日本とアメリカは本来戦う必要はなかった

Posted at 22/08/12

8月12日(金)曇り

忙しくていろいろポカが多く、困ってしまうが、今日の仕事のあとはお盆休みなので少し体制を立て直したい。

「世界史としての大東亜戦争」、第5章を読みかけ。読んでいて思ったのは、中国情勢を日本の各層がどのように捉えていたのかということ。「東亜新秩序」というが、では「旧秩序」は何を指しているかというと、中国を中心とした中華世界秩序であり、またイギリス資本主義がアジアを席巻する状態を指していると整理すればいいのかなと思った。新秩序は中国と日本が名目的には対等であり実質的には優位な状態であり、経済ブロックとしてはイギリス資本主義を駆逐し日本のコントロール下における状態を指していたということだと思う。つまり日本にとって旧秩序=敵は日本に融和的な軍閥政府ではなく英米をも取り込んで日本と対抗しようとする国民政府であり、また日本の中国進出の妨げになるイギリスの規制当局や金融資本や産業資本であるということになるのかなと思った。

そしてもう一つ目からウロコというかやはりそうだったのだなと思ったのは、日本とアメリカの間には「解決しなければならない実質的な問題」がなかったという指摘だ。もちろん、アメリカにおける排日移民法などの差別的な問題や、中国市場の門戸開放をめぐる問題、つまりよりイデオロギー的・原則論的な問題はあったが、経済的な対立や領土争いなど「交渉しなければならないこと」はなかったという指摘はその通りだなあと思った。

つまり、日米が開戦に向かって進む中、もともとお互いに交渉すべきことはないので、直接にアメリカに関係ない仏印進駐や中国での領土的支配といった問題を取り上げ、石油を禁輸するとか満洲放棄を求めるハルノートを手交するとか割と交渉する気があるのかという話になってしまったのは、もともと交渉するネタがないからだ、ということになるわけだ。

これは私もこの戦争について調べていた時に、なぜ日本がアメリカと戦争しなければならないのかなんだかよくわからなかったので、そうかもともと戦争する必要などなかったのだなということがわかって腑に落ちた。つまりもともとチャーチルの求めるアメリカのヨーロッパ戦線での参戦に理由をつけるために、「最初の悪しき一撃」を日本が加えなければならないように仕向けたというのが実際のところだということだろう。日本もハルノートでそれまでの交渉とは全くかけ離れた原則論的な内容のハルノートをいきなり突きつけられ、これは戦争するしかないということになって、いかに効果的な一撃を加えるかということが問題になり、真珠湾攻撃に至ったということになるわけだ。

だからはめられたといえばはめられたのだが、アメリカにしても思ったより大変な戦争になったことは確かなはずで、そうした後悔はあったのではないかと思うが、日本としても4年もの戦争を戦うよりは、「臥薪嘗胆」でもっとのらりくらりと交渉を先伸ばす、という手は本来はあったのではないかと思う。

アメリカにとって正面の戦いはヨーロッパであり、太平洋での戦いはB面に過ぎなかったはずだが、これを戦えたのもルーズベルトが12年に渡って政権を握るというアメリカ史上唯一の例外的な大統領であったということも大きいだろう。

まあこの辺のことはまた考えてみたい。


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