PDFをめぐる個人的な騒動/青い巨人が通過する/『動物化するポストモダン』読了

Posted at 12/03/07

【PDFをめぐる個人的な騒動】

昨日。午前中は雨だったが出かけるときにはほぼ上がっていた。時間がなかったのでまたタクシーで駅に出る。さすがに今度は注意して頭をぶつけないようにした。少し前は家の前の明治通りをあまりタクシーが通ってなくて、捕まえるのが大変だったのだけど、最近はわりあい空車を見かけるようになった。車の流れが変わったのだろうか。

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)
中村仁一
幻冬舎

月曜日に買った『大往生したけりゃ医療とかかわるな』が面白いと思い、母や知り合いの人にも見せようと思って持って帰るつもりだったのにどうも机の上において来たらしく、鞄の中に入っていなかった。まあ読みかけの本は何冊もあるので読むものに困るわけではないのだけど。昨日は一気に4冊読み終えた。何だかそういう、滞貨一掃みたいな日だったらしい。

火曜日の午前零時に『大聖堂』の新しい話を公開する、という設定にしてあったのだけど、どうもパブ―のPDFインポートがファイルが大きいと必ず1ページ抜けるようになっているらしく、気をつけていたのだけど1ページ抜けていることを公開直後に発見した。ただ時間が遅かったので申し訳ないが朝になってから何とかしようと思い、6時ごろ駅の裏のネットカフェまで歩いて行って修正を試みた。USBメモリのファイルを書き出して1ページ分のワードファイルをつくり、それをアクロバットのwebサービスでpdfに変換してアップ。ところがアップした途端にかぎかっこが一つ外れてしまったことに気がつき、それを削除してもう一度ワードファイルを修正し、pdfに変換しようとしたら無料サービスは終了といわれ、変換できなかった。それならかぎかっこなしで取りあえずアップしておこうかともう一度アップしなおしたらパブ―のサーバーがおかしかったらしくなかなかアップできない。これはおかしいと思って中止したら、いつまでたっても終わらないという症状がまた出てしまった。

これは仕方ないなと思い、修正を断念してその旨をその本のコメント欄に書きこむ。一時公開を中止した方がいいかと思ったが、そうするとコメントも書き込めないので落丁が起こっていることをコメント欄に書いたうえで公開したままにすることにした。家に戻ってからもう一度試みたが症状は治っていない。まずこれは自分の環境にオフィスがないといろいろ対応できないなと思い、いろいろ迷っていたのだけど結局マイクロソフトの公式サイトからダウンロードでオフィス2010を購入した。まあワードが使えればpdf化もできるしいろいろ作業もできるからまあ良かったと思う。でちゃんと修正したファイルをアップしようとしたが結局パブ―の方が治らず、午前中の修正は断念して出かけることになった。

結局実家に戻ってから作業して修正は行えたのだけど、まあ色々ペンディングにしてあったことを片付けなければいけない、そんな日だったんだなと思う昨日は。


【青い巨人が通過する】

昨日読み終えた本は4冊。トランストロンメル『悲しみのゴンドラ』、タブッキ『遠い水平線』、東浩紀『動物化するポストモダン』、松野恵介『年収が10倍になる!魔法の自己紹介』。読みかけは堀越孝一『教養としての歴史学』ともう一度読み直そうと思っている佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』。

悲しみのゴンドラ 増補版
トランストロンメル
思潮社

トランストロンメルは高校時代から詩の才能を発揮していたということだが、若いころには心理学者として監獄で若い囚人たちとのやりとりがあり、それが『収監所』という詩集にまとめられてるのだそうだ。「綴り違えたいのち――/美しさはなほ残る/刺青のように。//少年がミルクを飲み/おそれもなく眠る独房/石造りの子宮」など、この詩人の詩才の片鱗がよく現れている。昨日読んだところで私が好きなのは俳句詩Ⅳ。

背に神の風
音なく来る銃撃――
あまりに長い 一つの夢

灰色の静寂
青い巨人が通過する
海よりの 冷たい微風

わたしは そこに居たのだ――
そして 石灰塗りの白壁に
蠅が集まる

人のかたちの鳥たち
林檎の樹々は花をつけていた
この大きな謎

ひんやりとした風が通り抜けること、だと思うけれども、それを「青い巨人が通過する」と表現するのは、これはもうすごいとしか言いようがない。ノーベル文学賞をこのひと言で、とはいえないが座布団三枚くらいはあげてもいい。そういう次元じゃない。

【遠い水平線】

遠い水平線 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
タブッキ
白水社

タブッキは結論の出ない堂々巡りの話で、その突き放し方がいい。ミステリー仕立てでだんだん主人公のいうことがまともでなくなってく感じとか、オースターの『ガラスの街』何かを思わせたが、こういうのをセンス良く書ける日本の作家っていないなと思う。変にかっこつけたり自問自答したりしてしまうんだよな。こういう感じのものを一度書いてみるのもいいかなと思った。


【東浩紀『動物化するポストモダン』読了】

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
東浩紀
講談社

『動物化するポストモダン』。結局何だろう、宮台真司の「終わりなき日常」論と同じことを行ってるのかな。宮台よりは文学的だとは思うけど。90年代後半、論壇的なものは小林よしのりやその周辺、つまり小林が取り上げる範囲のものはわりあい目を通していたりしたけど、東大教養学科の表象文化論を卒業した人たちが書くようなこんな感じの批評的な文章は守備範囲外だったから、同時代的な理解があまりよくわからないところがある。だいたいおたくというものに興味なかったしなあ。ただ論旨は大きな物語(社会主義とか)が死滅し小さな個人的な感情刺激的な物語への欲求と「大きな非物語」、萌え要素のデータベースへの欲望みたいなものの乖離にポストモダン=近代後の特徴がある、という分析はそう言われてみればそれなりに思い当たる節がある、みたいな感じはした。

まあモバゲータウンのあばたーとかみていると萌え要素がランダムに結合して異形化しているような感じのものがあるけど、まあああいうのがデータベースへの欲望の具現化みたいなものなんだろなと思う。そんなふうに言われてみると、自分の小説も自分で書きたいと思って書いているのは自分なりの萌え要素(あんまり一般性はないが)を書き散らせていると楽しいと感じるところがあるのは確かだなと思った。スノッブな人にはスノッブの人なりのそういう要素というのはやはりあるし、まあ一般化はけっこう出来るだろう。受ける映画の構造を分析した『「おもしろい」映画と「つまらない」映画の見分け方』に出てきた「リマインダー」という考え方と共通性はある。まあでもイコールではない感じもする。

最後に〆みたいに取り上げられている『YU-NO』というノベルゲームは多重人格とかパラレルワールドの設定を本質的に取り込みつつ次々と女性を攻略して行き、それを達成したら異世界にワープしてしまって、「父」にたどりつくという目標を達成できないまま最初に戻ってくる、という構造になっているらしく、まあその円環的な閉じ方=脱出不可能性みたいな生ぬるいまったりとした発狂しそうな日常に生きるニヒリズム的な描写は確かに当時の多くの若者の抱えていた世界観と重なるものはあるんじゃないかなという気はした。っていうか説明を読んで面白いとは思った。どこに行ってもある意味お釈迦様の手のひらみたいな話なんだけど、お釈迦様ほどありがたくはない。

動物化、というのは与えられた何不自由ない生活は出来るがそこから出ていこうとしないまさに飼い慣らされた動物のような存在としての人間、になっていくという話でその辺は現場にいた時の感じみたいなものとまあ近いなあとは思う。読んでて19世紀末ウィーンのプチブル文化、ヴィーダーマイヤーを思い出したけど。まあ近代人が進歩の神話みたいなものが信じられたとしたら、現代=ポストモダンの人間は昨日と同じ明日が続くみたいな錯覚にとらえられていることは確かかもしれないなとは思う。

まあそういうわけでこの本はつまりは分析の書だから仕方がないとはいえ、この本を読んで物足りないと思うのはテーゼがないということだ。「こう生きようぜ!」みたいなのが。社会をこういうふうに持って行こうぜ、みたいなのが。基本的には「オタクの生き方」をおそらくは肯定的にとられてはいるのだけど、だからなんなのという気はしてしまう。『一般意志2.0』ではもっとそういう方向で描ける未来像、みたいな感じにはなっている。

原発危機が起こった現代にとって「終わりなき日常」とは何ぞやという問題はあるのだが、危機も日常化すると「終わりなき非日常」になってしまうだけで、ナウシカに描かれた終末後の世界みたいな感じでやはり終わりなき日常みたいな感じが続くのかなとも思う。

東はツイッターで震災後、「孤独な男の子たちのための本を書こうという気が全然しなくなった」みたいなことを言っていて、そういう意味では『動ポモ』はおたくの理論武装のための本だったんだなと思うのだけど、この中では日本的スノビズムが滅びてアメリカ的動物化が進むというコジェーヴの話が書いてあるけど、スノビズムでも何でも、基本的に男の子はやっぱりちょっとかっこつけてほしいなあと思う。あんまりバカっぽいのは見ていて耐えられなくなるので、空回りするかっこつけ方も確かに見苦しいときはあるけど努力はした方がいいと思う。東は表象文化論的なかっこつけ方から意識的にというかその限界とか無意味さを感じて(まあ蓮実的なかっこつけ方ではどうかと思う面は私もあるけど)スノビズムにシニカルになっておたく方面に降臨した(目覚めた?復活した?)感はあるんだけど、男の子には少なくとも意匠としてカッコは付けていてほしいなとは思う。

まあそういうわけで考えるきっかけになったというようなものでまとまったものは書けないけど、いろいろと刺激的ではあった。この人少なくとも批評家として才能があることは確かだと思う。猿の脳みそをえぐって食べているようなある意味鬼気迫るものを感じる。
【年収が10倍になる!魔法の自己紹介】

年収が10倍になる!魔法の自己紹介
フォレスト出版

後半は自己紹介の方法を応用した商品の販促の仕方などについて書いていて、まあこういう考え方で作られたチラシやポップというものはあるなあと思う。自分が応用する際にも参考にできるところはあるなあと思う。そのまま使うのはどうかなと思うけど、まあ精神としては参考になると言えばいいのだろうか。ちょっと余りに「もろ」過ぎるかなというのがあれなんだけど、その辺の表現をうまくすればわりと効果は出せるんじゃないかな、と。

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