新型コロナウィルスがもたらしたもの(2):医療ナショナリズムに敗れたトランプ派と日本の進むべき道

Posted at 21/01/13

先ほど書いたエントリの続きです。

医療ナショナリズムというのは、現在の危機的な状況の中で、医療の立場から様々な国民生活の自粛が求められ、それに応えることが医療を守ることであり、ひいては日本国を守ることである、ということからも必然的にもたらされている。自粛警察や他県ナンバー狩りなどというのは大東亜戦争中の隣組の同調圧力と同じことが繰り返されていると言えば言えなくはないわけで、守らないものは非常識であり、「非国民」であるということになる。

前回の緊急事態宣言・自粛期間中はまさにその同調圧力が猛威をふるい、おかげで感染者もかなり減ったわけだが、政権が交代し、より経済に軸足を置く政策が推進されている中で行われた今回の緊急事態宣言では同調圧力もかなり後退し、これだけ感染者が増えても感染抑制行動をしなければならないという危機意識は相当無くなっている。

これは新型コロナウィルス感染症の流行が長期にわたってきて、初期よりも緊張感が下がり、一度下がった緊張感が彩度は高まりにくいということもあるが、安倍政権と菅政権のスタンスの違いが反映されているというようにも思う。

菅首相は安倍内閣の官房長官を長く続けてきたので基本的に政策姿勢は同じ方向だと思われがちだが、実際にはかなり違う。安倍氏はやはり基本的にはナショナリストであり、日本を守るという姿勢がある。もちろん経済も守らなければならないという課題や、財務省の財政健全化圧力にどう対抗するかという課題もあって、現実的には日本を守るという方向性のみには動けなかった側面もあるが、彼は彼なりにこの感染症と対峙し、真摯にその対策を行ってきたと思う。そしてその姿勢は、時に「アベノマスク」等と揶揄されながらも国民の広範な支持を得てきた。

しかし菅首相は基本的にネオリベラリズムのグローバリストであり、維新の会と同じ方向で「医療よりも経済」の方向性に強くシフトしている。今回の緊急事態宣言もできれば出したくなかったのははっきりと見て取れるし、医療の側からの進言や要望もかなり割り引いてしか実施されていない。一時はマスコミに現れなくなっていた西浦さんが再び積極的にテレビに現れるようになったのも、より危機感を強めているからに他ならない。実際のところ、首都圏の救急医療はかなり危機的なようだし、実際に部分的には「医療崩壊」が起こり始めているように思われる。しかし日本の医療体制は諸外国から見ても手厚いわけで、その手厚い医療が行えなくなる、というのが日本における医療崩壊な訳である。

今までどちらかというと経済重視派が右派であり、医療重視派が左派であるような一般的な感覚があり、それはたとえばアメリカにおけるトランプ派が「コロナは存在しない」と主張しコロナ対策を十分に行わなず、経済を回すことを重視していることからのイメージもあって、トランプ派=右派=ナショナリストという自然連想からもそうした解釈が行われてきた。

しかし大統領選挙の結果の確定が行われている議会に抗議するトランプ派が殺到し、議会に乱入するという事態が起こったとき、左派と考えられてきた民主党が迅速に国家の立て直しを図り、トランプ派に大弾圧を加えているのを見れば、国家の威信を重視しアメリカ国家の尊厳を保とうとしたのが、つまり国家主義という意味でのナショナリズムがどちらの側にあるかと言えば、これは明らかに民主党の側である。トランプ派はナショナリズムを代表するのではなく、プアホワイトを中心とする階級的利益のみを代表する立場に追いやられてしまった。

これは「リベラル」の勝利ではなく、「ナショナリズムの勝利」と考えるべきだろう。トランプのアカウントを永久に削除したり、トランプ派のSNSをアプリストアから排除し、それを支えるシステムをAmazonが排除したりするのは、全くリベラルなやり方ではない。これはGAFAあるいはBigTechと呼ばれるグローバル企業が「特殊アメリカの利益」のために動いた結果であり、これに対してドイツやフランスが懸念を表明するのは当然である。

そして、新型コロナ感染症との関連で言えば、今回の大統領選挙において、トランプ派が劣勢となった一つの大きな原因が、新型コロナ対策への不満であったことは重要だ。アメリカは自国に誇りを持っているし、当然ながら自国の医療体制にも誇りを持っている。それが今回は世界最悪の感染数・死者数を出し、自分たちの周辺にまで死の影が近づいていることに不満を持っているアメリカ人は決して少なくない。

新型コロナがなければトランプの圧勝の可能性もあった今回の選挙が結果的にはトランプの惨敗になったのは、そうした「アメリカの医療」を守れなかったトランプへの強い不満があったとみるべきだと思う。

新型コロナによってネオリベラリズム・グローバリズムは大きく傷ついた。特にグローバル化の尖兵である航空会社は軒並み経営難に陥っている。一方ではワクチン開発の製薬企業、また今回の騒動でも存在感の巨大さを示したBigTechなど、グローバル企業の強さを示した局面もあった。しかし、グローバルな製薬会社も結局はワクチンの配給は自国優先になるわけだし、BigTechの今回のトランプ派封鎖はグローバル企業としての行動ではなく、アメリカナショナリズムへの貢献として行われていることから、今回のパンデミックはやはりネオリベラリズム・グローバリズムの抑止として、その進展に対する歯止めとしての役割が大きかったとみるべきだと思う。

しかし例によって時代遅れになるのが日本であり、政権も財界も経済を回せと躍起になって叫んでいる。本当に経済を回したいのなら所得の低い層への直接給付や低所得層の負担が大きい逆進性の強い消費税の廃止はもちろんのこと、累進課税を強化し、収益を上げている法人への課税を強化し、労働分配率の低い企業に課税を強化するなど、国民に金を回す政策を行うべきだろうが、全くそうした動きはない。また、ここにきて明らかになった医療体制の不備、またワクチン開発など先端技術への資金供給や目配りのなさはこのような状況では実に致命的であるということがよくわかる。

実際のところ「財政健全化=小さな政府政策」というのはグローバリズムが、世界貿易の規制のないことが頼みであったのが、今回の電力需要の逼迫などもLNGの供給不足という貿易の不全が原因で起こっているわけで、危機の状態にある「日本を守る」ということと逆の方向でしかないことは明らかだ。

今後医療(つまり科学)と経済のバランスがどのようなところで落ち着くのかはまだわからないが、今回の危機を踏まえて問題点を洗い直し、「平時にも危機にも強い日本」をいかにして築いていくのか、さらに検討していかなければならないと思う。


月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday