信じるという行為は確かさの感覚に支えられている

Posted at 12/05/24

【信じるという行為はたしかさの感覚に支えられている】

いろいろとやることが多くて、自分の中で文化的なイベントを起こしていないため、なかなかここに書くことがない。

人生を変えた贈り物 あなたを「決断の人」にする11のレッスン
ロビンズ
成甲書房

今読んでいる本で一番おもしろいと思うのはアンソニー・ロビンズ『人生を変えた贈り物』(成甲書房、2009)だ。考えながら読んでいるのなかなか前に進まないが、今まで読んだ部分で一番自分にとって胸に届くものだったのは、「信じる力」について触れた部分だ。アウグスティヌスの「信仰とは、まだ目にしていないものを信じることである。そうした信仰の見返りは、信じることが見えることである。」という引用から始まっている。この言葉は、神を信じれば、神を見ることができる、というやや神秘主義的なものとしてとらえていたけれども、著者の文脈ではそういうことを言いたいわけではない。

「信じる力」とは何か、それは実体ではない。「信じる力とは、何か意味あることについての「たしかさの感覚」のことだ。」私は自分が知的だと信じる、と言っているとき、本当は、私は自分が知的だと確かに感じる、と言っているのだ、という。この確かさの感覚が、眠っている力を引き出し、知的に振る舞って望む結果を出す、というわけである。

これはすごく納得できるものがあった。「信じる」ということは「思いこむ」ということとほぼ同じに使われることが多くて、ちょっとそれは危険なのではないかと思っていたし、もともと私は「思い込みは強い」けれども「なかなか信じられない」というジレンマを持った人間なので、何というか思いこむことと信じられないことの間を往復するだけになってしまっていたところがあった。

しかし、「信じるという行為」の中核に「確かだと感じる」という感覚があるのだとすれば、感覚というものは常に自分で検証することが可能だし、すごく「信じる」という行為について自由に向き合えるようになると思った。そして信じていることと思いこんでいることに違いについても簡単に検証できるし、「思い込み」が裏切られても「信じていたのに裏切られた」、と考えないで済む。日本での常識、つまり知識のレベルのものはある種の思い込みであることが多いから、たとえばアメリカ人の常識と照らし合わせてみるとくらくらするほど違っていたりする。そういうものは、ああ、これは日本的な思い込みとアメリカ的な思い込みの違いなんだ、という整理の仕方ができるし、「ただひとつしかない自分の信念」とは次元の違う問題なのだと考えることができる。カルチャーショックなどというものはそういう次元で片付けることができるだろうと思った。

「信じる」ということは感覚に支えられている。つまり、確かだと自分が感じているその感覚そのものが信じるということのベースになるので、その感覚の土台が足で踏んで歩けるようなものかどうかは自分でちゃんと確かめることができる。ズボっと足が抜けそうな弱い部分とか、そういうものもちゃんと足の裏で感じて危ないところは踏みぬかないようにしながら歩くことができるのだ、と思った。そうすると、信じるということは怖いことではないんだなと思えるようになってきた。失敗したとしてもそれは信じること自体に原因があるわけではなく、自分の感覚の鈍さにあるということがはっきりするし、失敗しないためにはその感覚を研ぎ澄まさなければならないということもわかるからだ。

またもう一つ大事なことは、感覚に基づくものであるから、信じるということは自分一人による個人的な行為だということだ。人の痛みを本当には感じられないように、人が美味しいものを食べてもその味は自分にはわからないのと同じように、人が確かだと感じている感覚を自分が全く同じように感じることはできないからだ。

もちろん説明によって説得したり、同じ体験を共有するなどしてほぼ共通した感覚を持つことは不可能ではないし、やや性質は違っても確かだという感覚を共有できれば同じことを信じることはできるようにはなるだろう。しかしあくまで感覚は自分自身のものだから、共有できたということも思い込みである可能性もあるということは理解しておく必要がある。

しかし同じものを信じられるようになったら、その人は自分にとって同志ということになり、ともに同じものを目指すことが可能になる。世の中を変えることができるとしたら、そういう感覚に基づいてそれぞれが信念を持つことで信頼しあえる仲間が形成されてこそだろうと思う。

信じるということはたしかさの感覚に支えられている、と今日の表題をつけてみて、なんて当たり前のことを書いているんだろうという気もするのだけど、逆にいえばいろいろなことを本当に信じられるためには自分の中に眠っている本当にたくさんの感覚を呼び覚まさなければならないということだし、思い込んでいることと確かだと感じられることをきちんと区別できるようにしなければならないわけで、本当はかなり難しいことであるということもまた思うのだった。

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