大丈夫です/お年玉/竹を切る/『紅蓮の弓矢』はなぜヒットしたのか

Posted at 14/01/04

【大丈夫です/お年玉/竹を切る】

昨日の朝。モーニングページを書いたあと職場に出て用事を済ませ、家に戻ってきて朝食。忙しかったのと弟妹・甥姪がいたこともあって朝は畑には行かなかった。8時15分頃家を出て松本に出かける。正月なので、少し高速はこんでいた感じ。特にトラックが多いように感じた。

操法を受ける。先生に「お正月はゆっくり休めましたか」と聞かれたので、ああ、休まった身体をしているんだなあと思って安心した。やりたいことをやってはいたが、リストを作ったり結構根を詰めていたので大丈夫かなという気持ちもあったのだ。胃とかお腹が緩いこととか気になることはあったのだけど、「大丈夫です」と言われ、身体が大掃除してるんですねと言われて、自分でもそうだとは思っていたのだけど、身体を見てもらってそう言ってもらえると安心できる。

帰って少し年賀状の整理などしていたら下の妹の家族が来て、その末娘に「お年玉!」と言われた。まだ用意してなかったので、「そういうのは催促するものじゃないんだよ」と言ってきかせて、部屋に用意をしに戻り、戻ってきたらその子が今度は「お」という。「お」と何度もいうので笑ってしまった。「お」はお年玉の「お」だろうけど、みなまで言わなければ催促ではないらしい。兄弟三人ともいたのでそこでお年玉をあげた。

その子は去年まで幼稚園だったので500円玉で「あなただけほんとのお年「玉」だからね」と言っていたのだけど、今年からはお札になって、中身を開けるから「いくら?」と聞いたら「千円」と言った。そう言えば、1000という概念を理解したのはいつだろうか。全部で一万円超えてるよ、と言ったが、10000という数字が1000の10倍だとか、そういうことは理解してるんだろうか、とか思った。

妹たちは正月に行っていたスキーの道具などを片付けて早々に出発し、これでお正月らしきことは大体終わったかなという感じ。いつもの時間にはじめて9時半まで仕事をした。

今朝は6時過ぎに目をさまし、モーニングページを書いたり。結構いろいろなアイディアが出てきた。7時半頃職場に出かけて用事をして、家に戻ってきて今日は畑に上った。

畑には上の畑からずっと崖上の方に続く道があるのだけど、その道がどこだかわからなくなっていた。今日少し歩いてみてそこに竹が生えてしまっているから分かりにくくなっているんだということに気がつき、今日は竹を切ることにした。

竹は地下茎で増えるので、畑だろうが道だろうが構わずどんどん侵食して来る。うちの畑の上側に竹林があって、そこから伸びて来るようだ。そんなに大きくはなっていないが、何本か生えているので山仕事用ののこぎりで次々に切っていく。何本か根本から切り倒してようやくどこが道なのか分かってきた。もともとすごく急な斜面なんだが、そこに斜めにジグザグに道がつけてあって、落ち葉も落ちてるし分かりにくいのだけど、竹を除いてみたらだいぶはっきりと見えてきた。まだ一番上までは続いてないのだけど、あと二三日やればだいたい上まで続くかなという感じになってきた。


【『紅蓮の弓矢』はなぜヒットしたのか】

紅蓮の弓矢
Linked Horizon
ポニーキャニオン

何となくLinked HorizonのRevoさんが大晦日の紅白歌合戦で歌った『紅蓮の弓矢』のことを考えていて、Revoさんの声は「腹から出る声」ではない、口先で表現する声だなと思った。あの歌を腹から声を出して歌おうとすると絶対間に合わない(私の場合)のだが、口先でいろいろと工夫して出て来る表現が行き届いているのだと思った。「腹から出る声」を「いい声」だとするとそういう声ではないのだけど、むしろ刹那的な衝動というかそういうものを表現するにはいい気もする。また今ではすでに初音ミクなど「楽器としてのボーカロイド」が広く使われる時代になっていて、そういう表現もありになってきているんだなと思った。紅白はいまだに「腹から出てくる声がいい声」という信念に基づき、生声にエフェクトをかけるような演出をしないのでライブなのに物足りない感はあったけど、Revoさんも逆にそういう「アウェー」での表現であったことで、その特質がよりはっきりしたように思った。

というようなことを考えながら『紅蓮の弓矢』を口ずさんでいると、いろいろとこの歌には工夫があることに気づく。まず「踏まれた花の 名前も知らずに」というところ、最初に休符があって一拍目の頭から入っていないところが大きな特徴だ。これは以前ニコニコ動画を見ていたら「そこがカッコイイ!」と指摘している人がいてそれはそうだなと思ったことがあった。そしてさらに口ずさんでいると、やはり歌詞自体がすごくいい。

「踏まれた花の名前も知らずに 地に落ちた鳥は風を待ちわびる」という描写。これは物語的にいえば「踏みにじられた人類」を表現しているわけだけど、一般的な打ちひしがれた者の表現であると同時にその歌詞自体のポエジーもある。その次に「祈ったところで何も変わらない 今を変えるのは戦う覚悟だ」とこのストーリー自体のテーマが語られる。

そのあとのフレーズは言葉が難しい。「屍踏み越えて進む意志を嗤う豚よ 家畜の安寧 虚偽の繁栄 死せる餓狼の自由を!」これはアニメのオープニングでは歌詞が表示されていた。この文字が『新世紀エヴァンゲリオン』を思い出させてそのアニメ文化の正統な継承者であることの主張を感じさせるのだけど、それとは別に分かりにくい言葉を正確に伝えるとともにその漢字の持つイメージが視覚的に強烈に入って来るところがあり、非常にインパクトがあった。

そのことが二次創作者の創造心を強くくすぐったのだろう、ニコニコ動画ではこのオープニングは実に数多くのMADが作られたのだけど、みなこの漢字を表示する部分に工夫が凝らされているのが感じられた。と書けるくらいには私も見ているのだが。

そのあとも難しい言葉が続く。「囚われた屈辱は反撃の嚆矢だ 城壁のその彼方獲物を屠るイェーガー! 迸(ほとばし)る衝動にその身を焼きながら 黄昏に緋を穿つ紅蓮の弓矢」

この歌詞では「イェーガー!」の部分が注目され、カラオケでもここをみんなで叫ぶ、という文化が生まれたのは作曲者のRevoさんも予想外だったと『リスアニ!』のインタビューで答えていたけれども、確かに「イェーガー!」と一音降りるところは「全力で刃(やいば)を振り下ろす」イメージがあり、確かに盛り上がる。イェーガーというのはまずは主人公エレン・イェーガ―の名前なのだけど、ドイツ語では狩人という意味であり、この歌詞ではその両者がかけてあることがわかる。ニコニコ動画でもこの場面になると「イェーガー!」という書きこみが弾幕になっていて、この「参加への衝動」を誘う凄さを持っていることがわかる。

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エムオン・エンタテインメント

こういう難しい漢字の言葉をたくさん使うのは、ある意味昔の暴走族の落書きの『夜露死苦』みたいなものを感じさせる部分もないことはないのだけど、この短い歌詞自体に「絶望→決意→批判→自由への希求→反撃→未来へ」というストーリーの流れがすべて表現されていることを考えると、そこに別の意味があることに気がつく。

昨日読んでいたウェブの記事にReal Soundというサイトの「高速化するJ-POPをどう受け止めるか」というものがあった。これは以前も同じ趣旨のものを読んだし、それに関連するツイートを私も書いたことがあるのだが、最近の曲は異様にテンポが速くなっている、という話だ。BPM(Beats per minute、つまり1分間に四分音符がいくつ並ぶか、簡単にいえばメトロノームの早さ)が最近の曲は170を超えるものが珍しくない、ということで、確かにこの『紅蓮の弓矢』も180だ。

その速さをどう解釈するかということで、否定的な意見と肯定的な意見が述べられていた。今のリスナーは2分以上聞いてくれないので、短い時間に情報を詰め込まないとすぐ飽きられてしまうから高速にしてあれもできるこれもできると詰め込んでいるのだ、ということについてはだいたい見解が一致していたのだけど、それを「マーケティングのためにスピードを速くしているのは受け入れられない」と解釈するか、「その速さ自体をかっこよく感じるからそういう曲が作られている」と解釈するかの違いだ、という話があった。それは私自身にも体感的に理解できる話で、私もこういうBPMの早い曲をはじめて真剣に聞いたのは『紅蓮の弓矢』が初めてなのだが、これに慣れて来ると非常にかっこよく感じるようになって来る。今ではBPMが130くらいだと遅く感じてしまうから怖いものだと思う。

これは世界のミュージックシーンとは全く逆の現象で、世界では実力のあるディーバがゆっくりしたスピードで歌うのが主流になっているのだけど、日本でそれがそうならないのは宇多田ヒカルとかアンジェラ・アキのような声自体に濃密な表現力を持った「歌姫」が何だか失速してしまっていて、音楽の密度を上げるのにボーカルに頼れないから、BPMを上げていろいろなものを詰め込んで密度を上げてかっこよくしているんだ、という説明はなるほどと思った。

逆に、ディーバに頼らずともまさに楽器としてのボーカロイドとか口ずさむくらいの声をある種の楽器的に使うというHIKAKINさんのビートボックスのようなアプローチもあるわけで、そういう方面に日本のポップスが進化しているということはあると思った。アニメでは逆に声量のある歌手がアニソンを歌っている例が多いのだけど、むしろ『進撃の巨人』はそれに逆行して物語性のある「詰め込んだ」曲にしたところがアニソンぽくなくてかっこいい、というところはあったと思う。

ということを踏まえて考えると、つまり漢字や難しい熟語を多用するというのも「短い時間に情報を詰め込む」ことによって「効率的にストーリーを表現できるようにする」という意味もあることがわかる。つまりこれは、漢文を日本語の文章にとりいれた日本語の精華・「漢字仮名交じり文」の伝統に回帰していると見ることが出来るわけだ。

そしてその漢字の字面に新たなかっこよさを再び見出すことが出来たわけで、これはBPMを上げるということによって起こる圧縮感、そしてそれがもたらした新たなるかっこよさと共通したものがある、ということが出来るのだと思う。

つまり、『紅蓮の弓矢』がなぜヒットしたかと言えば、その「情報が詰め込まれた」圧縮感のかっこよさが、音的要素だけでなく言葉的・文字的要素まで含まれ、短時間でストーリーがすべて語られる快感と、「イェーガー!」という作者も期待していなかった偶然の視聴者参加型の盛り上がりの要素にまで恵まれたこと。そして言うまでもないことだが『進撃の巨人』アニメ自体がものすごく力の入った作品で、爆発的に新しいファンを獲得したことも当然非常に大きな要素だった。

これからもこのような「音楽で物語世界を表現する」という方法はさらに多くのものがつくられて行くのではないかと思う。まず第一に『進撃の巨人』アニメの第二期――まだ制作さえ発表されていないが――があったときに、そのオープニング・エンディングがどうなるか、ということがまず注目される。

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