元木泰雄『源頼朝』と坂井孝一『源実朝』の見解の違いなど

Posted at 19/02/11

土曜夜から東京にいるのだけど、今日は朝から雪が降っていて、でもさすがに東京なので積もるほどではなく、ただ寒いだけだ。

昨日はお昼ごろ出かけて丸善丸の内本店で坂井孝一『源実朝 東国の王権を夢見た将軍』(講談社選書メチエ)と東海友和『イオンを創った女 評伝小嶋千鶴子』(プレジデント社)、日向清人『国際標準の英単語 初級』(秀和システム)を買ってきて、『源実朝』を少しずつ読んだ。お昼は地元の駅前でタンメンを食べたのだが、一緒に頼んだ餃子が丸々と太っていておいしかった。帰りには丸の内オアゾの地下の神戸屋でフッツェルブロートを買ってきて、これも少しずつ切りながら楽しんでいる。昨日は午後のうちに疲れが出て寝てしまい、夜妹から電話がかかってきて起きてからローソンで太巻き買ってきてそれだけ食べてまた寝たら朝まで起きなかった。
『源実朝』は頼朝が亡くなったところまで読んだが、元木泰雄『源頼朝』とは見解が一致していない部分も結構あって、そのあたりのところは学界の一般の見解としてはどうなのかなと思った。一番大きな違いは頼朝と九条兼実・土御門通親との関係で、大姫を入内させる問題で娘が入内している兼実との関係が悪化したのか、通親による兼実追放の宮中クーデター、すなわち建久七年の政変が、頼朝の暗黙の了解があったかどうかのあたりの解釈が正反対になっている。通説は『源実朝』の兼実-頼朝関係は強固、という見解のようだが、読んだ限りでは頼朝が通親の方に乗り換えていた、という見解の方が実情に近いような気がした。三幡入内問題にしても肝心の三幡が早逝してしまったので通親に無視されたというのが正解かどうかも判断は難しいと思った。

源頼朝-武家政治の創始者 (中公新書)
元木 泰雄
中央公論新社
2019-01-18



まあこういうのは見解が分かれている方が面白いと言えば面白いので、また議論が続くのだろうと思うが、今の時点での判定がどちらになっているのか何かを読めばわかるというものでもないので部外者にはわかりにくいことではある。ただ九条兼実というのもいろいろとアレなところがある人という感じではあり、頼朝も完全には信頼してない感じがある。しかし頼朝からの贈り物が急に減って愕然としてるところなどは根は単純な坊ちゃんなんだろうなという気はする。その兼実の書いた『玉葉』が『吾妻鏡』と並ぶ当時の根本史料になっているというのもいろいろと思わされるところはある。

朝のうちにさっさと書くつもりだったのにもう3時近くになってしまった。今日は他のことを考えようと思っていたのだが。

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