アーティストとして強靭であるということ

Posted at 13/02/08

【アーティストとして強靭であるということ】

ショパンを弾く 名演奏家たちの足跡
青澤唯夫
春秋社

『ピアノの森』を読み返していたせいもあるのだろうけど、コンサートホールの情景がよく浮かぶ。そこにひとりで座っているのは老いたピアニストか。あるいは子どものようなその情熱か。そんなことを考えながら、青澤唯夫『ショパンを弾く』(春秋社、2009)を拾い読みしていた。この本は副題が「名演奏家たちの足跡」で、フレデリック・ショパンその人から解き起こしてブーニン・ルイサダ・キーシンと言った現代の若手(でもないか)までその足跡について述べている。

全部のピアニストを知っているわけではない、というより知らない人の方がずっと多いのだが、私が一番好きなショピニストであるアルトゥール・ルービンシュタインのところを抜き出して読んでみた。この本はもともと最初から読み始めたのだけど知らない人ばかりですぐ読みが止まってしまったのだ。4部構成の第一部に19人が取り上げられているが、私が知っているのはショパン自身とウラディミール・ド・パッハマンの二人しかいなかったのだから。

意味がなければスイングはない (文春文庫)
村上春樹
文藝春秋

ルービンシュタインは本当に演奏が華やかで生き生きしていて、本当に人生を謳歌したピアニストであるということが村上春樹の『意味がなければスイングはない』に書かれていたけれども、この本を読んでむしろ気骨のある演奏家であり、今まで「神経症病みの弱々しい作曲家」と見られがちだったショパンの男性的でダイナミックな側面を特に取り上げて演奏したピアニストであったということを知った。トーマス・マンはこの人を「幸福な音楽家」と評したのだそうだが、実際彼は「幸せな人生観は必ず演奏に現れるものだと信じて疑わなかった」のだそうだ。そういうところが私もすごく好きで、信頼できる演奏家だと思っている。私はやはり、ピアニストはニヒリズムに陥らないのが一番いいと思っているので、この人の演奏のあたたかさは本当に貴重で、信頼できる。彼の演奏を聞いて落ち込むということはちょっと考えられないからだ。

その一方で彼はナチスの暴虐を許せず、戦後はどんなに壊れてもドイツでの演奏を拒み続けたのだそうだ。

今回特に印象に残ったのは以下のくだりだ。

「ルービンシュタインは人一倍の情熱家で強い忍耐力の持ち主でもあった。何度も失意から立ち直り、半地下室にこもって猛練習し自らのピアノ奏法を改善した。彼は二冊の回想録を残しているがその中にこんなくだりがある。

『私はみんなと同じように、神経的な抑圧や怒りや苛立ちの爆発などの餌食なのだ。ただ違うのは、潜在意識が陶酔状態との対比としてそれらを必要なものとして受け入れていることだ。生は私たちから自由や健康や財産や友人や家族や成功を奪うことはできるが、思考や想像力を奪い取ることはできない。そしていつも愛が、音楽が、芸術が、花が、本がある。それにあらゆるものへの情熱的な興味がある。』」

抑圧や怒りや苛立ちの爆発も、陶酔状態との対比としてそれらを必要なものとして受け入れている、というその枠の広さ、枠の強さがやはりこの人の演奏家としての強靭さを支えているのだと思った。アーチストとして強靭であるということは、こういうことなのだと思った。それらのネガティブな現象を拒否したり見なかったことにするのではなく、それらをも自分の一部として受け入れる。そのことは言うのは簡単だが実行するのは大変苦しいことだ。というか苦しいことだということをここ数日実感させられている。しかしそういう感情があればこそ、演奏という陶酔、創作という人生最大の喜びを得ることもまたできるのだろう。その枠の大きさ、その枠の強さを持つことが、自分にとっても大事なことだと、この本を読んで思ったのだった。

My Young Years
Arthur Rubinstein
Jonathan Cape Ltd

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