創作の扉を開く鍵

Posted at 20/10/28

まとまった文章を読んで感想を書くには少し時間がないので、アンソロジー的なものや寄稿集的なものの中で一つの文章を読んで感想を書く、というパターンになりそうなのだが、最近読んでいるものの一冊で父の本棚にあった「わたしの知的生産の技術」という寄稿集がなかなか面白く、その中の一編に小中陽太郎「私の耳は貝のから」というのがあったので、それについて書く。
小中氏は作家で最近では「九条の会」など左翼方面の活動でよく名前が出てくる人だが、評論的な物を多く書かれているようだ。調べてみたが、私が読んだ本はないので、私の活動についてはほとんど知らないと言っていいと思う。

この文章で面白いと思ったのは、氏の書斎には蔵書の統一のない本が溢れ、乱雑なビラ・パンフレットの類が溢れているそうで、氏のモットーは「活字よりガリ版が、ガリ版より手書きが大事」という物なのだそうだ。

わたしは割合活字信仰・書籍信仰が強い方だと思うのだが、でもこういうビラやパンフレット、手書きのメモやガリ版の文集などが捨てられないという感覚はよくわかる。昔の芝居をやってた頃のビラや脚本の下書きみたいな物、その時そのときで考えたことを書いたメモなどが捨てられなくて全部とはいえないけどかなりのものが取ってあり、それが本棚や押し入れを圧迫している。

わたしのこういう性向はどちらかといえば一次史料やマニュスクリを重視する歴史専攻者の性かと思っていたのだが、これを読みながらそういうよりはもっと民俗学的な深みまで降りていくような根源があるのかもしれないと思った。

大事なのはこのビラやパンフレットそのものだけでなく、そのビラの背景にある自分自身の思い出、例えば集会のビラならそれに出てどんな思想の刺激を受けたのか、駅弁のチラシならどんな味がし、そのときみた海の風景はどんなだったか、というようなことを保存し、またそれを発酵させて文章にすることだと。

しかし、例えば本当に女性に恋しているときは自分の心理分析などしないわけで、それが始まるのは恋が終わったか終わりかけているときだという指摘はまあその通りだなあと思ったし、だからこそ記憶はいつも悔恨と絶望の味がすると。そしてそれが蘇るのも、プルーストが「失われた時を求めて」で書いたように、マドレーヌを食べているときに突然蘇ったりする。

「こういう微妙で哀切な探知作用、それこそが創作の源泉の一つである」と氏はいう。

そしてこれを他人に伝えるには感性に呼び出された近くを知性によって処理しなければならないと。

つまり氏に取ってビラやパンフレットは創作の扉を開いてくれる貴重な鍵であるというわけだが、ジャン・コクトーの「耳」という詩を引用してただの貝殻が一つの豊かなイメージを生み出すことを挙げている。貝殻と耳が出会うとき、そこには海の響きのイメージが生まれる。それが創作への源泉であると。

コクトーの例は少し本題とずれている感があるが、恋の記憶とマドレーヌの例はこれこそが教養というものだなと思った。そこでちょっと嬉しくなってしまったのは、まあ作者の掌で踊らされた、というようなことなわけだけど、まあそれもまた文章を読む醍醐味だなとは思った。

歴史家にとっての史料は、もう干からびてしまった過去の記憶の残骸からそれが生き生きと生きていた時代を蘇らせる作業の唯一の素材であって、それはよりプリミティブな手書きのものがより多くのものを語っているわけだけど、その全てを読み取ることは容易なことではないし、まあ不可能だ。

しかし文章を書くときは、こうした手がかりがあればあるほど多くのものを書く過程で得られるわけで、わたしもどちらかというととっておくことに重点を置きすぎて、それを使うことまで思い至ってなかったなあと思い、今後はそういうのを生かしていきたいなと思ったのであった。

というか、今わたしがTwitterで書いているようなことは、そういう昔の記憶の残骸を思い出して、あれは今思うとこういうことだったんじゃないかな、ということを考えながら書いていることが多いのだけど。それもまあ、せっかくだからもっとまとまった文章として残していければいいなと思う。

Mon oreille est un coquillage Qui aime le bruit de la mer. 

                                 -Cannnes V Jean Cocteau

「私の耳は海のざわめきを愛するシェル(貝殻)」

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