大乗仏典の排除と上座部仏教の成立

Posted at 21/07/09

「レンマ学」を読みながら、大乗仏教と上座部仏教についてウィキペディアで調べたりしているのだけど、いろいろ知らなかったことを知ってこの周辺のことを知るにもいい機会になっているなと思う。

大乗仏教はブッダの悟りの内容を考察し研究することで発展していった一大体系だということを理解してきたが、上座部仏教も当然ながら教義的な発展があるのかと思ったが、Wikipediaを読んでると教義的な発展より戒律や喜捨など実践的な方面が重視され受け継がれたのが上座部系の特徴と考えていいのかなと思った。そういう意味で教義的な深まりや発展よりブッダ時代、部派仏教時代の古態が保存されていると考えられているけれども、数千年の間に当然変化はあったはずで、そのあたりはちょっと面白そうだなとは思う。

少し調べると、現在の上座部仏教は4世紀頃のスリランカのマハーヴィハーラ(大寺)派を起源とするもので、彼らはアバヤギリ・ヴィハーラ(無畏山寺)派と抗争し、12世紀に大寺派が政党とされたと。玄奘は前者を小乗上座部、後者を大乗上座部とし、後者では大乗経典も研究されていたと。つまり現在の上座部仏教では大乗仏典が意図的に排除されて現在の形になっていると考えられるということを理解した。この辺も面白い。

キリスト教の教義的な発展みたいなものも三位一体説くらいが最後だったのだろうかと考えたり。もちろんフス派やルター派・カルヴァン派の試みも教義論的な「発展」ではあるし20世紀の危機神学みたいなのもあったけど神の本質に関わる議論は三位一体説以降あるのかな。この辺りについては何を言っても異端になりそうだし、神の本質についての議論は三位一体説の確立でそれ以降の発展はないということでいいのかなと思った。

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