史跡訪問と本を読むこと

Posted at 20/10/08

今日はバシッとしたものを書こうと思っていたのだが、考えているうちに気負いの方が大きくなってきたのでとりあえずそれはやめて、なんか別のことを書こうかなと。

コロナで東京との往来が難しくなり、コロナ前は毎週週末に東京に帰って神保町や銀座に行っていたのだが、そういうこともできなくなったので今は毎朝車で地元のいろいろなところに行ってみているのだが、大体は神社に行ってこういうのがあるのだなあと調べたり、史蹟資料などを読んで、地元がどういう地理をしていてどういう歴史を持っていて、神社がどのようにあってどの様に祀られてきたのかとか、そんなことをやっている間にいろいろと地元にも自分なりの方法でだが詳しくなってきた感じがあって、やはり積み重ねというのは大きいものだなと思っている。

東京にいる時も自宅周辺を歩いて神社を廻ったりはしていたのだけど、隅田川と荒川の間でもともとが埋立地であり、江戸期以降のものがほとんどなので、むしろ関東大震災や戦災をめぐる地域の歴史などに詳しくなる感じがあった。

どの街もブラタモリ的に歩くといろいろな地理的・歴史的背景が目について面白いのだけど、まあ諏訪はその中でも結構面白い地域だなと回りながら思う。もちろん父祖の地ということもあり、自分のルーツにつながる観察でもあるわけだけど。

本を読むのもそれと似たようなものではないかと昨日考えていて思った。

本を読むことで、書かれている内容について知り、また考える。そのことで、知の世界の一部を自分の中に取り込む。知の世界は広大で、複雑で、地形もさまざまだが、一つ一つ読んでいくことによって少しずつ自分の中での見取り図ができていく。

自分が何処からきて何処へいくのか、考えるだけでなく歩いたり読んだりすることで、自分の歩んできた道や自分と似たような考えの人たちがどのように歩んできたかも見えてくるわけで、考えるということも大事だが、まずはそのように「見る」「観察する」ことで見えてくるものもあると考えるべきだろう。

自分の現時点での思想は、自分の今までの実際の経験や読書やネットでの様々な情報や考え方に触れることで形成されてきたものな訳だけど、例えば政治的には保守、経済的には積極財政を自分で選んだことには自分なりの理由があるわけで、その辺りのことについても読み、書き、調べ、考えを巡らして、そしてまた読み、書いていくというエンドレスの作業になるのだろうと思う。

一つ知り、また一つ経験することで思想も少しずつ変化することもある。それらは生きていることそのものでもあるし、それらを加え、また実際に行動しながら、世界を知るとともに世界がより良い方向に動いていくように、いろいろなことを書いていきたいと思う。

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