古塔つみ作品集「赤盤」:見たいものと見せたいもの/2021年の時代感

Posted at 21/06/08

古塔つみ作品集「赤盤」読んだ。と言うか、画集だから、見た。いろいろな女の子が描かれている画集という感じなのだけど、面白いと思ったのは、「だらしない女の子」を描くのが上手いなということ。男性作家だと「だらしない女の子」を書いてもついそこにある色気だとか隠しきれない愛嬌だとかそういうものを描いてしまうのだと思うのだが、この作品集のだらしない女の子は、だらしない。そしてだらしなさが愛嬌になっている。こういうのは男性だと描けない気がする。

古塔つみ作品集 赤盤
古塔つみ
芸術新聞社
2021-03-25

 

男性が女の子の絵を描くと、基本的に「見たいもの」を描き、「見たくないもの」は避ける、という感じになる気がする。しかし女性が描くと「見せたいもの」を描き、「見せたくないもの」を避ける、という感じがある。これはグラビア写真などもそうなのだが、男性は見たいように撮るのでああ、見たいポーズを取ってるなと思うのだが、女性の撮る写真というのはあまりこちらがピンと来ないことが多かった。

ただこの作品集を見て、ああこういうところを見せたくて、こういうところを見せたくないんだなというのがよく伝わってくる感じがする。だらしなさというのもその一つなのだけど、男性作家の描く女性というのは今ひとつ自然体のだらしなさではないのだけど、この人のだらしない女の子はああ、自然だなと思う。そこに作り物ではない「らしさ」が現れているのは見ていて面白いなと思う。

自然と言うとなかなか抽象的なんだけど、つまりここに描かれている女の子たち、特に自分がいいなと思った絵の子達は「力が抜けている」のだよな。それも、表情とかだけでなく、体の力が自然に抜けている。そう言う絵は今まであまり見たことがない。

どうしてそう見えるのかはわからない、と言うか上手いから、と言うことなんだろうとは思う。また、そう言うふうに他の人の絵が見えなかったのはそう言う視点が自分に欠けていたからなのか、それとも本当にそう言う絵がなかったからなのか、と言うことも他の人の絵と比べるなどしてみないとわからない。

今のイラストレイターの絵を全部見ているわけでもないし、系統だって見ているわけでもないのではっきりは言えないけど、力の入り方とか抜け方とか、体付きも「絵やグラビアの女の子と違って実際の女の子ってこう言う体つきをしてるよね」みたいな感じの描き方で、リアリティがあるのだけどでもどの絵を見てもこの人の絵、みたいな感じになっている。

なんというか、「うっせえわ」のAdoさんもそうだが、「今=2021年の若者の空気感」みたいなものがあるんだよな、と思う。こう言うのも10年もすればまた変わってしまうところもあるので、ある種の時代性でもあるのだろう。

この本はとても禁欲的というか、本当に最初から最後まで絵だけで、余計な判断を挟むような言葉が一切ない。作者の紹介もTwitterやインスタの方が詳しいくらいで、それもまた面白いなと思う。情報部分はネットで十分、と言うことなのかもなと。

作者のコメントやインタビューが掲載された画集も結構あるけど、それが返って夾雑物になってることもよくあるので、こう言うコンセプトの作りもまた、いいなと思った。

この人はYOASOBIのキービジュアルを描いてるのだな。時代感、と言うのもむしろ「時代感にあってる」と言うより「時代感を作っている」アーチストの一人、といった方がいいのかもしれない。



今までのアートや写真のいろいろな潮流も自然に取り入れているし、いろいろな意味で、やはりとても「絵が上手い」人なのだと思う。

***

インタビューを二つ読んでいたらもしかしたら40代くらいの男性かな、と言う気がしてきたのだけど、でももしそうだったらこう言う絵を描けること自体がすごいなと思う。花屋さんの仕事がひと段落して夜が使えるようになったから絵を発表し始めた、とあったけど、そうだとすると日本にはものすごい才能があちこちに眠っていると言うことなんだなと。「こう言う人」と決めつけられるのが嫌だ、とあったので上の内容もそんな感じにとられるかもと思うのだけど、そんなふうに見えると言うこと自体がすごいなあと思う。

インタビューはこちら。

 


 

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Title background photography
by Luke Peterson

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