タゴールの詩/大平の活動

Posted at 21/11/30

11月30日(火)晴れ

毎日天気がいいなあ。そのために毎朝零下まで気温が下がるのはまあ勘弁してもらいたいのだけど、それは自然の摂理だから仕方ないという面はある。県外に出ると、諏訪がいかに寒いのかよくわかる。寒い土地で寒いなりに、人は生きていく。

Twitterでタゴールの詩を読んで感動した。

「私は、両の掌を合わせて差し出すように、両の目を、日毎、空に向けて仰ぐ。あれは、私の生誕を最初に喜び迎えてくれた光。いま、日没の海の岸辺で、私の生(いのち)の最後の捧げ物を、この光の戸口に供えよう。」

空と光、太陽と海との会話。こういう言葉が自然に書けるような詩人はいいなあと思う。

私が生まれた時の総理大臣は池田勇人だったが、2歳の時に佐藤栄作に代わり、小学校4年まで(1972年)佐藤だったので、子供の頃は「総理大臣」といえば佐藤のイメージが強かった。佐藤の後は目まぐるしく首相が交代し、大学2年の1982年に中曽根が総理大臣になってひと段落した感があった。その間に総理大臣だったのは田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸と10年間で5人が総理を務めていたわけだ。

池田と佐藤は高度成長時代の首相という感じで、田中は日本列島改造論から金脈問題と財政的に派手な印象とともに日中国交回復、三木は金脈・ロッキード問題追及と終戦の日の靖国参拝、福田は昭和の水戸黄門とかダッカ事件の「人命は地球より重い」とか総裁選で大平に敗れて「天の声も変な声がある」とか妙に印象に残る人たちだったのだが、大平というのは地味というか「あーうー」という口癖が印象に残る一方で昨日も書いたように矛盾した印象が残る人だった。

総理大臣在任が一年半、大蔵大臣が田中・三木内閣で二年半、外務大臣が池田内閣・田中内閣で合わせて4年、通産大臣が佐藤内閣で一年少し、官房長官が池田内閣で二年と要職を歴任し、党の方では福田内閣で幹事長を二年、また政調会長を佐藤内閣時代に務めるなど、池田内閣以来かなりの時期に要職を務めている。だからその時々の新聞等を読めば大平という人の思想と政治はわかると思うのだが、中でも外相経験が長いということはググってみて割とへえっと思った。

日本外交が脚光を浴びるのはロンヤス関係と言われた中曽根時代以降という印象があるから、その前の割と地味な時代の外交の担い手の一人だったのだなと思う。

戦後の日本の経済財政政策は傾斜生産方式、護送船団方式、所得倍増計画、消費税導入による歳入改革、行財政改革と三公社五現業の民営化、平成に入ってからの様々なネオリベラリズム的な政策など、色々なメルクマールがあるが、高度成長をもたらした所得倍増計画とそれを終わらせた消費税導入がどちらも宏池会の主導で行われていることは興味深いなと思う。現在の苦境にある日本の経済財政政策がどこでどう間違ったのかという疑問も、この辺りから解いていくことが必要なんだろうなと思う。

大平に関しては今まであまり関心がなかったので、昭和後半の歴史についての本においても福田や田中、宮沢についての本、中曽根の著作などは持っていても大平に関するものはなかったので、とりあえず福永文夫「大平正芳 戦後保守とは何か」(中公新書、2008)を注文してみた。とりあえずこのあたりから読んでみたい。

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