ソ連崩壊後ロシアが失った最大のものは「進歩への希望」だった/同じ時期に日本が失ったものは「無駄」に支えられた社会的平等と経済的繁栄」だった/今捨てるべきは「社会主義に対する幻想」よりも「ロシアに対する幻想」である

Posted at 22/05/01

5月1日(日)曇りのち雨

ゴールデンウィークに入り、私も今日から三日ほど休日だが、春の花がよく咲いてきている一方、天気の悪い日が多い連休になりそうだ。

今上天皇が践祚されて皇位に就かれたのが令和元年(2019年)の5月1日、だから今日は即位3周年と言うことになる。この3年間は本当に大変だった。特に今はコロナ禍も完全には終わってないうちにロシアがウクライナに侵略して戦争が始まり、第二次世界大戦後の世界秩序が再び大きく動揺している。日本はこの80年足らずのうちに経済的に繁栄し、そして凋落し、世界的な地位も上がったり下がったりしている。上り坂の時代に生まれた天皇陛下より私は学年にして3つ、西暦にして2年後輩になるのだが、ほぼ同じ時代を生きてきた意識があって、特に即位後のご苦労には同情申し上げるところがある。

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/5M19W7PVPW/

昨日は1時前に寝たのだが6時前に目が覚めて、それでも割合よく眠った感触はあったが時間としてはそんなに長くなかったと後で気づいた。と言うのは、寝る前にETV特集で「ウクライナ危機 市民たちの30年」と言うのをやっていて、みたのは途中からなのだが、いろいろと思ったことがあったからだ。

プーチンのもと側近みたいな人が出てきて、ウクライナの「オレンジ革命」(2004)と「マイダン革命」(2014)について、そのようなことで政権が後退するとは「国家が未熟であることを知った」とか言って他のは正直に言って「うわっ」と思った。彼らは「市民の手によって政権が交代する」ことは「国家の未熟さの表れ」だと見ていることになる。

そもそもロシアとはどう言う国か。我々の(世代の)イメージでは、ロシアは「世界で最初に社会主義革命を成し遂げたソヴェト連邦の後継国」であり、だからこそ国際連合で常任理事国の地位を持っているわけだが、その発言は市民や兵士が立ち上がって起こしたロシア革命によるソ連の成立も、民主化運動によるソ連崩壊・現代ロシア国家の成立も否定することになる。

そして100年以上前の「帝国主義の一番弱い輪(レーニン)」であった「ロシア帝国」への回帰を主張し、正教会とロシア語に基づく帝国の理念に立ち返ってウクライナのアイデンティティを否定する、「汎ロシア主義」を押し付けるアナクロニズム・ファシズム的な主張と、それに基づく「特別軍事作戦」を正当化しているわけだ。

私たちには「ソ連とその後継国であるロシア」は「革命で成立した国」であり「市民の手によってそれを成し遂げた」という「社会主義革命の幻想」があり、もちろん私自身の中にもあったので、それをロシアの当局者が頭から否定するのはかなり衝撃だった。

この感覚はベルリンの壁崩壊後に生まれた人たちにはわかりにくいかもしれないのだが、「ソ連≒ロシアは進歩的な国」である、と言う意識があったわけだ。しかし彼らのアナクロニズム的な発言は、逆に言えばすでにロシアはそうで亡くなっていると言うことの証明であり、我々自身がアナクロニズムに陥っていると言うことで、「彼らの中にはもう革命幻想はない」と言うことを思い知らされた。「ロシアはすでに社会進化論的な進歩主義からは完全に手を切っている」と考えなければならないのだなと思う。

「社会は進歩していくという進歩史観」とその最大のヴァリエーションの一つであった共産党公式の唯物史観には、「社会主義革命の前段階としてのブルジョア革命」のイメージがあり、だからこそそこにロック的な「革命権の思想」を重ねてしまうわけだけど、それはないのだ。それは、幻想なのだ。

と言うことは、本来「進歩主義」である左翼がロシアに希望を持つのは全くナンセンスだと言うことになる。現在のロシアはむしろ「キリスト教的右翼・白人保守主義=白人極右」の輿望を担う存在なのであり、今まで自分の中でそこがうまく整合性が取れなかったのだが、「現在のロシアは革命国家ではなく、むしろ祭政一致を主張しかねない反近代国家だ」と考えるべきだと整理すべきだと思った。

そのような意味で、ロシアの当局者が「革命」を全く否定するというのは割と悪夢だなと思ったのだが、ソ連崩壊以後、彼らが本当に否定したのはそういうもの、つまり「進歩」であるとか「革命」であるとか「近代」と言うものであったのだなと、割と背筋が凍るような思いをした。「進歩への信頼」は、彼らから失われたのだ。

翻って自分のことを考えてみる。私も基本的にはデカルト主義的な設計主義の進歩主義思想には反対で、政治的には世の中はゆっくり進歩すべきという前進主義的保守主義を基本的な立場とし、経済的には社会民主主義的な高福祉で低所得者層を支え、より経済的に平等な環境の中で機会が広く国民に与えられる、いわば「国民総中流」を肯定するケインジアン的な考え方を持っている。

英米、特にイギリスの保守主義もまた保守や反動というよりは漸進主義なのだが、現在のロシアの在り方は、前進主義というわけではなく進歩に背を向けているというべきだろう。そしてそれはアメリカのトランプ現象などに現れるように、ロシアだけでなく世界でも一定以上の多くの人の心を掴んでいる面はあるのだろうと思う。

現在のロシアでは、特にプーチンは、ウクライナやバルト三国など彼が考える「ロシアの勢力圏の内部」で自分達の意に沿わないこと、理解できないことが起こると、それはすなわち西側の陰謀であるという陰謀史観にプーチン自身が取り憑かれているように思う。そしてそれが正しいと思っているから、プロパガンダも大真面目なのだろう。

今考えると、ソ連の高官たちは自らのプロパガンダはあまり信じてなかったと思うし、例えばラブロフなどは割とそういう感じがなくもないが、プーチンは本気であるように見えて、かなり危ない感じがする。政権担当者が陰謀論に取り憑かれるとそう長くはないと思うが、正気に戻ることは無理そうなので世界の危機は当分続きそうだという感じがする。

このような状態だから、ソ連の支配から解放され、西側と交流を持つようになったグローバルな視野を持つ都市のロシア人の若い人々の中には、現状のロシアに強く絶望する人たちは多く、彼らはフィンランドやドイツなどに出て行ってしまっているようで、そのような人のインタビューもあった。逆にマイダン革命の際に起こったドンバス地方での武装勢力とウクライナ軍の戦闘によってロシアに移住した女性は、戦争を非難しながらも責任はウクライナ政府にあるとしていて、おそらくそれ自体は本当にそう思っているのではないかと思う。

ロシアのことやウクライナの情勢などを考えると、振り返って日本のことを考えることが多い。ロシアと日本の共通点を一つ挙げると、冷戦構造の崩壊後、両国とも経済的に没落した、少なくとも振るわなくなったという点がある。

もともと、19世紀後半の時点で、ロシアや日本は英米に比べて「遅れた」国、つまり近代化が後発になった国だったわけだが、第二次世界大戦後、ロシア≒ソ連はアメリカと並ぶ「超大国」になり、日本は「世界第2位の経済大国」になった。だから日本もロシアも少なくとも部分的には「欧米に追いつき、追い越した」という意識を持つようになったわけだが、今になってみたらそれはなんだったのか、幻想だったのかという感じになっている。

そうなったのはソ連は社会主義の、日本は自民党主導の冷戦下の体制の中で、「社会民主主義的な経済・社会運営による下駄」を履いたおかげで、国民の主流になる層が経済的・社会的に引き上げられ、アメリカに対抗できるような先進性をもてたと言えるのではないかと思ったのだ。

そのあたりはマジックのようで面白かったのだが、ソ連が崩壊してみるとロシアは「超大国」どころか「ただの遅れた国」に戻り、格差も圧倒的に拡大している。日本も「政治改革・行政改革」とか言い出して経済の仕組みも護送船団方式から新自由主義的な競争社会に戻したら、あっという間に日本自体が没落した。

そう考えてみると、高福祉や地方の箱物、道路など、経済評論家や維新をはじめとする改革派の政治家が口を極めて「無駄じゃ無駄じゃ」と連呼していたものたちは、実は日本にとっては「世界的に先進的な地位を維持するための必要コスト」だったのだと思う。一億総中流の幻想、横並び意識こそが、日本の発展の原動力だったのだと今にして思う。上手いことやるやつが成功するという文化は日本のモラルを明らかに破壊し、金を儲ける奴が偉く、金を儲けない仕事は文化であれ福祉であれ教育であれ即座に切り捨てるべきだという風潮が世間を席巻して、日本を三流国に転落させた。今では将来の発展のための必要不可欠である研究開発さえも必要コストとしてではなく贅沢な無駄だと切り捨てられていて、それで将来の発展が起こるはずはないのだが、そうした主張が大手を振っている寒々しい現状になっている。

無駄という呪文で日本の精神的インフラを破壊した新自由主義だが、一度破壊された社会基盤を再建していかなければ日本の復活はないだろう。経済的自由主義で日本はもっと上手くいくというのは幻想だったということを、国民的に確認しなければならないと思う。

皆が同じくらいの生活をするというのが昭和の横並び意識は、確かに不自由ではあったが、だからこそ社会水準が向上したという面はあった。しかし今では人が何か得をするとか優遇されるということが起こるとすぐにそれに対する批判が起こり、嫉妬と足の引っ張り合いになってしまっている。経済格差を無視した「得られる受益の横並び意識」みたいなものが低所得者層の底上げの足を引っ張っている。貧乏な人にはより厚くするのが平等だという意識は英米のリベラルの基本的な考えであり、ハイエクなどはそれを否定しているけれども、日本に適合するのはそういう考え方であったことを歴史は証明していると思う。復活しないといけない。

世界がこれからどうなっていくのがいいのかについてはまだ自分の中ではっきりとまとまってはいないのだけど、少なくともロシアの侵略が「成功」してしまうと世界はより不安定化し、我々にとって生きにくい場所になってしまうだろうと思う。今捨てなければならないのは社会主義に対する幻想というよりも、むしろロシアに対する幻想なのだと言わなければならないのだろう。まあもはや、社会主義対する幻想を持っている人はほとんどいないとは思うけれども、それをロシア(や中国)に投影している人たちはまだいるはずなので、その辺りははっきり主張するべきだろうと思う。

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