諏訪氏はなぜ譜代大名か/女性からの反撃

Posted at 20/06/23

昨日は腹の具合があまり良くなかったので早く寝たのだが、今朝は4時前に目が覚めると、雨は上がっていた。庭のさつきを見るともうかなり花は終わっていて、季節は一歩ずつ進んでいるのだなと思う。二十四節気は夏至。燃えるごみを出した後、車で出かけて八ヶ岳山麓を回ってきた。

近世大名である諏訪氏は江戸幕府では譜代大名に分類されるのだが、建御名方命に遡る諏訪氏がなぜ徳川の譜代(家来)なのかということはずっと疑問に思っていたのだが、先頃謎が解けた。中世大名であった諏訪氏は武田信玄に滅ぼされたわけだが、その一族であった諏訪頼忠は武田氏支配下で諏訪大社神社の大祝になるが、武田氏滅亡・本能寺の変の後、小笠原氏等の支援を受けて諏訪高島城に入って本領を回復する。

天正壬午の乱では北条氏政に近づいて徳川氏方についた小笠原氏と対立するが敗れ、和睦の形で臣従することになる。徳川氏治下で諏訪郡を安堵されるものの、小田原征伐の後に徳川家康は三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の旧領を召し上げられ、旧北条氏領の関東に移封されることになる。この時家康に臣従した信濃の大名たちも関東の新徳川領に移封されることになったわけで、頼忠は上野国総社に移封された。

つまりは、天正壬午の乱で徳川に臣従した信濃の大名たちはその時点で徳川の配下=譜代の扱いを受けることになったわけだ。同じく武田配下であった真田氏が上杉・北条・徳川・豊臣と渡り歩いて独立の地位を確保したことは知られているが、諏訪氏は比較的早期に徳川氏の下に入ったわけだ。

その後諏訪高島城には豊臣大名の日根野高吉が入り現在の高島城を築くが、頼忠の子頼水が関ヶ原に際しての信濃上野の守護の功で高島城に移封され、近世譜代大名としての高島藩諏訪氏が成立することになったわけだ。

戦国時代も京都中央の騒乱は知られているが関東の享徳の乱や甲信の天正壬午の乱などかなり大規模であっても地方の騒乱はあまり知られてないが、地域史の上ではかなり大きな意味を持つ戦いというのがあるなあと思う。

もともと諏訪氏は鎌倉時代は北条得宗家に出仕していて、若い頃は宗教的な存在である大祝、それをやめてから武士として鎌倉に出仕するという家柄でもあった。のちに大祝家と惣領家は分離しある意味での政教分離が行われるわけだが、この辺りももう少し調べればもっと面白いだろう。

***

頭の中にあみんの「待つわ」(1983年)とシュガーの「ウェディングベル」(1981年)が流れていて、今ネットで調べてこの2曲が80年代前半だったのはちょっと意外だったのだけど、これらは歌詞の最後に来て「あなたが振られる日まで」とか「くたばっちまえ」とか女性からの反撃が歌われているのが当時新しいなと思った覚えがある。

また、石川さゆり「天城越え」(1986年)も女性の側の性への積極性が歌われていることがやはり驚きを持って迎えられた。これは1983年の田中裕子初演の映画「天城越え」を下敷きにしている部分もあると思うが、これもやはり田中裕子の娼婦の演技が強く印象に残る作品だった。女性の性への積極性という点ではリリアナ・カバーニの映画「愛の嵐」(1973年)が古典的だが、これはイタリアでは上映禁止の騒ぎを引き起こしている。(題材がナチスということもあったが)こういう女性の性への志向そのものにある種の暴力性・危険性を感じる感性というものは存在しているなと思う。ファム・ファタル的なものといえばいいか。

これらとはまた違うが、アドルノだったと思うが、1968年革命の頃大学の教室で女子学生がいきなり上着を脱いでトップレスになったのを見てショックを受けてやがて亡くなったという話を思い出し、女性の身体の暴力性というものについて少し考えた。考えてみると現代の日本のフェミニストにも異様に「巨乳」を敵視している人たちがいて、これは考えて見たら女性の身体の持つある種の暴力性に対する反発のようなものもあるのかもしれないと思った。

これらは最近、フェミニズムの隆盛によってむしろ取り上げられなくなった、取り上げにくくなったテーマではないかなと思うが、ちょっとそんなことを思ったのでとりあえず書いて見た。

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