戦前にあったスターリン体制批判/ナチスと社会主義と日本

Posted at 21/03/15

今一つ体調が良くないので保守主義について調べ考察する作業があまり進んでおらず、関連することなどをいくつか書いておこうと思う。

父の本棚に結構岩波文庫があることを確認したのでいろいろ見ていたら、昭和12年版の「岩波文庫総目録」が出てきて、面白いので少し読んでいた。岩波文庫の創刊は昭和2年なのでちょうど10周年の時。もうかなりの冊数が出版されていた。多くはその当時でも古典と呼ばれるものだったのだが、同時代のものも案外早く文庫化されている例があった。

ソヴェト旅行記 (岩波文庫)
ジイド
岩波書店
1992-09T



例えば、アンドレ・ジッドの「ソヴェト旅行記」。共産主義に傾いていたジッドが病床のゴーリキーを見舞うために訪れたソ連で、彼が見たもの感じたものについて書いているのだが、これは昭和11年にフランスで出版されている。つまり原書が出た翌年にもう文庫化されている(近刊と表示があった)のだが、このしょに対する解説が以下のようなものだった。

「ジイドが血みどろになって辿り得た道が如何なるものであったかは今更多言を要せぬ所である。1936年夏、彼は長い間、憧憬と愛とを寄せていたソヴェト連邦を訪れ、自らの眼にソヴェト現実の姿を見たのであった。その後我々の期待して已まなかったものは、彼の偽らず、仮借するところなき見聞記の現れるところであった。間もなく、この書現るるや、全世界の知識階級に異常なセンセーションを起こした。これこそ現代の知性を代表する大作家の報告書であり、魂の告白ともいうべきものである。」

解説の力の入り方が凄い。この本はゴーリキーを見舞ったジッドがソ連社会について見聞しスターリン批判を行なった本で、左派から大批判を浴びたという。

このスターリン批判は日本ではどのように受け取られたのかなと思うのは、結局戦後は共産党の勢力が急激に新調するからなのだけど、昭和12年当時は日本共産党は、徳田球一は獄中だし佐野鍋山は転向後だし宮本賢治は公判中だし野坂参三は密出国してるし壊滅状態だったので、ショックを感じている余裕もなかったのかもしれない。

スターリン体制批判自体は既に戦前からあったということはこの解説を読んでよくわかった。

もう一つ、ナチスについての田野大輔さんの文章を読んでわかったこと、確認したこと、考えたことなど。


マルクシズムの社会主義とナチズムの Nationalsozialistismus の違いは、マルクス的なものが「階級闘争」を歴史の動因と考えるのに対し、ナチズムの方は歴史の動因を「人種間・民族間闘争」に見た、ということ。階級闘争という考えもある種危険なものではあるわけだけど、「人種間・民族間闘争」が歴史の動因というのは少し間違うと危ないものだなと思った。西力東漸史観のように「西洋」対「東洋」という見方もある意味それに連なる可能性があるわけで、このあたりのところは取扱注意だなと思った。

また Nationalsozialistismus は「国家社会主義」と訳されたり、「国民社会主義」と訳されたりするが、ナチズムは国民・民族を優先する運動であって、国家はそのための手段にすぎないとヒトラーは言っているらしく、これはちゃんと認識してなかったのだけど、理解してみたら思い当たるところはいろいろあった。だから Nationalsozialistismus は「国民社会主義」と訳すべきだということなのだが、これは考えてみればNationの概念、フィヒテにさかのぼるわけだなと思った。

ナチスにとって大事なのは民族であって国家は手段に過ぎないというのは重要な指摘だと思う。「国民社会主義」の「国民」も「国あっての民」ではない。ここは日本語の感覚の「国民」とは違う。日本人の観念だと歴史時代になる前から「国」は存在したわけだから、その国に従う民が自然に国民になる。

しかしドイツ語のNationは「国を持つ民」とは限らない。強いていえば日本語では民族の方に近いかとは思う。そこを区別する妥当な訳語がないのだが。

これはまだドイツという国がない時にフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」という檄を飛ばしたことを思い出すとわかる。ドイツ人統一国家が幻視はされてるが呼びかけられているのは現実にはドイツ民族だろう。

つまりNationというのはドイツ人にとっていわば自明に存在するものというより、回復すべき目標なのだと考えるべきなのではないかなと感じた。フランスが一足先に「国民議会」を実現し、フィヒテの時代には「国民投票で選ばれたフランス皇帝」が君臨したいたということもある。ヒトラーの時代もドイツ人が住んでいたのはワイマル共和国や第三帝国より広い範囲であったわけであるし。

この辺は現代の中国についても似た感じがある。中国は現在でも国民国家を目指していて、ウィグル・チベット・モンゴルなども「中国民族」として統合しようとしている。ナチスと性格は違うが、「国民国家」という見果てぬ夢を見ているところは類似しているように思われる。

国民社会主義に関していうと、ナチスについての研究は「ヒトラーの絶対的意志のもと、テロルとプロパガンダを通じて国民全体を統制する体制」という理解は批判されつつあって、「体制内諸機関の競合・対立や一般民衆の順応・抵抗といった複雑な支配の実態に注目するアプローチが優勢に」なっているということなので、ナチズムを全体主義と捉えることは妥当ではないということになっているようだ。従って「ナチズムが伝統的な左翼・右翼の政治的スペクトルには位置づけにくい、複雑で矛盾した運動だということが共通理解となっている」のであると。

そういう意味で言えば、ナチスは右翼であると単純に決めつけるのも誤っているし、「社会主義」を称しているから左翼であると決めつけるのも間違っている、と考えるべきなのだろう。

社会主義というのも今までに「成功した社会主義」というものが存在したわけではないので、「本来の社会主義」というものがあったとは思えない。ただ、社会主義がルソー以来の「設計主義的な人工社会」の実現を目指しているという点で保守主義的な立場からは批判されるべきだと思うのだが、ナチスに関してはどうも設計主義というのもあまり妥当ではない感じもある。

ポピュリズムとナチスの類似性についても示唆されているが、ポピュリズムの、少なくとも現代右派ポピュリズムの特徴は徹底した反エリート主義にあると思う。それについて言えば、ナチスはハイデッガーをはじめとして多くの当時の最前線の知識人をシンパにしていたわけで、単なるポピュリズムとは言えないだろう。そういう意味では多くの高学歴の若者を取り込んだオウム真理教との類似性の方が強いように思う。

オウム真理教も本格的に研究したわけではないのではっきりは言えないが、恐らくはかなりナチスを模倣していたと思う。当時の日本において、ナチスと近い主張が実現できそうなのが宗教という形態だったという点も重要だろうと思う。そして二つとも、ヒトラーと麻原という極めて強烈で尋常ならざる個性があって初めてあり得た運動という点においても似ているように思う。

ナチスを社会主義と同一視する「全体主義論」については、まだ英米を中心とするリベラリズムの世界では強い支持があると思うが、その辺についてもちゃんと実態を調べたわけではないのでわからない部分も多い。

しかしまた、同盟関係にあったからといって日本の戦前戦中のいわゆる「軍国主義」がナチズムと同類視されがちなこともまた粗雑な議論であるなと改めて思った。

日本では国家というものの存在感が、古代史から一貫して強く、「国民=民族」のための国家たることが割合自明視されており、そういう意味で日本が目指したものはナチスないしドイツのような「国民の発展」のようなものではなく、よりシンプルに英米の帝国主義に近いような気がする。ただこの辺りも「軍部の暴走」「革新官僚」などをどう解釈するかなど、まだ考えたい部分もかなりある。

日本で保守主義というものを考えていくには、いろいろと隘路になるところが多く、なかなか大変ではあるのだけど、まあ考えがいのある作業ではあるなと思ってはいる。


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