腰を落ち着けて物事に取り組む

Posted at 19/08/16

昨日はほぼ全く世間の情報を遮断していた感じで、台風のことも終戦の日関係のこともほとんどネットもテレビも見ていなかった。さすがに何度も強い雨が降った時には天気図やレーダーなどは確認したけど。

アートに関する本を読み始めて、しかしなかなか読み進められず、他の本を見たけれどもそれもまた読めない。読みかけだった『センゴク権兵衛』のシリーズを読み返すことはできたけど、自分のこれからを考えるために読んでいるアートの本がなかなか読めないのはかなり困ったことだなと思っていた。

今朝は新宿7時の特急に乗るので早く起きたのだが、起きてからいろいろ考えていて思い当たったのは、自分が今期待したいと思ったり信じたいと思ったりしているものがないのだな、ということだった。一つには疲れているということもあるのだけど、ただ世界情勢を見る中で、人権の先進国と言われたヨーロッパで排外主義が起こったり、それでいて些末なことで日本を非難したり、そのような現象を見ていると何を信じたらいいかわからないというか何も信じられないという感じが起こってきていて、未来に向けて何を自分の根本に据えるかということを考える上で信じられるものがあるのか、という気持ちになっていたこともまたあるのだなと思った。

自分の中にあるものをそのまま表現したい、という気持ちが昔に比べて薄れているのは、自分の中にそういうものがなくなったのかあるいはそれを表現することを阻害するものがあるのか、今までは後者だと思っていたけど、前者もまた考えなければいけないことで、覆いを取ることだけでなく、自分の中身もまた涵養していかなければいけないことだなと思う。

20世紀初頭のアメリカの画家のアート観みたいなものからヒントをもらえればとロバート・ヘンライ『アート・スピリット』を読んでいるのだが、今朝起きて思ったのは、これを素直に受け取ろうとするよりも、むしろ彼は何を言いたいのか、批判的な視点から読み取ろうとした方がまだ頭に入ってくるのではないかと思った。

中々、若い頃のように無批判に砂地に水が染み込むように吸収するということは難しくなっていて、何を受け取るにもワンクッション必要な感じだなとは思う。

新しいアートを見に行きたい、という気持ちもあったが、一方でそんなものに期待してどうする、という気持ちもあったのだなあとも思う。

別に期待するのではなく、だめもとでいいから見に行けばいいんだな、と思った。

少し前までは、レジでもなるべく早い人のところに並ぼうという気持ちで目を皿のようにして見極めようとしていたけど、最近は自分の並んだレジが遅くなってもいいという気持ちで並ぶようにしている。

多分、腰を落ち着けて物事に取り組むというのは、そういうことではないかなという気がしている。

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by Luke Peterson

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