父の蔵書とか父を越えるとか越えないとか

Posted at 19/06/15

5時前に目が覚めてしまったのだが、なんとなく疲れは取れていて、割と情緒的にも安定しているので色々と周りが見える感じがして、少しずつ遠くまで見えるようになってきている感じがありがたいなと思う。やりたいことをやる、というのもいいけれども、面白いことをやる、という方が自分にとって響くところがある感じがあり、また自分にあまり無理をさせずにいろいろとできる感じがする。

なんとなく思い立って10年前に亡くなった父の部屋を少し片付ける気になった。亡くなってから蔵書の山を少しずつ片付けたり書類の山をどうこうしたりはしていたけれども、根本的に手がついてなかったところが多かったので、部屋の隅の方の本棚とかかなり荒れているところを少し手をつけた。

父の蔵書というものはその時その時の彼の関心のあったところを反映しているわけだけれども、マルクス関係のものが多いのは東大受験の際に浪人していた一年間「資本論」を読んでいたという人なので(理Iなのだが)まあそんなものだろうと思うのだけど、70年代後半に渡部昇一の「知的生活の方法」を読んで感動した、と言っていて、その後渡部昇一やその辺の谷沢永一とかそう言ったあたりを読むようになったのかなと思っていたのだが、本棚から「戦後日本思想大系7 保守の思想」(筑摩書房、1968)というのが出てきてちょっとへえっと思った。
父はマルクスを読んで一時は黒田寛一が革マルを結成する前にやっていた弁証法研究会とかにも参加していたのだけど、60年安保闘争の6月15日、あの樺美智子さんが亡くなった日に国会に突入したデモ隊の中にいて、機動隊の暴力と抵抗する学生たちの有り様を体験し、こんなやり方でいいはずがないと強く心に思った、ということは私が高校生だったか大学生だったかの頃聞いたのだけど、その後川喜田二郎のKJ法の思想や山岸巳代蔵のヤマギシズムの思想に共鳴し、それぞれの運動に関わっていくことになったのだが、それでもその後もいろいろな問題やいろいろな思想について関心を持ち続けていたのだということがわかって、そうだったんだなと思ったところがある。

私は大学生に入るくらいまでは父の影響をかなり強く受けていて、東大に入ったり教員をとりあえずやってみたり、就職に関心がなかったりというあたりは割と父の辿った軌跡をなんとなく真似てしまったところがあるのだが、後半になるとかなり父に反発する部分が強くなってきて、相当批判したりしていたのだけど、父が亡くなって10年経って、歳をとると新しいことを身につけたり理解したりするのが難しくなってくることとか、昔はいくらでも読書に没頭できたのがなかなか集中して読み続ける体力がなくなってきているとか、その当時の父の状況がなんとなく身体的にわかってくるところもあって、そうなるとその頃父が何を考えてこういう本を読んでいたのかとかもなんとなくわかる気がするのだなと思った。

いくつか今でも使えそうな物品を見つけたのでそれは10年ぶりに生かそうと思うのだが、父がやっていたKJ法のラベルに書かれた「「型」と楽しさ」という文字を読んで、ああ同じようなことを考えようとしていたんだなとちょっと共感したりする部分もあった。

父は私よりずっとアクティブで振れ幅の広い人だったので家族としては結構振り回されたのだが、今となっては昔の迷惑に対する憤りもまあ、良くも悪くもそういうことは二度と体験することはないわけで、まあ落ち着いて考えられるわけだが、その行動そのものよりも何を感じてそういうことをしようとしたのだろうか、ということが知れるといいな、と思ったりした。

「保守の思想」の編者であろう、解説を書いているのが橋川文三で、序論を書いているのが白鳥邦夫。取り上げられている思想家たちは三宅雪嶺、徳富蘇峰、柳田國男、津田左右吉、中野重治、鈴木大拙、柳宗悦、唐木順三、岡潔、保田與重郎、鈴木成高、田中耕太郎、福田恆存、安倍能成、和辻哲郎、谷川徹三、竹山道雄、武者小路実篤、葦津珍彦、古島一雄、吉田茂。一見してこの人を取り上げているのは妥当だろうと感じる人もいれば、この文脈での取り上げ方は意外だと感じる人もいる。ただ中野重治とかも柳田國男との対談が取り上げられているのだけど、柳田の新憲法とか新民法に対する懸念みたいなものも理解している感じがあって、面白いなと思った。パラパラと見ただけなのだけど。

父親というものは越える越えないという問題はあるのでいつも面倒なものではあるのだけど、自分が自分になっていく過程で強く影響を受けていることは確かでそのあたりを否定していると自分自身のある部分を否定せざるを得なくなるのでいろいろと面倒なのだけど、むしろ今はこの場面で父はどんなことを考えたんだろうか、みたいなことの方に関心が移ってきているのは、自分がものを考えるときの参考材料としてはそれなりに使えることだ、というかむしろ自分だけが生かせる材料として父が考えたことがある、という風に感じてきているからなんだろうと思う。

父は前に書いたような人だったから色々な人に影響を与えているのだけど、亡くなってしまったらやはり急速に忘れられていくというか、ああ人が死ぬというのはこういう感じなんだなと思うのだけど、生きていればこその影響力というものがあるわけで、死んでも影響力を残そうとするなら結局は書いたもの、作り上げたものの影響力というものしかないわけで、断片的ながらせっかくだからそういうものを拾い上げつつこちらが何かをしていく際に生かしていくのがまあ供養というか、そういうことなんだろうなと思ったりもしている。

祖父は小学校の地理の教師だったのだが、父の部屋になぜか祖父のものであろう地理の戦前発行の大きな本が何冊かあって、そういうものに出くわすと祖父の息吹が思わず感じられてそれも懐かしいなと思う。

好むと好まざるとのにかかわらず、人はある一定の流れの中で生きていて、部屋の片付けをしながらそんなことを感じた朝だった。

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