「鎌倉殿の13人」第1回を見た。(やや長文です)/「おおきく振りかぶって」:負けゲームの重要性

Posted at 22/01/10

1月10日(月)成人の日 曇り

今朝は曇っているためか冷え込みは弱い。天気図を見ると遠い東の海上に高気圧があり、冬型の気圧配置が弱まっている。今のところ穏やかな日和になりそうな感じではある。当地の現在の気温はマイナス0.9度、最高気温は6度の予想。

昨日は「ハロー、ユーラシア」を最後まで読んだり「おおきく振りかぶって」を何周目か、最初の方を読み返したりしていたのだが、夜は今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見た。


 

「鎌倉殿の13人」と言うのは私はてっきり頼朝死後の13人の合議制のことを指していると思っていたのだけどそうではなく、鎌倉幕府成立の過程の中で重要な役割を果たした13人の武家貴族・文官貴族を指しているようだ。

昨夜の第一回は冒頭がいきなり伊東祐親の襲撃を避けて女装して逃げる頼朝を後ろに乗せて騎馬を駆る北条義時、と言う場面から始まるのだが、これは祐親が監視下に置いていた頼朝が祐親の娘と通じて男児を儲けたことを京の大番役から帰ってきて知った祐親が激怒し、義時の兄の宗時が密かに北条家に匿ったことから起こった成り行きで、義時は心ならずも頼朝に従い、また密かに食事を届けさせた政子がよりともに一目惚れしてしまうと言う設定になっている。

時代的には1175年なので他の人の考察などを読むと主要登場人物は史実では頼朝は28歳、義時らは10代のようだが、大河ドラマによくある若年時代の別キャストというのは今回は使われていないようなので、年齢不詳にはなっている感はある。

平治の乱の敗戦により頼朝が伊豆に流されたのは1160年なので、第一回のドラマではラスト平治の乱以降の朝廷(後白河法皇・平清盛)・木曽(木曾義仲・巴御前)・平泉(藤原秀衡・源義経)の主要人物の紹介が詰め込まれていたが、メインのストーリーでは伊東祐親と頼朝の対立に巻き込まれた北条家の面々、というのがメインになっている。宗時・政子・義時・実衣の四人兄弟が中心のストーリーになるのだと思うが、時政の後妻となり頼朝死後に火種となる牧の方の嫁入りも語られ、また曽我兄弟の仇討ちの淵源となる伊東祐親による工藤祐経の追放も語られていて、ストーリー構築として情報量の多い第1回になっていた。

あまり認識していなかったが、頼朝が流されたいたのは伊豆なので伊豆の武士たちの人間関係というのが初期ではかなり重要になるわけだけど、平清盛の威光を振りかざす伊東祐親とそれを持たずにフォロワー的な地位の北条家と三浦家、追放された工藤という三者のありようがまずはポイントだったかと思う。

この辺り、当時の伊豆の知行国主が誰だったのかとか北条と伊東の荘園の本家・領家が誰だったのかとか構造的なことをもう少し知ってるとよかったかなと思ったしまたドラマ本編で言ってもよかったのではないかという気もしたが、流石にそこまではやらないんだなとも思った。

ドラマとしては頼朝の何を考えてるかわからない御曹司ぶりの中で息子を殺されたことを知った後で義時の前では飄々としてみせ、近臣の安達盛長や新たに下についた工藤祐経の前で激情をあらわにする二面性の演技が印象に残った。もともと酷薄なイメージのある頼朝を三の線である大泉洋が演じるというのがどのくらい上手くいくのかというのはちょっと疑問があったのだが、女装場面などギャグっぽい部分ではいいけれども武士の棟梁たるのちの鎌倉殿の貫目としては今のところちょっと物足りないように感じた。しかしまあ、今の役者でそういう「貫目」を出せる人に誰がいるのかと言えば難しいことではあるので、まあそんなものなのかなとも思う。

義時を演じる小栗旬の、兄に頼朝の前に引き出されて戸惑い目をキョロキョロさせる場面、義時に言われて頼朝に食事を届けて「頼朝に違いない♡」となるルンルンの場面など、ある意味サブカル的というか昔の小劇場などでよく見られた演技ではあるが自分が最初に見た時は「マンガ的な演技」だなと思った。まあ実在の人間の動きをデフォルメして描くのがマンガであるわけだからそのマンガの真似をする演技というのは人形浄瑠璃の動きを真似る「人形振り」ならぬ「マンガ振り」ともいうべき演技で、まあこの辺は好き好きな気はするが現代日本的な演技ではあるんだろうと思う。三谷脚本というとこういう本というイメージがあるが、どういうものをこの作品で見せてくれるかは一つ楽しみでもある。

「若者たち」の演技の重石になっている坂東彌十郎の北条時政、浅野和之の伊東祐親はさすがだと思った。この二人はよく知らなかったので今ググって調べたが、彌十郎は三津五郎門下から守田勘弥門下と大和屋一門ではあるのだが師匠の急死が続いて役がつかず、3代目猿之助一座で幹部となり、さらに18代目勘三郎の平成中村座で活躍したという経歴の持ち主だとのこと。沢瀉屋の芝居は結構見ていたのでおそらく当時の劇パンなど見ればああこの人かと思い当たると思うのだが、当時の猿之助一座は多士済々だったのでどちらかといえば老け役をやってた人なんだろうなと思う。浅野和之はワンピース歌舞伎などに出ているそうで、やはり時代劇・伝統演劇には割と近いところにいる人のようだ。日本の演技陣は最終的には歌舞伎に支えられている部分があるなと改めて思う。

この作品は本来中世史学者の呉座勇一さんが監修する予定だったのがSNS発言問題でキャンセルされた経緯があり、色々な意味で注目していた(もともと最近中世史には関心がある)ので、楽しみにしていたとか面白かったというのとも少し違うのだが、どういうドラマを作っていくのかには関心があり、第1回から録画しつつ定時で鑑賞している。今後の展開に期待したい。


昼間読んでた「おおきく振りかぶって」について少し。この作品は1年生のみの新造チームである西浦高校野球部が女性監督の元で甲子園優勝を目指して戦っていくストーリーなのだけど、今までの連載の中で試合に負けたことが3回あり、それぞれが重要な転機になっているのが興味深い。

最初の敗戦は夏の大会の4回戦の美丞大狭山戦。この試合では捕手の阿部が負傷退場し、代わりに出場した未経験者の西広が最後のバッターになって手も足も出ず三球三振するのだが、そこで悔しさで泣き崩れる場面から、チームの目標として甲子園優勝を目指すことになるという展開。

二つ目の敗戦は秋の大会での千朶戦。9回に出てきたエースの投球に三橋、泉、沖が三者三振で終わる。格の違いを見せつけられ、大きな目標に向けての自分たちに足りないものを(技術と体格的な強さなど)強く自覚させられたという展開。

三つ目の敗戦は4市大会という埼玉独自の大会だが、夏の大会で西浦にコールド負けした崎玉が見事リベンジしかえす試合。最後のバッターになったのはまた沖だったが、今回はびびりながらも確信を持って見逃した球がストライクと取られて敗戦になる。ここではその理由が審判の判定は重大な場面では多少外れていても「打て!」という意味でのストライクを取る、という最近の審判の流れによるものという説明があり、また西浦に欠けていたのは「勝利への執念」である、ということを悟らされる、という展開だった。

こうして書いてみると、20年近く続く連載なのにちゃんと新しいチームが強くなっていく過程というテーマが一貫して描かれていて、すごいなと思う。携帯やスマホなどのアイテムはどんどん変わっていくのでその辺長期連載の難しさだなとは思うが、アップデートしていった方が同時代的な違和感はないのだろうなと思う。

つい何度も読み返してしまう作品なのだが、改めて今後に期待したいと思った。


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