情報通信技術が作り出した新しい世界

Posted at 22/01/13

1月13日(木)晴れ

朝のうちはよく晴れて冷え込んでいたけれども、7時を過ぎて少し雲が出てきた感じ。今日は西高東低の気圧配置が強まりそうなので日本海側はさらに大変そうだ。新型コロナの急拡大も大変そうだし、今週末には大学入試共通テストもある。入試の時期は6月などもっと暖かい時期にするべきだと前から思っているのだが、去年に引き続き今年も受験生は大変そうだ。体調に充分配慮して頑張ってもらいたい。
情報資本主義の基本的な知識を取り入れるためにまず中野明「IT全史」から読み始めたのだが、面白い。通信技術の歴史についていかに知らなかったかがどんどんわかってくるのだが、とりあえず第2章、電信のところまで読み終えた。学者ではなくノンフィクションライターが書いているということで、雑学的な面白さもてんこ盛りで、自分の書く文章のタイプは論文や啓蒙書よりもこっち寄りだなあと改めて思った。

腕木通信は1793年に発明され、1840年代後半まで公的通信に盛んに使われていたということなので、大革命からナポレオン時代、復古王政、七月王政まで公的な情報は腕木通信でもたらされたことになる。二月革命直前に腕木通信から有線電信への通信革命が起きたということになる。1845年にルイ・フィリップがルアン滞在中にパリの情勢を電信で受け取り、その有用性に目覚めたのか翌年に置き換えが決定されたとのことだ。

新技術のマイナス面としては、1834年にはすでに腕木通信を悪用(公的な通信に私的な株式市場の情報を紛れ込ませ不当に利益を上げる)した犯罪が起こっているという。「モンテ・クリスト伯」には腕木通信を使った経済犯罪が描かれているというが、これはこの1834年のブラン兄弟の犯罪に取材されているということのようだ。腕木通信の機械部分の設計製造を担当したのはあの腕時計のブレゲ社を創立したアブラアン・ルイ・ブレゲだとのこと。(アブラアンとはアブラハムのフランス語読み)そう聞くと急に高級な技術に思えてくるが、実際ブレゲはこのことを喧伝し、開発者のシャップをおびやかしたようなのであまり笑い話にもできない。

19世紀の情報通信技術が国際情勢に大きな影響を与えた事件と言えば、普仏戦争の引き金となった1870年のエムス電報事件が有名だが、すでに電信の実用化から20年少し経っている。この辺りは歴史書でもそう詳しく出てくる話ではないから、通信技術の歴史をまとめて押さえておくことは大事だなと思った。

産業革命で発展した他の事業との関連で言えば、電信技術についてはアメリカのモールスが有名だが、その前段階としてイギリスでクックとホイートストンの電信技術が最初に鉄道会社で実用化されたことは興味深い。通信技術が出来る前は次の列車は一定の時間差を置いて発車させてたので故障が起こってもわからず衝突事故を起こしていたという。現代でも通信の不具合で電車が止まることはよくある。

私自身の記憶でも、1970年代は中核派などによるテロといえば爆弾事件が中心だったが、80年代に国鉄の通信の電線を切断するというテロがあり、広範囲にわたって影響が出たことがあった。鉄道本体の破壊でなくてもかなりダメージが与えられるということで、鉄道の運行にとって通信がいかに致命的な重要性を持つのかがよくわかった。

最初にモールスによる実用的な電信線が開通したのが1844年で、その通信方式であるモールス信号はパートナーのヴェイルによって改良されて今の形になったとのことで、大統領選挙の結果を列車よりひと足早く伝えたことでその力を証明したのだという。モールスの本業は画家だったというのも面白い。

ペリー来航翌年の1854年には合衆国の電信線の総延長は6万キロを超えていたという。ペリーは蒸気機関車の4分の1模型を幕府にプレゼントしたことは読んだ覚えがあるが、この時に電信機も贈られていたとのこと。

新しい技術が出てくると古い技術は廃れてしまうわけだが、フランスでは1846年に電信網で腕木通信網を置き換える決定がなされ、1855年には腕木通信は全廃されたという。しかし、腕木通信が廃止されて電信が普及するまでの過渡期に腕木通信の技術を残した折衷型の通信機があったらしい。この辺りも古い技術との互換性・継続性が現代でも問題になることと共通しているが、結局廃止されたとのことで、腕木通信には戦傷者が雇用されていて社会政策の側面もあったようなのだが、彼らも新しい通信方式に順応したということだろうか。これは現代のネットの世代交代にも重なる。新しい技術についていけないことで職を失うことは、今に始まった事ではない。

電信の通信としての重要性は、電信網が国境を越えて世界化したことだろう。蒸気船がまだ完全には実用化される前、つまり半分は帆船でもあった時代の1850年にはパリ・ベルリン間に開通し、1851年にはドーバー海峡を越えた。1858年には大西洋を越えたが障害が起こり、完全に再開したのは1866年だったようだ。また他国を経由しないイギリス・インド間の通信線が開通したのは1870年だったという。幕末維新期がまさに電信の世界的な日進月歩の時代だったのだな。1871年には長崎・上海間が開通し、日本とイギリスが電信で結ばれることになったということのようだ。この辺のことは幕末維新史や明治時代史を読んでいても結構気になるところだったのだが、何を調べればわかるのかわからなかったので、勉強になった。

電信によって発展した事業体に通信社がある。通信社はニュースを収集し新聞等に配信する事業だが、ヨーロッパの通信社は19世紀にはフランスのアヴァスとその元職員が作ったイギリスのロイター・ドイツのヴォルフの三社で独占していたという。アメリカのAPも加わって4強になったが、アヴァスはナチス占領下で解体され、ドゴール亡命政権のもとのロンドン支局がロイターと提携し、戦後AFP通信を作ったということらしい。ヴォルフもナチス政権下で解体され、戦後新たにDPAが発足したらしい。この辺りはググって知ったこともまとめてある。この辺りの通信社の戦国時代みたいな話もかなり面白い。情報戦というのは国家間の争いでもあるが通信社間の営業の争いでもあり、情報通信の歴史というものにはこういう側面もあるなと思う。

ロイターは上海長崎間の電信線が開通した翌年には長崎に通信員を置いたのだとか。大英帝国をバックにしたのがロイターが世界一の通信社になった大きな理由だろう。ロイター自身はドイツ出身のユダヤ人だということだ。新聞も論説中心からニュースの速報性を売りにするようになったのは電信の発達がきっかけだということで、通信社の力も大きかっただろう。

また電信の発達の影響で起こった新しい職業としては、もちろん電信士があるのだけど、その電報を届けるメッセンジャーボーイや通信社の通信員なども新しい仕事だ。メッセンジャーボーイ出身でのちに名を成した人としてはエジソンやカーネギーなどがいて、通信員としてはヘミングウェイがいるという。

現代でも通信費を節約するために携帯電話のワン切りによってメッセージを送ったり、ポケベルの時代にはまた違う暗号的なやり取りが女子高生の間などでなされていたが、同じようなことは電報などでもよくあって、文章を省略して送ることは多かったという。"mckinley shot baffalo"という電文を受け取ったロイターの若い編集者が「マッキンリー大統領が野牛を撃った」と解釈してボツにしようとしたが、ヴェテラン編集者が「マッキンリー大統領がバファロー(ニューヨーク州)で撃たれた」というニュースだということに気づいてスクープを逃さずに済んだということがあったという。

ヘミングウェイの簡潔な文体はこうした通信員時代の経験が生かされているという見立てがあるのだそうだ。

また電信が必要性を感じさせ、また可能にした現代技術には一つには天気予報があるという。これは1854年のクリミア戦争で英仏連合艦隊が荒天により敗北したことがあって、その時から天気予報の必要性が強く認識されるようになったのだという。クリミア戦争がもたらしたものは医療における看護のシステムだけではなかったわけだ。天気予報は各地の気象観測の値を電信で集める必要があるわけで、電信技術が大きな役割を果たしたということが言われてみてよくわかった。今でもラジオのNHK第二の「気象通報」で各地の観測値を読み上げているが、気象衛星のない時代はこれがあって初めて天気予報が可能になったのだよなと改めて思う。

またもう一つは標準時の設定で、当初はどこでもその場所での太陽の南中時刻を正午としていたが、鉄道による短時間での長距離の移動や電信を送受信する時刻を距離の離れた場所で共有する必要性から標準時の必要性が認識されるようになったのだという。イギリスではすでに1840年代にグリニッジ天文台での時刻を電信で各地に伝えるようになっていたが、グリニッジ天文台を本初子午線として世界を24の時間帯に分けたのは1884年のワシントンで開かれた国際子午線会議であったという。ググった知識を付け足すと、この会議には日本からも参加している。またフランスはこの決定を不服とし、「グリニッジ標準時」という言葉を使うこと自体を拒んで、「9分21秒遅れのパリ平均時」と称したという。

まあそんなこんなで「IT全史」、面白い。これは学者さんでなくノンフィクションライターが書いてるということが大きいのだろうなと思う。あまり関係ない、というか違う分野の話をアナロジーで持ち込んだり、関連性のある話をおまけにしてたりしてネタが幅広い。学問的な正確な記述の方法論とは違うだろうけど、私も教員の時はそういう喋りだったし今でもそういう文章の書き方なので親近感がある。上の文章も本書で読んだことだけでなく自分の経験や読んだもの、ググった知識をかなり付け加えている。まあそうでなければ完全な受け売りになってしまうけれども。

実際起源を考えると気象情報一つとっても軍事的にも経済的にも重要な情報であったわけで、情報が死命を決するという状況は今に始まった事ではないが、商業的なインフラ、産業的なインフラ、金融的なインフラや国家システム、教育などの再生産システムがととのってくると「情報が動かすもの」が人類全体に影響しうるような状況になってきているわけだなと改めて思う。「情報の重さ」というのは「情報に紐づけられているものの重さ」であるわけで、人類が作り上げてきた富とシステムの重さがそこにかかっているということなわけだな。

情報通信技術の発達によってあらゆる情報が伝えるようになっただけではなく、情報通信技術そのものによって作られた情報もたくさんある(天気予報など)ということは改めて認識した。また読んでいきたい。

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