能力が優れていた」という評価は、ゾルゲ事件で出し抜かれ、戦争中もソ連と英米の秘密協定に気づかず、日ソ中立条約を破棄されて一方的な侵攻を許した、ことソ連に関しては諜報能力はダメだったのではないかというイメージしかない私にとっては不思議な指摘で、この辺は当時の実態や認識についてもう少し調べてみらえるといいなと思った。

どちらにしてもいろいろ面白いこと、知らないことが記されていて、勉強になっている。8月といえば戦争を回顧する月という感じになっているが、新しい知見を含めて回顧というよりは戦争について学ぶ月にしていけるといいなと思った。

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