近藤ようこ『五色の舟』にマインドを侵食される/侵食されてから客観性を持つまでの間に得るもの

Posted at 14/04/01

【近藤ようこ『五色の舟』にマインドを侵食される/侵食されてから客観性を持つまでの間に得るもの】

五色の舟 (ビームコミックス)
近藤ようこ
KADOKAWA/エンターブレイン

昨日はどうも近藤ようこ『五色の舟』にすごくマインドが侵食されていたらしく、なんだかずっといろいろなイメージが湧いてきて自分を見失いそうになる感じすらあった。その時の感想はこちらこちらに書いてあるのだけど、幼児期からのいろいろな記憶とないまぜになるというか、こちらの心の感覚器官のようなものとすごく引っ付きやすい面があって、手を洗ってもなかなか取れないぬるぬるのような、自分と区別のつけにくい他者みたいな感じがあった。

私はもともと自我の境界線が弱いというか、意識していないと呑み込まれやすいところがあって、だからこそ多くのことを感じられるし、逆に人に伝えるときにも何か言葉以上のものが伝えられるという感じがあるのだけど、こういう意識しにくい、無意識の領域から侵食してくるような作品というのにはなかなか対処できなくて、すごく苦労してしまう。ただそれによって、自分の中を洗いざらい点検できるチャンスというか、そんな感じでもあったのでうまく方向性を出せるような対処の仕方が出来ればいいなと思う。

仮想恋愛 (1982年)
近藤ようこ
青林堂

もともと近藤ようこというマンガ家は最初に読んだ『仮想恋愛』のときからすごくずどんとくるところがあって、自分がしっかりしていないときには読みにくい感じがあったのだけど、『小栗判官』で完全なフィクションの世界を描き出すようになってからは自我が侵食されるというよりは自分がそのフィクションの世界に飛翔しやすい描き方の人、という印象に変わっていた。

説経小栗判官 (ちくま文庫)
近藤ようこ
筑摩書房

実は最近、新刊を見ても必ずしも買わなくなっていたのだけど、この本はネットで見てやはりおもしろそうだと思って買うことにしたのだけど、面白いでは済まなかった。(笑)やはりこういう出会いがあるから本、特にマンガというものは面白い。

思えば『進撃の巨人』も最初読んだときは全然受け入れられなくてすごく困ったのだけど、何度も読み返し、繰り返し考えているうちにストーリーが理解できてきて、そうなると一場面一場面の位置づけもできてくるから、逆に侵食性はなくなってきた。物語を物語として客観視できるようになってきたということだろう。

最終的にはそうなるにしても、少しずつでも自分が変化していく、そのためのよすがとして働くところがこういう作品はあるわけで、まだまだそういう意味では『五色の舟』は「機能」している最中なんだなと思う。

TVアニメーション 進撃の巨人 原画集 第3巻 #8~#11収録
ポニーキャニオン

昨日は夕方出かけて、桜並木を見ながら駅まで。日本橋で降りてプレッセが閉店していることを確認し、丸善でちょっと本を見た後銀座まで歩いた。もうあたたかくなっていて、夕方の日本橋・京橋・銀座を堪能したという感じ。ショーウィンドウもじっくり観察する余裕が出てきた。いつも行くいくつかの店を回って、山野楽器でバッハのチェンバロ曲の廉価版を買い、教文館で本を見ていたら『TVアニメ進撃の巨人原画集』3巻が出ているのに気がついて買った。すでに2月末には出ていたようだったが気がつかなかったなあ。

そのあと松屋の地下に行って夕食の買い物をして帰った。

ミス・ポター [DVD]
角川映画

昨日は午前中、ビアトリクス・ポターの伝記映画『ミス・ポター』の感想を書いていて、これもすごくいろいろと考えさせられたので、昨日はものすごく頭を使った感じだった。

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by Luke Peterson

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