世界のよくない状態を生き延びる/没入しすぎない/保守的な合理性

Posted at 21/11/09

昨日は松本に出かけるつもりだったのだが、どうも体調がイマイチで疲れが残っている感じだったのでやめて、岡谷の書店に出かけた。結局本は買わなかったのだが、来年のスケジュール帳とゴンチチのライブ盤の中古CDを買った。

いつもとルートを変えて最近あまりいっていないスーパーで夕食の買い物をしたのだが、思ったより惣菜関係が少なく、こんな感じだったっけなと思う。この辺りの近辺は市町村ごとにそれぞれなんとなくの個性があり、スーパーも同じ系列でも店によって微妙に個性があるのだが、岡谷はまあ言えば庶民的なスーパーが多い気がする。と言うようなことを考えているうちに最近行ってなかったスーパーをまた思い出したので、また買い物の時に行ってみようと思う。

本を立ち読みしていて、ある本を読んでいるうちに今の時代がやはりかなり良くない時代である、世界も日本もあまり良くない状態になっているということを改めて思い、自分が感じている違和感というか時代への気持ち悪さみたいなものの理由が少しわかった気がした。やはり日本も世界も、かなり雰囲気が悪くなってきている。新型コロナが先か、雰囲気が悪くなったのが先かで言えば、雰囲気が悪くなったからこういうパンデミックが起こったのだろうという感じがする。まあこういう言い方をするとオカルトっぽい感じはするが、そういう直感のようなものから自分の気持ち悪さのようなものがきているんだなと腑に落ちたのはよかった。

しかし時代や世界が良くないからといって今生きている以上は生きるしかないわけなので、どうすればその時代や世界の毒に当てられないで生きられるかということは大事なことだし、できればそういう世界の毒のようなものを僅かにしろ消していければいいのだけど、まずは生き延びることが大事だなと思う。

どうしても毎日知らず知らずのうちに意気消沈してしまう感じがあり、ただ世界に向かって無防備に心を開いていたら恐らくはそうなるのが当然というようなところがあるのだろうなと思う。ただ心を閉じて仕舞えばいいというものではなくて、恐らくは考えすぎないように、頭を空にするようにしていくのが良いのだろうなと思う。なるべく頭を空にできるように、1日のルーチンをもう一度見直そうと思っている。
昨日はなんとなく「おおきく振りかぶって」を読み始め、読んでいるうちに気持ちが明るくなってきた。ただ没入してしまうと時間がわからなくなるので、気をつけないといけない。特に平日は切り替えが大事だ。


 

「日本の農村」。「農村に存する不合理の合理」という話で、農業経営をずっと続けていて晩年を都市の住宅で過ごした老人が、自宅に作業場を設けて稲藁や木の皮、あけびの蔓などで蓑や箕、手籠などを作って近所の家を訪ねるときの手土産にしていたという話があり、そうした道具は古くなれば土に返せるが、プラスチックの道具はそうはいかない、という話が出ていた。

これは使うときの手間だけを考えれば不合理なのだが、それらの道具が使えなくなった後の後始末まで考えれば合理的なわけで、SDGsなんて浅薄なものではない、本来の保守的な合理性というのはそういうものなのだろうなと思ったりした。

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