スタジオジブリの広報紙「熱風」/私にとっての「宇宙戦艦ヤマト」

Posted at 12/07/18

【スタジオジブリの広報紙「熱風」/私にとっての『宇宙戦艦ヤマト』】

スタジオジブリの広報誌『熱風』の7月号を読んでいたら、大塚英志が『宇宙戦艦ヤマト』のことを書いていた。

この『熱風』というのは今書いたようにスタジオジブリの広報紙で、岩波書店の『図書』などと同じように大きな書店の広報誌コーナーに行けば無料で手に入れることができる。私も最初は丸善丸の内本店の広報誌コーナーで手に入れたのだが、「人気があるのですぐなくなってしまいます」と店員さんに言われたので、その後は定期購読している。雑誌の良さというものは単行本を買うほどではない作家や著作家についてそれなりの文章を読むことができ、それから興味を持つきっかけができたりすることだ。私も以前は週刊文春や週刊新潮、月刊の文藝春秋などをかなり頻繁に買っていた時期もあるのだが、どうしても読む必要のない記事や読みたくない記事の割合が一定以上あることもあって、最近そうした雑誌を買うのをやめていた。しかしこの『熱風』を読むようになって、そうしたあまり接点のない書き手の文章に触れる機会が復活し、この人がこういう文章を書くのかと意外な発見をしたりしている。

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今月号でも大塚英志のほか、もうなくなられているが元日本テレビ社長の氏家斉一郎のインタビュー(氏家はジブリのプロデューサー鈴木敏夫が恩人のひとりとしている)で読売新聞社内での権力闘争について話していたり、落合博満が映画について非常に造詣の深いところを語っていたりする。私はチャップリンはあまり見ていないけれども、この落合の評を読んで『モダンタイムス』はぜひ見てみたいと思った。そのほか藤森照信のサハラ砂漠の泥の大モスク探訪の話とか、鈴木と坂本龍一の映画音楽に関する対談。これも『ラストエンペラー』や『戦場のメリークリスマス』における音楽のつけ方の話とか、非常に興味深いものがあった。冒頭は庵野秀明の特撮博物館の話で、ミニチュアで巨神兵を再現した話とかも掲載されている。『コクリコ坂から』を見た前田敦子の感想も載っていたが、私はコクリコ坂を見ていないこともあり、それは読んでいない。

とまあこういう、読む人が読めば宝庫のような雑誌なのだが、購読料は1年で2000円だ。尤も先に書いたように書店で毎月まめに入手すれば無料なのだが。

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大塚英志は80年代からこの業界に関わった人だが、1974年の『宇宙戦艦ヤマト』の初放映時には高校生だったそうだ。そしてこのヤマトについて、大塚は「ぼくなどは「ヤマト」に対する自分のスタンスが未だどうにもうまく整理ができないのだ」と書いている。つまり、彼はヤマトに「熱狂」したのだ。それは彼の現在のおおむね鹿爪らしく斜に構えた、という印象(あくまで私自身にそう見えるということだが)からすると大変意外に感じられる。つまりそこには、大塚が普通はまず見せることのない「素顔」を見せているように感じられるのである。

「今、若いファンたちが見てなんだか粗雑にしか見えないかつての「ヤマト」の一つ一つの画面が、出渕裕たちがリメイク版で丹念に描いてみせたように、そしておそらくはそれ以上に美しい映像に1974年の夏の時点でぼくたちの脳内では見えたのだ」

この感想は非常によくわかるのだが、1974年というのはすべてのテレビがまだカラーとは限らなかった時代なのだ。番組がカラー放送になると(つまり他の番組は白黒だったということだが)右下に「カラー」という文字が出た、という時期と重なるかどうか記憶は定かではないが、そういう時代だ。その時代アニメの記憶というものは正直言って、詳細な作りの画面を大画面テレビで見ている現代の子どもたちと同じような詳細さで、脳内で補ってみるものだったのだ。つまり当時の番組は当時の受像機で、まん丸のブラウン管のスイッチを入れてから画面が映るまでに10秒くらいかかるような受像機でテレビの前にランニングと半ズボンの子どもたちが密集してみんなで正座をしてみるような状態で見なければそれがどういうものだったかは分からないと思う。当時の画像をハイビジョン映像の大画面テレビで見るということ自体が不当なのだ。少なくとも当時の「ヤマト」体験をそれで追体験しようと思っても不可能だ。

ヤマトというのはもちろん第二次世界大戦で使われた日本の主力戦艦であった戦艦大和がモデルになっていて、何らなすところなく沖縄特攻に向いアメリカの航空攻撃によって撃沈された「悲劇の」戦艦だ。そして舞台となる未来の地球はガミラス星の攻撃により放射能汚染が進み、放射能を除去する「コスモクリーナー」を求めて先進文明であるイスカンダル星が送ってきたメッセージを信じて大マゼラン雲まで十万光年の旅をするという物語だ。ガミラス星の首脳たちはデスラー総統をはじめナチスドイツからの引用で作られていて、ヤマトの艦長は新撰組を思わせる沖田艦長だ。

つまり読みようによってはこのアニメは非常に政治的、しかも日本の過去を正当化しようとするような、言わば右翼的な政治を表象する要素に満ちていて、相当明確に左翼である大塚がこのアニメに「熱狂」したというのは確かに今思えば「気恥ずかしい」というのもうなずける。そのあたりの解釈は大塚の原文を読んでいただくといいのだが。

私自身にとってのヤマトは、「自分にとって最後のアニメ」になるはずの作品だった。当時、アニメというものは子どもの見るもので、中学生や高校生になっても見ているのは恥ずかしい、というものであったし、私自身もハイカルチャーへの志向が芽生えていたころだったから、小学6年生の時に放映されたこのアニメは、自分にとってアニメを卒業する、最後の作品になるはずだったのだ。そしてこの作品は大塚も書いているが、ほとんど反響を呼ばず、3か月ほどで打ち切りになってしまった。最後の方はかなり端折ってどんどん話が進んだのは私もよく覚えている。印象に残る回が前半に集中し、後半はイスカンダルやガミラス星の描写などはとても好きだったが(いま思うとあのイメージはナウシカの腐海をはじめとする想像上の環境の描写の源流になったのではないかと思う)、デスラーがあっという間にやられてしまったりするのは子ども心に納得のいかないものがあった。

中学生になり、私自身は見なくなったけれども、ヤマトは頻繁に再放送されていて、放映2年後あたりに急に火がついたのだった。私はヤマトが評価されるようになったのは嬉しかったが、しかしすでに自分のものではないと思うようになっていた。だからそれ以後の「銀河鉄道999」にしても「キャプテンハーロック」にしても、あるいは「機動戦士ガンダム」にしても、アニメというものは扉の向こう側でついているテレビでやっているもので、やってるのは知っているけど見てはいない、という存在であり続けた。

その後のハイカルチャーや歴史の世界での遍歴、マンガとの再会、そしてつい最近になってからのアニメとの再会というのも自分史的にはいろいろあるのだが、それは置いておいてヤマトのことについてもう少し書こう。

私はその後アニメをほとんど見ていないので、逆にヤマトについて小6当時感じた印象は今でもかなり残っているところがある。その2年前、男子バレーのミュンヘンオリンピックを目指す道程を描いた『ミュンヘンへの道』というアニメが放映されていて、日本中に男子バレーブームが起こった。男子バレーは見事に金メダルを獲得したこともあり、監督の松平康隆をはじめ、エースの横田、大古、セッターの猫田をはじめとするアニメに出てきた選手たちは私たちの大スターだった。そして毎回アニメの最後に出て来る「ミュンヘンまであと183日」というテロップに、いやがうえにも私たちの期待は高まったのだった。

そしてもちろん、これは『宇宙戦艦ヤマト』で毎回最後に出て来る「地球最後の日まであと183日」というテロップに重なる。ミュンヘンを待ち望むように地球最後の日を待ち望むというのも変な感じだが、ヤマトよ地球滅亡に間に合ってくれ、という子どもたちの願いを掻き立てたことは確かだろう。

私は当時はとてもマンガ好きで、かなり読者の平均年齢が高かったと思われる少年マガジンをはじめ、サンデーやジャンプもほとんど(友達の家でだが)読んでいたので、松本零士というマンガ家は知っていた。だからあの「男おいどん」の人が「ヤマト」の原作を描いているんだ、というのはすごく不思議な感じがした。第二次世界大戦で沈没し、当時はどこに沈んでいるのかも不明だった戦艦大和が「宇宙戦艦ヤマト」として復活するというアイデア自体にすごく強烈なものを感じたし、早熟でときどきは「SFマガジン」などを読んでアインシュタインの相対性理論を超える宇宙旅行手段として注目していた「ワープ航法」を実行したりエネルギーを充填することで強力な破壊力を持つ「波動砲」を発射したりするなど、SF的な面でも興奮した。

そして何より、宇宙を戦艦が飛んでいくというあの設定、あの絵に強い魅力を感じたし、登場人物の名前や設定などさまざまな要素に解読したくなるのだけど解読できないさまざまなコードが無限に埋め込まれている感じがすごく魅力的だった。そうしたコードも表に出てきて伏線として解決されるようなものはごくわずかで、そのためにもヤマトというのは壮大な謎として私の中にあった。「冥王星方面司令長官ドメル」というのが北アフリカ軍のロンメルからの引用だったというのはかなり大人になって第二次世界大戦の歴史に興味を持ってから知ったことだった。ナチスの国内政治には関心はあったが軍事オタクではないのでそういう現場の司令官などのことはほとんど疎かったからだ。

逆にブームになることによってそうした自分の中のヤマト像がどんどん大衆受けのするシンプルな存在になって行くのが私にとってはとても残念で、だから劇場版の映画であるとかムックであるとかは全く買うことがなかった。自分の中では自分にとっての最後のアニメとして、孤高の偶像としてヤマトはあったのである。

まあそういうわけで私にとってのヤマトは冷凍保存された偶像であって、そのイメージを崩したくないがために他のアニメを見たくない、ガンダム以降のアニメの現代史に背を向けていたい、という部分があったのだと思う。今でもヤマト以前のアニメはかなり見ているはずだが、(自分としてはあらゆるアニメを見るぞという気持ちさえあった)それ以降のアニメはかき消すように見ていない。むしろ『キャンディキャンディ』や『エースをねらえ』など少女アニメは見ていた気がするが。

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おそらく大塚にとってアニメやサブカルチャーの世界に目を開くきっかけになったヤマトという作品が、私にとっては終了のゴングだったので、そういう面では同じ時代を生きながら全然違う世界を歩んできたんだなあと思う。これだけサブカルチャー全盛となった時代にあって、そういう道を歩んできたことがいいことだったのかどうなのか、今となってはよくわからないのだけど、ヤマトという作品が自分にとってもターニングポイントになっているということは確かだった。そして確かに、私もヤマトが好きだったのだ。

小6までアニソン(当時はテレビマンガの主題歌と読んでいた)三昧だった私が中学に入ってユーミンやビートルズを聞くようになった。最初にFMから録音したことをよく覚えている『ルージュの伝言』が14年後に『魔女の宅急便』の主題歌になったのは今でも笑ってしまう偶然なのだが、まあこれ以上余計なつけたしを書くのは蛇足というものだろう。ちなみに『魔女の宅急便』は私がDVDを持っているただ一つのジブリ作品なのだが。

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