バーン・ジョーンズ展:好きなことをぶれないでやり続ける奥義

Posted at 12/08/20

【バーン・ジョーンズ展:好きなことをぶれないでやり続ける奥義】

土曜日で夏の忙しさはひと段落し、夜帰京。日曜日は朝から散髪に出かける。理容室が月曜から4連休になるということで随分混雑していて、カットのみなら15分待ちでできますよということだったので、カットのみ。とはいっても切る前のシャンプーと切った後のうなじ剃りとブローはしてもらったけど。顔剃りと切った後のシャンプー、肩もみ頭もみなどはなし。それでも1950円は安いし早かった。30分弱だったか。

駅前なのですぐに地下鉄に乗り、大手町に出て丸の内の三菱一号館でやっていた『バーン・ジョーンズ展』(19日まで)へ。ラファエロ前派の画家なのでなんとなくロセッティぽい絵。ウィリアム・モリスの本の挿絵なども描いていて、いろいろと面白い人。たまたまメールが来た友人が見に行くというので美術館の三階で待ち合わせる。

いろいろな意味でイギリスっぽい画家だと思った。ブリティッシュ・ロックの特徴はメロディアスなところだと先日NHK-FMの『今日も一日ブリティッシュ・ロック三昧』の解説者が言っていたけど、わりと一事が万事。イギリス人というのは、フランス人とかドイツ人のように難しいことは言わない、という感じがする。ロシア人みたいな世界の背負い方もしてないし、アメリカ人みたいな価値観を押し付ける傲慢さもない。いい意味でも軽薄な意味でもミーハーな経験主義者なのがイギリス人の特徴だと思う。何でもやってみようぜみたいな感じで、好きなことをやるのが得意。そしてその好きなことをぶれないでやり続ける奥義みたいなものを持っている気がする。それは人間観察を面白がり続けたシェイクスピアもそうだし、とにかくローマオタクみたいに書き続けたギボンもそうだし、売れても売れなくても自分の好きなものをとことん書くぞつくるぞという感じのモリスやジョーンズがポンポン売れてしまう19世紀後半のこの感じもイギリスっぽいなあと思う。ナルニアのルイスもそうだし、アリスのキャロルもそうだ。本当に好きなものを作り続ける。でも日本のオタクみたいに変態ぽくないと思うのは、もうそれらがある程度オーソライズされているからで、やっぱり当時は相当変わり者だと思われていただろうなと思うし、今コミケやらオタクものが実は結構商売になっているように、彼らもまた商売にはなってたんだなと思う。

と書いてみて思ったが、日本のオタクとイギリス人の好きなことやり続けの違いというのは、ミーハー的な部分のあるなしではないかという気がした。多分、イギリス的なミーハーさを発揮すると日本では「リア充爆発しろ!」とか呪われそうだ。あのミーハーさはつまりかっこよさだから。聖書だとか古代の物語を今のイギリス人がコスプレしているようなペルセウスだの三美神だったり、中世のラテン語やドイツ語の飾り文字の本を英語で作ってみたりするセンスはたぶんミーハーでありオタクであり、つまりは歴女的・腐女子的なノリだと言えなくもない。まあ日本のそれのようにヒステリックな感じでもなかろうが、でもまあビクトリア時代の当時はフロイトによると強い性的抑圧に起因するヒステリーが蔓延していたそうだから結構そういう感じだったのかもしれないな。

まあそんな妄想をしながら絵を見ていると結構面白いし、まああたりまえだけど絵はうまいし、好き勝手にいろいろ描いてるなと思うのだけど、眠り姫のシリーズと.『運命の輪』の絵が一番好きだったかなと思った。「運命の輪」はタロットカードの図案にもなっているのだけど、この絵はその概念をよく描き表わしていると思う。まあ難を言えば中世絵画的な寓話性の深みが足りないとか、フランス的なものに即した技法そのものへの探究心みたいなものが露わに見えないとか、要するに好きだから描いてるということが前面に出過ぎているところに好き嫌いが分かれるところだろうなとは思ったのだけど。カタログと「忍耐・恭順・従順」(笑)のエコバッグ、「描かれざる傑作の群れ」(笑)のTシャツを買った。カフェで食事、丸ビルの椿屋で珈琲を飲み、日本橋丸善のワールドアンティークブックショップを覗いて友人と別れ、帰宅。

昨日までの疲れもあり、夜は『平清盛』を本放送と録画でもう一度と二度見たが、見終ってすぐに寝た。

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by Luke Peterson

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