ヒロアカとか/経験による学習/経済成長と創造性

Posted at 22/02/05

2月5日(土)晴れ

まだまだ寒いが、昨日は立春。七十二候は「東風解凍(はるかぜこおりをとく)」。当地でもまだ日陰に雪は残っているけど、大体は融けた感じ。朝の空の明るさも、だんだん春の色になってきた感じがする。

昨日は忙しかったのとなんというか疲れが出ていた感じがして、ブログを更新できなかったのだけど、合間合間で漫画を結構読んだ。昨日買ったのは「僕のヒーローアカデミア」33巻、「WitchWatch」4巻、「株式会社マジルミエ」1巻、「センゴク権兵衛」26巻。ヒロアカは一人で頑張っていたデクをA組の生徒たちが「助ける」話。お茶子の頑張りとオールマイトの再度の覚醒。見どころが多かった。「WitchWatch」も相変わらず自由な展開だが、4巻はかなり面白かったな。狼男と猫の魔女のやりとりがかなりいい。「株式会社マジルミエ」はジャンププラス連載の魔法少女マンガなのだが、この世界では魔法少女は「職業」として「怪異」と戦う、という設定。就活・職業マンガの側面もあって面白い。「センゴク権兵衛」はついに秀吉の死の間際、そしてセンゴク妻・お藤の死。次巻完結との予告。連載では今関ヶ原直前の展開だが、どこまで描かれるのか。

***

「資本主義の新しい形」:2-2-2人的資本と内生的成長論ーその意義 を読んだ。

新古典派のロバート・ソロー(1924-)の成長モデル

Y=AF(K,L) Yは生産水準、Aは全要素生産性、Kは資本投入量、Lは労働力投入量

に対して「知識」≒「人的資本」を取り入れた新しい成長モデルの公式が幾つか出てきたことが紹介されている。

ポール・ローマー(1955-)のモデルは新古典派の「限界生産力逓減」の仮定を批判し、知識を生産要素と位置づけ、その増加が直接生産の増加に貢献するものにされた。

Y=F(k,K,x)

kは個別企業の持つ知識、Kは社会全体の知識ストック量、xは個別企業の知識以外の生産要素ということになる。つまりこの式では各企業の知識量だけでなく、社会全体の知識量が生産に貢献するということになる。

この辺りに関しては、ローマーの独創によるだけでなく、1960年代のケネス・アロー(1921-2017)らによる研究が反映されているのだという。アローは学習の蓄積によって生産性を高めるプロセス、「経験による学習」をモデルに組み込んだ先駆者で、経験を積み重ねることでより生産性が高まるところに着目して、「限界生産力逓減」ではなく「収穫逓増」を想定しているわけである。

これらの1960年代の「学習が経済成長に寄与するメカニズム研究」の第一人者の一人が宇沢弘文(1928-2014)で、宇沢は「人的資本を明示的にモデルに組み込んで成長理論を構築した最初の人物」なのだという。彼はソローモデルにおけるL(労働力)を学習による効率化係数AをかけてALとしてモデルに組み込んだ、つまり労働力を単に固定された量的なものでなく、成長するもの、人的資本に組み替えたことになるのだ、という。

個人的な思い出をいうと、宇沢先生は私が東京大学に入学したときの経済学部長で、武道館の入学式でも壇上におられ、あの仙人のような白く長い髭が強く印象に残っている。また本郷に通うようになってからも、経済学部の近く、つまり赤門のあたりでジャージを着て走っておられる宇沢先生の姿を目撃した。最近になるまでどういう先生なのかはよく知らなかったけれども、今になると若い頃に一度は先生の講義を聞いてみたかったなあという気はする。

ローマーのモデルの重要性は、経験による学習による知識の増大によって「収穫逓増」が起こる、つまり経済成長が起こるということをモデル自体によって説明しているところにあるわけだ。ソローのモデルが生産力逓減を前提としたため外部的な要素としてのイノベーションを介在させないと経済成長の継続が説明できなかった(外生的成長理論)のに対し、ローマーのモデルはそれ自体が経済成長継続を説明することになるわけで、「内生的成長理論」と呼ばれるのだそうだ。

ただローマーのモデルでは「知識」は組み込まれているが「経験による学習による人間の成長」がはっきり組み込まれているとは言えず、それを組み込んだのがロバート・ルーカス(1937-)だったという。彼のモデルは

Y=F(K,H)

で表され、つまり生産水準はK=物的資本とH=人的資本の二つの関数である、としたわけである。これはソローモデルのL=労働力をH=人的資本に入れ替えたものになるわけだが、人的資本は単なる量的概念ではなく、「教育」など「人的資本への投資」を通じて蓄積を高めて生産性を向上させることができる、と考えられるわけである。

ルーカスは人的資本は1・「教育/学習」と2・「経験」を通じて蓄積されるとしたそうだ。ただこの辺り少しよくわからなくて、1を中心に考えると「蓄積」は学習によってのみ増えると考えられ、労働時間を減らして学習時間に割り当てることでそれに比例して蓄積が増えることになるし、2を中心に考えると蓄積は労働時間に比例して増大することになるわけで、恐らくはその両方が想定されているのだと思うけれども、まあこれは両方とも自分の経験に照らしてみればわからないことはない。

つまり、同じ仕事を続けている場合、やればやるほど要領が良くなり生産性が向上するというのは2を中心に考えた場合だろう。しかしそれだけでは限界があるということも確かで、新しいやり方を研究したり先人に学んだりすることに時間を多少振り向け、新しいやり方を取り入れることで生産性が向上するということも確かにある。そういう要素が最終的に経済全体の成長を促す、というのはあまり考えたことはなかったが、確かにそういう面はあるなと思った。

この辺りについては述べられてはいないけれどもQC(品質管理)運動のことを思い出した。職場におけるQCサークルで品質管理について話し合うことで問題点を見つけて改善していく運動だけれども、これもこうした60年代から続く生産力向上のための努力の一環だろう。これが1と2のどちらに当てはまるのか、両方にまたがるもののようにも思うが、その辺りが経済成長に結びつくという側面はあるだろうなと思う。

ただ、こういう現場で出てくるものは全く新しい創造にどれくらい結びつくのかという問題はあるわけで、経済成長理論だけにとどまらない創造性理論全体の問題にもなってくるように思った。


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