「仏教抹殺」を読んでいる

Posted at 19/01/07




鵜飼秀徳「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」(文春新書)を読んでいるが、面白い。著者は僧職(浄土宗)にあるジャーナリストということで、歴史学者の書くものとは一味違う点もあるが、いろいろと興味深い。我々が普段忘れている150年前の「廃仏毀釈」の実態を広く全国を通して調べ、特に激しかった地域と東京・京都奈良について書いている。今は第7章の東京のところを読んでいる。

ツイッターの方でいろいろ書いたのだけど、特に印象に残っているのは一番廃仏毀釈に抵抗した宗派が浄土真宗だったということだ。読んでいてそうだったのかと思ったが、広く、また原理として行われたのは神仏分離であって、廃仏そのものではなかったのだけど、ある地域においてはそれを主導した支配者や民衆の手によって廃仏が徹底的に行われたという、現象の濃淡があったということ。そして浄土真宗だけでなく他の宗派も本山と連絡を取りながら寺を守ったということもあったようで、本山末寺制度もある程度は機能していたということもわかった。また、廃寺に抵抗できなかった場合でも、住職が本尊を持って実家に帰ったりしている例もあるということ。様々なケースがあったのだなと思う。

明治の学校も最初の小学校は寺の建材を使った例が多かったとか、学校制度そのものが寺院の犠牲の元に成り立った例も多いという。また特に印象に残ったのは廃仏毀釈の激しかった鹿児島・宮崎では文化財そのものが残っておらず、特に鹿児島ではその調査も、郷土史も十分に研究が行われなくなったという影響があったようで、その辺りは余裕があったら興味が強くなった時に調べてみたいと思った。

これだけの規模で行われた神仏分離・廃仏毀釈が日本人のメンタリティに影響を与えていないはずはなく、そのあたりのところも現代の問題と絡めて検討してみるとまた面白いところもあるのではないかと思ったりもした。

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