村上春樹の占いと人生相談

Posted at 12/10/10

【村上春樹の占いと人生相談】

村上春樹のエッセイを読んでいるとこのブログの記事も何か気の利いたエッセイのようなことを書いてみようかという誘惑にかられるのだが、そんなものを毎日書くのは相当膨大な創作的エネルギーを使うのでなかなかそうもいかない。

思いついたので村上春樹のことを少し書くと、村上春樹という人はいつもアメリカの作家や向こうの音楽の話ばかりする人というイメージがあるので、日本の作家や詩人のついて書いているとすごく以外で新鮮な感じがする、というところがある。

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3
村上春樹
マガジンハウス

『若い読者のための短編小説案内』というのはそういう本の一つなのだけど、今日『サラダ好きのライオン 村上ラジオ3』を読んでいたら、木山捷平という日本の詩人の作品を取り上げていておっと思った。こういう詩の取り上げ方を見ていると、村上という人と私の読むときのツボみたいなものは相当かけ離れているなといつも思う。それは白洲正子が好きな作家について取り上げているときなども感じることで、その人の文章が面白いと思ってもその人が好きだとかよく取り上げる作家が好きかというとそうでもないということが多いというのは面白いなと思う。その人の筆によってその作家が描かれると妙に魅力的なのに、実際にその作品を読んでみると全然ピンと来なかったりするとか。そういうことはなぜ起こるんだろうか。

もう一つ面白いと思ったのは、村上は占いが得意で人生相談が下手だという話だ。占いと言っても実際には人間観察で相手はこうだろうと当てることができるということらしく、人生相談はこうしたらいいというと必ず失敗するのだそうだ。私は占いが好きで自分のことはよく占うが人を占うことはあまりない。まあ自分を占って外れても自分だけのことなので他の人にはあまり迷惑はかからない(選択によっては迷惑がかかる場合もあるが、まあそれは占わなくても迷惑をかけている可能性が強い)し、だいたい未来がどうなるかということよりも自分の置かれた状況を考えるヒントにしたり、選択のための情報収集の一環として行うようなことが多いから、当たるとか外れるとかいうことはもともとあまりないということもある。昔は四柱推命のような生まれで最初から決まっているような占いをよくやっていたけど、最近は易とかタロットカードとか偶然性に左右されるタイプの占いの方が面白いと思っているし、つい最近も書いたけど基本的にはタロットカードが今は面白いと思っている。自分に対してもそうだけど、占いというのは潜在的に自分が思っていることをはっきりさせるために使うことが多いのではないかと思う。言葉に上手く出来てないことを言語化する手助けを、占いというものはするものだと自分は思ってるようだ。誰もがそうではないだろうけど。

今日は昔の友だちが彼女を連れて諏訪の実家を訪ねてくれて、久しぶりのことですごく話し込んだ。お互いに今やっていることを説明したり、自分の考えていることを話したりしているうちに、20数年の間にどういうふうに考えてどこで人生を送って来たのか、そういう感じが面白いなあと思った。母も交えていろいろ話をして、お昼は諏訪湖を見下ろす展望台の上の蕎麦屋で食べたのだが、諏訪で食べた蕎麦屋では一番美味しかったかもしれない。一人でもまた行ってみてもいいなあと思った。こちらです。

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