自分の考えたことについての文章と何かのコンテンツを取り上げた文章と/時代感覚と世代感覚と、コンテンツを作り続けるということ

Posted at 13/11/08

【自分の考えたことについての文章と何かのコンテンツを取り上げた文章と】

自分の考えたことについての文章と、何かを批評した、感想を書いたときの文章とでは、後者の方が反応がある。自分自身というのは、自分自身にとっては面白いコンテンツなのだが、他人から見たらそんなに面白いわけではない、ということがよくわかる。それを面白いと思って読んでもらうには、まだまだいろいろやらなければいけないことが多い、ということなんだろう。

この辺のコミュニケーションの取り方というのが最近ようやく呼吸が分かってきたのだけど、もともと私は『日記猿人→日記才人』とか『テキスト庵』などのウェブ日記リンク集に参加していて、参加している人たちがどう言うことを考えていてどう言う日常を送っているか、みたいな話を読んだり書いたりするのに慣れていた、ということが、自分語り習慣みたいなものがある大きな理由なんだろうなと思う。どちらも既に閉鎖されてしまったが、今でもツイッターなどでときどき音信を読ませていただく感じになっている。しかしツイッター時代になってからのフォロー・フォロワー関係では、ツイートは読んでもその先のブログまで読んでもらえるというのはなかなか僥倖なんだろうなと思った。

そういう関係の人にとっては、どう言うコンテンツを読んでどう解釈したとか、どんな風なことを考えたとか、あるいはそれに関連する情報とか、そういうものの方が目当てで読むということになるのだろうと思う。またブログを一番読みに来てもらえるアクセスもとはGoogleの検索がメインになっていることが多いので、そういうコンテンツのキーワードを検索して読みに来てもらえるということになる。で、どちらかというとネガティブなキーワードで検索して来る人が多く、まあそういうつもりでもないのだけどやっぱりネガティブな言葉を使ったエントリを結構書いてるんだなと改めて思う。

このブログは多い時で500くらい、少ない時で200くらいのアクセス/日なのだけど、ときどき祭りが起こって数千レベルまで行くことがある。関心を持った方にリンクして紹介してもらうのが一番うれしく、先日もそういうことがあってずいぶんアクセスが増えた。有り難いことだと思う。それから、何か今ホットな話題になってることについて検索することによって過去ログにアクセスが集中すること。今なら、『魔法少女まどか☆マギカ』に関する検索で来る人が増えている。ブログの更新報告は、今ではほぼツイッターとフェイスブック以外には自動で更新報告がなされるサイトだけになっているのだけど、取り上げたコンテンツの内容をRTしていただくことでアクセスが増えることもある。

自分としては、やはり自分にとって価値のあるコンテンツを積み重ねていきたいと思っていて、それを面白いと思っていただいて読む方が増える、ということを目指しているのだけど、自分の好不調やその時関心のあることに内容が何日も連続するということはあって、そうなるとその内容に関心のない人が離れ、関心のある人が訪れるようになるということはどうしても起こるので、なかなか難しい。他の過去ログも読んでやろうと思っていただけるような文章にしなければと思うのだけど、実際のところ内容も長さも練度もまちまちな文章群なので、たぶん読みにくいんだろうなとは思う。毎日原稿用紙5枚(2000字)みたいな規模で統一するとか、考えた方がいいのかもしれないなとも思う。


【時代感覚と世代感覚と、コンテンツを作り続けるということ】

二冊の本を並行して読んでいたのだが、そのうち佐々木紀彦『5年後メディアは生き残れるか』を読了した。とても面白く刺激になる文章だったのだが、一番驚いたのが著者の佐々木さんが1979年生まれの今年34歳という方だったこと。『東洋経済オンライン』という老舗の経済雑誌のウェブ版の編集長であるということと、「メディアが生き残るには」という発想の題名だったことから、もっと年配の人が書いていると思い込んでいたのだ。

その割には柔軟なビビッドな発想で取り組んでる方だなと読み流ら思っていたのだけど、40代の編集者たちに対する苦言を読んでいてあれ?と思い、確かめてみたらそういうことで驚いたのだった。

内容的には主にジャーナリズムのインターネットへの取り組みというテーマで、一番の成功例として日本経済新聞社があげられていて、これはなるほどそうかと思った。それで経済ジャーナリズムのネット化というテーマに少し興味を持ったのだけど、そうしたら今日はYahoo! Japanの社長人事の記事などに行きあたり、この日本で最も成功しているネット企業でもいろいろな問題があることが分かり、人間ドラマ的にもイノベーションと人材確保の重要性という点でも面白いなと思った。

最近読んでて面白いと思う本はどれも30代、だいたい1970年代生まれの人が書いていることが多くて(だんだん80年代生まれも入ってきた)、自分より一回りかそれ以上下の人たちがフルに個性を発揮して生きている時代なんだなと思う。いま読んでるもう一冊、岩田健太郎『主体性は教えられるか』の著者の岩田さんも1971年生まれ。自分の世代感覚はそれはそれとしてあるのだけど、世の中を作って行く側でもっともビビッドな時代感覚のある人たちはこの世代なんだなと思うし、またコンテンツの受け手としてビビッドな10代20代の人たちの書いている文章も面白いなと思う。特に20代の人たちは何と言うか明るくて肩の力が抜けていてすごく好感を感じることが多い。それで出して来る内容がシビアだったりハードだったりするのもまたおもしろいのだけど。

自分は若いころにいろいろ問題を積み残して来ていて、いままだその残務整理みたいなことをやってる面もあるので、自分のことを書くとそういう感じになって、時代感覚的にも地域感覚的にもそれに共感してもらえる人はあまり多くないんだろうなとも思う。普遍的なコンテンツはない、というのが『ルールを変える思考法』での川上量生さんの見解だったが、自分のやってることの普遍性を意識するだけではなく、いつまでも時代の風に吹かれていないといけないと思うし、実際その方が面白い。

自分が一番コンテンツ(当時は戯曲だが)を書いていたのは20代だったし、何の遮るものもなく時代の風を浴びていて、でもその時代から少し外したところに自分の書きたいものがある、という感じだった。演劇は目の前に観客がいるから一番その反応がストレートでアンケートももらえるから良かったが、仕事と学問に集中しようと思ってそれに蓋をしているうちにあっという間に時代はどこかへ行っていて、今でもその空隙は埋まらない。それらの時代にやったこともまたコンテンツになるはずなのだけど、まだそういうものを形にして行くところまで行っていない。

時代に受け入れられるものを作るというのはある意味サーフィンのようなもので、上手く波をつかまえてそこでバランスを取り、形を作って行く必要があるんだと思う。それには屈強な基礎体力と適応能力、何よりも集中力とそのこと自体を愛する気持ちがないとなかなか難しいだろうなと思う。

何がいい波かはもちろんわからないし、本当に小さな波をつかまえてそれが大きくなっていくというところまでは時代感覚もまだもうひとつだなと思う。

しかしとにかく、作り続けるしかない。こういう文章を書きながら、自分の乗るべき波を虎視眈々と狙って。

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