『マイマイ新子と千年の魔法』に揺り動かされたもの

Posted at 12/08/07

【『マイマイ新子と千年の魔法』に揺り動かされたもの】

マイマイ新子と千年の魔法 [DVD]
片渕須直監督作品
エイベックス・マーケティング

昨日は疲れて寝てしまったのだけど、寝て起きたら起き抜けに『マイマイ新子と千年の魔法』の中に出てきたイメージが夢の中で爆走していて、ひとりでにぼんぼん動いて困った。昨日のブログのような書き方をしたのは、自分にとってそうとう影響があった証拠だなと思う。今5時55分。5時過ぎに起きてすでにモーニングページも書いたし、ブログも書きたいという気持ちになっている。すごく揺り動かされているのだと思う。

偏差値60とか書いたが、あれは無理な位置づけだったな。文部科学省特選を受けてたりするからついそういう書き方をしてしまったが、本当は偏差値なんかつけようがない。なんというか、「リアルそのまんま」というような感じがしていろいろ文句をつけたくなってしまったのだけど、よく考えてみればそれはそれを目指した映画であるとするならばすごいことなのだと寝て起きてから思った。

なんというか、こういうふうにしか撮れないだろうというか、アニメ表現とか、特に今まで子供のころから読んだ子供向けの歴史漫画『平安時代』みたいなものに出てくる表現とかをそのまま使ってるんじゃないかという気がしたり、なんかそういう描き方の常道のようなものがずいぶん使われているような気がしてそういうところがなんだか気持ちが乗らないものがあったりしたのだけど、でも逆に言えばそれはそういう表現の伝統を踏まえたプロの作り方だと言えなくもないわけで、私はどうも前衛志向が強すぎてそういうところをちゃんと評価できないところがあるので、よく考えてみたらそういうところはもっと正当に評価すべきなんだろうなと思った。

「見ているうちに、あるいは観終わってしばらくしているうちに感想が変わってきてしまう」ということを先日書いたけれども、そういう意味でまだこの映画は自分の中で感想の最終形になっていない。またこれについて書くかもしれない。

自分の中がいい意味で混乱しているというか、落ち着かないものがある。自分にとってこの映画は自分の中の深いところですごくリアルなのだ。宮崎駿のアニメは作り物としていわば完璧だと思うのだけど、『マイマイ新子』はリアルにそこにあるものとして、つまり自分のイヤな感覚、味わいたくない感覚、思い出したくない感覚とかも含めて自分の存在の深いところを揺り動かされるようなところがあるのだと思った。そういう意味でそんなアニメは今まで見たことがないと思う。

自然の中を舞台にして、あれだけの登場人物を出して、それでリアルなのだ。もともとは小説家の想像力なのだけど、それを場面にして味付けされてああいう画面になったわけだから、監督・作画・美術の技量も本当は相当なものなのだ。私の中に「認めたくない」という感覚がすごくあって、そういうものをきちんと評価していないだけで。そういう意味で、やはり見たことのないアニメなんだと思った。

揺れ動いているところです、今。心の中が。そうか、この映画は、自分の中の幼年時代・少年時代に対するアンビバレントな感情を、そのまま暴れさせるような、そんなところがあるんだな。

いやあ、痛いところを突くなあ。そしてそれは、現在の自分自身に対するアンビバレントな感情を突いてくるところもあるのだ。参った参った。

そうかわかった。この映画を私は、見ているうちに完全に子供のころの感情、子供のころの視点になってしまって見てしまっていたのだ。子供のころの私がこういうふうに感じた、こういう風に見た、というままになってしまって、大人としての私がその見方はまずいだろうみたいな感じが起こっているのにいうことを聞かないのだ。

そんなに私の中に子供の私が強く残っているというのはちょっと衝撃なのだが、なんだか子供のころの私のお筆先みたいに書いているところがある。昨日の感想も、今日の感想も。

参った参ったとか言ってるのは大人の私なのだが、子供の私が割とむきになっていろいろ言ってる。すみません、暴れているので今日はこのくらいで。また改めて書くこともあるかもしれません。

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