いろいろ考えている/「週刊漫画Times」と「モーニング」/『美味しんぼ』110巻・「福島の真実」と「物語への復帰」/『ギャングース』と『進撃の巨人』/「コミックナタリー」と「コンテンツで食うということ」/「通」と「自分の人生に責任を持つこと」

Posted at 13/08/30

【いろいろ考えている】

いろいろなことを考えていて何から書き始めていいか分からないのだが、いくつも頭の中が同時進行していて時間がいくらあっても足りない感じ。でも疲れると朝起きられないし、それで時間が足りなくなったりして、なかなか大変。

昨夜は12時前に寝られた、というか動けなくなってしまったので襖も閉めないで眠ってしまい、6時前に目を覚ましてパジャマを着て襖を閉めてもう一度寝た。雨音が聞こえたので今朝は草刈りは無理かなと思っていたのに7時に目を覚ました時にはもう上がっていて、あれあれと思う。しかし今までの経験上、雨上がりはあまり蜂が出ないということもあるのでちょうどいいかなとも思う。起きてモーニングページを書き、職場のごみを捨てに出かけて帰りに「週刊漫画Times」を買いに行ったら雁屋哲『美味しんぼ』110巻(小学館、2013)が出ていた。副題は「福島の真実 1」。一瞬買うかどうか迷ったのだが、『美味しんぼ』はいちおう全巻揃えているということもあり、買うことにした。


【「週刊漫画Times」と「モーニング」】

『週刊漫画Times』は連載物の「信長のシェフ」「神様のバレー」「これからコンバット」「重機甲乙女 豆だけど」「10歳からの家族計画」「なみだ坂診療所」とどれも面白く、2~3回の短期連載の「水の箱庭」「遅れてきた恋」も面白かった。最近のモーニングは短期連載がどうなの?という感じのが多いのだが、「週漫」は短期連載が面白いのが多い。モーニングはちょっと実験に偏り過ぎているのかもしれないし、週漫が手堅く行ってはいるが飛躍がないということも言える。まあ雑誌の方針なので何とも言えないが、今の時点においては「当たり」は週漫の方が多い感じがする。


【『美味しんぼ』110巻・「福島の真実」と「物語への復帰」】

美味しんぼ 110 (ビッグコミックス)
雁屋哲
小学館

『美味しんぼ』110巻。最初はよくある震災・原発ものかと思ってやや引き気味に読み始めたのだが、読んでいるうちに実は作者たちが非常に気合が入っていることが分かってきた。取材も2011年の11月と翌年の5月6月と三度も行い、浜通り・会津・中通りと丁寧に見て行っている。実に絶望的な内容が多く、それは今までの『美味しんぼ』にはなかったことで、それだけ作者たちの真剣味も伝わって来るのだが、やはりそれだけではこの2年半ずっと見せられてきたものと違わないわけで、同情し義憤は感じるもののなかなか気持ちを寄り添わせるという感じを持ち続けられない。そういう意味でも辛い記述が多く、また新聞やサイトなどを見ても明るい知らせはほとんどなく、避難者と受け入れ側のいわき市民との感情的対立とか、人間性の程度の低い部分に共鳴してしまうような記事が多くてそういう意味でも食傷して来ていた。

しかし、最初の話で海原雄山は山岡に「この取材は福島の真実を知るだけでなくお前の根を知るためのものだ」と言い放つ。このところの「日本全県味めぐり」シリーズにはただのご当地グルメとか食文化分析みたいな要素ばかりで、そういう意味で面白くないことはないのだが、『美味しんぼ』という話のストーリーはもうどうでもよくなってるんだなという感じになっていた。しかしこの宣言は「物語に復帰する」という宣言なわけで、雁屋哲がついに本気になって、日本の問題と物語展開を絡めて来たと驚きを感じた。


【セシウム汚染された土壌で育てた汚染されてない野菜】

読んでいて感銘を受けたのは福島の農業・漁業に従事する人々の試行錯誤や努力はもちろんだが、明るい可能性もあったことだ。それを感じたのは10話目の二本松市東和地域の取り組みで、有機農業で畑作を展開しながら、土壌にはセシウムが検出されるのに生産された大根やネギなどの野菜からはセシウムが検出されないという話だった。これは作中の分析によると花崗岩風化土に含まれる雲母由来の粘土鉱物がセシウムを固定化する仕組みを持っているということと、土が持っているマイナスの電気とセシウムが持っているプラスの電気で土が吸着してしまうということがあるのだそうだ。

ということは、土の種類により程度の差はあるが、土で育てた野菜ならば汚染は低く抑えられるということで、これが科学的に実証されると非常に大きな希望になると思った。ただ水を使う水田ではなかなかそうはいかないし、落ち葉の積もる山林では落ち葉の汚染が腐葉土化しても土壌には残るしそこから流れてきた水で川が汚染される実態は変わらないのだそうだ。ただ、土壌で育てた作物なら何とかなるなら陸稲という選択もあるし(味はともかく)、農業の可能性自体は非常に感じさせられるわけで、読んでいて非常に勇気づけられた。

そして伊達市の霊山神社で、海原雄山が「ここは私の根っこだ」と宣言する。おそらくは雄山の妻、つまり山岡の母親と関連した話が出て来るのだと思うが、この父子の葛藤を描いた物語構造において母の存在がキーになっていることは明らかだから、ここでついに作者たちは大団円を迎えさせるつもりなのかもしれない。物語的にも目を離せなくなってきた。


【『ギャングース』と『進撃の巨人』】

ギャングース(1) (モーニングKC)
肥谷圭介
講談社

『ギャングース』のことをいろいろ考えていて、これは見捨てられた子どもたちが自分たちの力で半グレの犯罪集団からその上がりを強奪し、最終的には「自分たちのような子どもをなくす」ことを夢見て戦っていくという話なのだが、これが最初にモーニングに連載が始まったときにはどうなっちゃうのこれ?と思っていたのだけど犯罪の種類がいろいろと紹介され、そこを「叩く」彼らのさまざまな技や事情が浮き彫りになって行くにつれて実に目の離せない展開になってきている。主人公たちは三人で、これがまたものすごく頭がいいのに小学校の漢字も読めないヤツとか、少年院でむちゃくちゃいじめられながら工具を扱う技を磨き、日本で一番工具に詳しい17歳になったやつとか、ものすごく凸凹トリオで凄いと思いつつ割り切れない気分にさせられる。もちろんまず第一今の日本にこういう子どもたちがいるということ自体が驚きなのだが、それ自体は私も東京のいわゆる底辺校に勤めていたことがあるので知ってはいるし、またコンビニで冷蔵庫に入ってイェーみたいな事件が起きるたびにネットで話題になるからだんだん知られてはきたと思う。

そういう意味では、こういう少年たちが自分たちの才覚で「悪」をつぶし被害者を救っていく話はもちろん夢物語で、もしこういう子どもたちが本当にいたらその世界ではずいぶん恵まれた存在ではあるのだけど、彼らが半グレ(暴走族上がり)やチャイマ(中国マフィア)やホンちゃんのやくざと渡り合いながら「成長」して行く、この話は現代に描かれるべき話なのかもしれないと思った。

まあ半グレとは言えその事務所を狙って金庫を運び出すとか、やってることが市民道徳から言えばまともとは言えないのだが、良く考えてみたら『進撃の巨人』でもエレンとミカサはわずか9歳で誘拐犯の男たち3人を殺害しているわけで、そのキレ具合はある意味現代の子どもたちの追い詰められ方を正確に表現していると思わされる。そうした一つ一つの要素は衝撃的だけど、大人や社会に痛めつけられる『ギャングース』の子どもたちと、ただなすすべもなく巨人たちに食われて行く『進撃の巨人』の人類とはつまりは同じことで、「今を変える」ために戦っているということに違いはないわけだ。

『進撃の巨人』はファンタジーで『ギャングース』は言わばドキュメンタリーだからこういう刺激的な内容がファンタジーの方がまだ受け入れられやすいことは確かだろう。でもこの二作は時代の空気と子どもたちが置かれた立場というものがどちらも如実に表現されているのだと思う。


【「コミックナタリー」と「コンテンツで食うということ」】

昨日ネットを見ていたら「ナタリー」の取締役であり「コミックナタリー」の編集長である唐木元氏が『東京編集キュレーターズ』というサイトで対談している記事があって、これが非常に面白かった。簡単に言えば、「雑誌をウェブでやることは可能か」という話なのだと思う。紙媒体の将来が暗いということはずっと語られてきているが、ではウェブにおいて、コンテンツ事業はどのように展開可能なのかということになると、まだこれだという話が出てきているとは思えないように思う。しかし「コミックナタリー」ではライターを中心に社員が45人もいるのだそうで、まずそれ自体に驚いた。

あのサイトで45人もの社員を食べさせている、ということは大変な驚きだ。しかもライターを中心に、である。コンテンツの内容自体は外注で、というサイトがほとんどだと思っていたから、45人も抱えて記事を書かせて食わせているというのは、大変明るい話なわけだ。

僕の仕事は YouTube
HIKAKIN
主婦と生活社

これは「個人でウェブでコンテンツで食えるか」というテーマに応えたHIKAKIN『僕の仕事はYouTube』にも通じる。個人でウェブ上に生み出したコンテンツだけで食べている人というのはあまり実例を知らないのだが、彼は総登録者140万人、総再生回数3億5千万回という動画群を生みだすことで、「エアロスミスと共演」までしている。こうした活動は、これからコンテンツを生みだして行くことで生きて行きたいと考えている人たちにとっては、大変明るい材料だろう。

まあその中の詳しい話は読んでいただいた方がいいと思うが、ナタリーが大事にしている数字はページヴューよりも拡散力、つまりRTやいいね!の数だという指摘は面白かった。ナタリーの収入源は「広告」と「記事の販売」なのだそうだが、その心がけているところは「ニッチなニュースサイトを軌道に乗せたファン目線の編集思想」なのだそうで、コミックを扱うニュースサイトという「ニッチ」な部分で勝負していくための考え方がいろいろと披露されていて、どう生かせるかはともかく、なるほどと思わされることがたくさんあった。


【「通」と「自分の人生に責任を持つこと」】

一番おもしろいと思ったのは、ツイートを大量に流すことでマンガの「通」をたくさん促成栽培できないかと考えている、ということだった。合コンで5千円なら簡単に払っても月にマンガに5千円落としてくれる消費者は本当に少ない、という話で、おいおいと思って自分の8月の30日までのマンガに使ったお金を計算してみたら、マンガ雑誌に5800円、単行本に4500円、アニメの原画集やDVDに7300円、アニメ雑誌に2100円、そのほか鈴木敏夫のインタビューや『進撃の巨人』EDのCDなどまで合計すると、トータルで2万7千円使っていた。これはもう(笑)という感じなのだが、この夏は確かに『進撃の巨人』と『風立ちぬ』という2大イベントがあってかなり使っているのだが、たぶん最低でも1万円くらいはマンガ関連に使っているので、そういう意味では彼の言う意味での「通」の域にはどうも入っているように思った。

まあそんなことは自慢にはならないのだが、「通」というのがうま言い方だなと思って、いろいろ考えてみると、つまり「通」というのは「消費者としての責任を果たしている人」何じゃないかと思ったのだ。歌舞伎の「通」は歌舞伎に金を落とすし、クラシック音楽の「通」はレコードやコンサートに金を落とす。それはその意味で歌舞伎やクラシックを文字通り支えている。またそれだけでなく、「通」は作品の良し悪しにうるさい。まあどれだけ生産者の側がその感想や意見を吸収するかは別にして、「通」の言が評判というものを作っていく部分は確実にある。消費者としての熱意が生産者も動かして行くという意味で、確実に金を落としてくれ、熱い思いを伝えてくれる「通」の存在はやはり生産者としても心強いのではないかと思う。

まあそういう「通」をつくりだすことでマンガシーンが盛り上がれば、その分ナタリーの収入も増えるという好循環を生み出すことが出来る。もう「国民的な話題作」みたいなものがなかなか出て来るような時代ではないから、そういうニッチな「通」が出て来るような仕組みを作るという考え方は大変面白いと思った。

「通」という言葉で自分の心の中でちょっとオヨヨ、というところがあったのだけど、「責任」と言う言葉とつながっているということがわかって納得した。消費者としての責任を果たす、ということを考えていると、やはり作り手としては生産者としての責任もあるし、仕事の責任やたとえばボランティアでやっていることの責任だってやっぱりあるわけだし、極端な話、趣味でやってることの責任だって本当はある。2ちゃんで有料会員のアカウントが明らかになって国会議員や作家が誹謗中傷したり自分に有利になるような投稿をしていることがばれて大変な騒ぎになっているが、そういうところでの発言にも本当のところは責任はあるのだ。

私自身も、ツイッターやブログに実名を出すようにしてからやはり名前を出してそれに見合うくらいの責任を持ってものを書くようにしてから、やはり物を言うことの責任というものを以前より考えるようになったと思う。

最終的にはつまり大事なことは、「自分の人生に責任を持つ」ということなんだろう。自分の人生の責任を持つということはつまり、自分の選択の結果を人のせいにしないということ、選択の結果を自分で引き受けるということ、自分自身に自分の言葉で説明が出来るということなんだと思う。責任を持つということはつまり、逃げない、逃げられない、ということなのだ。逃げないで踏みとどまることで自分の言葉と行動に力を込める。まあ当たり前のことなんだけど、でもそういうことが出来ている人のことを、人は信用し信頼するし、だからこそ仕事にしろ人生にしろ回って行くのだなあと思ったのだった。

他にも書きたいことはあるのだが、このくらいにしておこうと思う。

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