菅さんとか中国共産党による日本人虐殺(通化事件)とか

Posted at 20/08/31

「世界史の構造」を読むのを少し休んでいたうちに安倍さんが辞任会見をし、世の中が慌ただしくなったのでついそっちに関心が引っ張られたりして、ブログを書くのも休んでしまっていたのだが、安倍さんは本当に長期政権だったので、安倍さんが政権や政府やこの日本を支えてきた(ないしは損なってきた)部分をどうやって支えていくのか、あるいはリペアしていくのかはこれから取り組まなければならない課題だろうし、それをとりあえず誰が担うのかについては、まあ官房長官の菅さんが後始末という点ではちょうどいいような気はする。

河野太郎さんもいいのだが、やはり緊縮路線は変えて、積極財政に転換してもらえればとりあえずはいいと思う。もし河野さんが首相になれば祖父の河野一郎以来の悲願達成ということになるし、まあでも相変わらず日本は世襲政治だなと思わなくはない。一郎の父の治平は県会議長を務めた地方政治家だったようだし、足柄の豪農でもあったというから自由民権の氣風を持っていたのだろう。政治家の世襲というのは貴族政治みたいに見えるが鳩山家もそうだけど自由民権以来みたいな地方名士的な家が世襲政治家の母体になっているのが普通なので、近衛や細川のような本物の華族の家庭とはかなり違う。

菅さんは「夜学に通い苦学した政治家」というイメージがあるが、今Wikipediaを見ると父親は満洲鉄道職員で、終戦は満洲・通化。つまり引き上げで、前後関係は不明だが日本人三千人が国民党側に内応して蜂起して八路軍と朝鮮義勇軍に虐殺された通化事件の起こった都市であり、この辺りのことは菅さんが首相になったらどこかのメディアが取り上げるかもしれない。

高校卒業後集団就職で東京に出て段ボール工場に勤める傍ら2年後から法政の夜間に通い、24歳で卒業。26歳で政治家を志し法政の就職課からの飛び石づたいで小此木彦三郎の秘書になる。この辺りはかなり抜きんでたものがあったのだろうなあと思う。初当選は1996年、2006年に当選4回で第一次安倍内閣の総務大臣になっている。

Wikipediaを見ると竹中・麻生・河野とそれぞれ近い時期もあり、河野を推薦した際には所属していた宏池会を辞めているし、敏腕・切れ物・冷酷の印象もある。政治の世界に入ってからも下積み経験が長いし、この辺りでいろいろなものを身につけたのだろう。

政治的な主張はネオリベ的な傾向が強いように思われるが、政権を握った後はどのような方向にいくのか、注視したいところではある。できるだけ積極財政、反増税路線で行ってもらいたい。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday