靖国問題という問題

Posted at 13/02/07

【靖国問題という問題】

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)
島田裕巳
ベストセラーズ

島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』を読んでいる。吉田神道や天理教の話などあまりよくは知らなかったことが書かれていて勉強になったのだけど、今まで読んだところで一番理解が深まったという実感が持てたのは靖国神社に関する記述だった。

靖国問題は何が問題なのか、というのが実は私は今までよくわからなかったのだけど、要は靖国神社というのがどういう存在なのかという理解の問題だと思った。靖国神社は国家が行った戦争によって死んだ戦死者の霊を慰めるための存在であるわけだけど、戊辰戦争以来さまざまな近代日本の戦争での戦死者がまつられていることはよく知られている。その数は第二次大戦前までに33万柱に上っていた。

しかし考えて見ればこの数字は、1億の人口に対してはものすごく大きな数字とはいえない。世界には人口比でもっと巨大な戦死者を出している国はもっとたくさんある。靖国神社は国家のために戦死した英霊を祭る神社ではあったけれども、多くの国民にとってものすごく身近な神社だというわけではなかったのではないかと思う。

しかし第二次世界大戦で事情は変わった。第二次世界大戦での英霊は213万柱にも上り、現在靖国神社には246万柱の英霊が祀られているという。1億人に対していえば40:1の割合だ。これは相当大きな数字で、第二次世界大戦を経験することで靖国神社は国民全体にとって非常に身近な慰霊の場所になったということは大変重要なことだと思った。

靖国神社は戦争を賛美する神社であるという間違った理解が英米をはじめ中韓でなされているのだけど、今週のニューズウィークには靖国神社の遊就館を訪れた記者がその理解がまったく誤っていることを知り、日本人にも戦死者を悼む権利がある、という理解に達したという記事があった。事実として全くそうであって、靖国神社を普通の日に訪れると分かるが、本当に全国各地から、沖縄を含め、来た人がそれぞれの方言で喋って歩いていて、ああここは東京ではない、ここは日本なのだ、と思わされる。というか、東京というコスモポリタンなローカリティ―を否定し、日本という国の存在を実感させてくれる、靖国神社はそういう場所なのだ。そして靖国神社がそういう場所になったのは、むしろ国家による関与が減り、死者を悼む普通の国民が参拝する場所となった戦後においてより日本人にとっての重要度が増しているということが重要であると思った。

靖国神社は国家によって創建された神社であるにもかかわらず、戦後は憲法の世俗主義の原則に従って国家と分離され、民間の宗教法人になった。現在でも陸軍省・海軍省の事務を引き継いだ厚生労働省からの連絡によって戦死者=英霊の合祀が行われるという点において国家の関与はゼロではないし、天皇陛下からも例大祭のごとに勅使が派遣されている。

しかし民間宗教法人であるので国家の関与できない部分も当然あり、宮司や総代会の判断で1978年にA級戦犯が合祀され(Wikipediaによる)、それが朝日新聞によって明らかにされたことによってのちに靖国神社の存在が「問題」化することになった。

もともと1975年の三木首相以来首相による私的参拝という形で首相による参拝が続けられたが、1985年の中曽根首相の公式参拝以来、中韓からの抗議という形でそれが問題化したのである。

問題の論点はいくつもあるが、特に取り上げられるのがA級戦犯合祀問題で、これは第二次世界大戦の世界史的評価と関わって来るので戦勝国や第三国である中韓にとっては譲れない(アメリカにとってもこの評価に関しては中韓の側に立つしかない)面があり、それがこの問題を大きく複雑化させている。また日本側にもこれを機会に現状の第二次世界大戦の世界史的評価を批判する人々が評価を逆転したいという願望を持ち、またそれを政治的資源とする人たちがあるということが靖国問題をのっぴきならないものにさせている。

しかし本当に重要なことはそうした世界史的評価以前に、靖国神社が日本国民の多くにとって心の痛みの元としての戦死者に対する慰霊の場所であるということであり、本来政治問題化すべきことではないし、国家のために死んだ人々を国家がどんな形であれ関与して慰霊を行うのは当然だという論理も全く理屈が通っているわけだ。

国家の関与というのは政教分離原則からいえば結局は天皇や首相の参拝という次元以上のことはできないので、それがなされることが日本という国にとっての戦死者慰霊システムとして求められることであるのは確かだと思うし、日本人が日本のために戦って死んだ人たちを慰霊することにとやかく言われることはないということもまた正しいことだ。

そうなると問題は結局A級戦犯合祀問題になるわけだけど、そうなるとこれは極東軍事裁判の評価の問題にもなり、第二次世界大戦後の世界システムのスキームにも影響してくる問題になる。しかし元来これは日本という国の国内のローカルな認識の問題であって、それが国際問題化してしまったのは朝日新聞を筆頭とする報道側や国内における左右対立とそれを有利にするために中国や韓国の政府による圧力を利用しようとしたことにあることは明らかだ。

ただまあそこから先は従来の靖国問題についての言説をもう一度たどるだけになるので書いても仕方のないことなのだけど、ここで押さえておきたいのは第二次世界大戦によって靖国神社が日本人にとって戦前より遥かに身近で重要な存在になったということだ。

この問題の着地点が見えるわけではないけれども、まずはそういうところを自らが理解し、また諸外国にも理解してもらうことこそが、第一に重要なことなのだと思った。

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