成長ということ/売るということ/宮崎駿が無敵なわけ/『大聖堂のある街で』第3話公開しました

Posted at 12/02/15

【成長ということ:尊敬から感謝へ】

ルヴァンの天然酵母パン
甲田幹夫
柴田書店

私はものを作る人を尊敬している。なぜかというと、自分にはできないことができるからだ。自分の本棚を見ても、『ルヴァンの天然酵母パン』とか『手織りの技法』とか『はじめての池坊生け花入門』とかの本が並んでいて、そういうものの技法とかに対する憧れがある。世の中の職業というものはどれも、人にはできないこと(時間的にとか、技術的にとか、体力的にとか)を代わりにやってくれる人がいろいろやってくれることで成り立っているわけだけれど、たとえば運送屋さんがひょいひょいものを運んでいる様を、女の人はだいたい素直に感心しているけど、私などだとつい「おれだってできる」と思ってしまうのだけど、現実問題としては出来ない、というか腰とかの具合を考えればやらない方がいいわけで、まあこの資本主義社会というか分業社会というものに骨の髄まで浸かっているなあとそういうときには思わざるを得ない。

もちろん運送屋さんに対してはつい「おれだってできる」と思ってしまうのは、生物のオスとしての力をメスに対して見せつけたいという生物的な欲求、つまりセクシャルな意味でのかっこつけがそこにあるわけで、逆にそう思わなくなったということは生物的、種の保存的に考えれば問題がないことはないのだが、まあ分業社会に生きている以上はそこであまり無駄なことをしても仕方がないというのはおおむね事実ではある。

まあそれはともかく、人の技術とか自分にできないことをする人は自分では尊敬してしまうわけで、逆にいえば自分でもできそうなことをしてくれる人には尊敬はしにくい。まあでも感謝はするし、ああそういうふうに二分することはできるな。尊敬というのは自分には(能力的に)できないことをしてくれる人に対してすることで、感謝というのは自分には絶対できないということではないけど時間的にとかそのほかの理由でできないことをしてくれる人に対してすること、ということはできるかもしれない。

だから何でも出来るという人はなかなか人を尊敬できないが、感謝は出来るしするべきだ。何もできないという人は世界は何もかもすごいと思っているかもしれないし、それはそれで特異な才能だなとは思う。尊敬しすぎて「どうせ俺は」と思っていじけてしまうのはよくない。自分にできることが少ないと感謝がしにくくなるなと思うけど、尊敬は出来るわけで、そういうふうにできることを増やして行くことが成長ということなんだろう。世の中は不思議に満ちていて、みんなすごいことができて、憧れて尊敬しながら、少しずつできることを増やし、そして自分の周りでいろいろなことをやってくれる人たちに感謝の気持ちをもつように変わっていく。理想的な成長ってそういうふうに図式化ができるのかもしれない。


【売るということ】

ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)
本田健
大和書房

売るということがいかに重要なことか、ということを先日書いたのだけど、これはどこかで読んだことがあったなと思ってふと思い当って調べてみたのが本田健『ユダヤ人大富豪の教え』(だいわ文庫、2006)。この中の「第5の秘訣セールスの達人になる」(p.111~127)というのがほぼそれに当たる話だった。売るということはとにかく売るということによってしか体得できないものがあり、最初のエピソードはとにかく売ろうとしてみたということ自体が成功の元だった、というようなことで、もちろん売るためのアイディアをいろいろ考えることは重要なのだけど、売るという姿勢がなければどんなにアイディアがあっても売ることはできない。

「ビジネスで成功するのに、一番大切なのはセールスだよ」と大富豪氏はいう。私は全然中小企業だけど、それは同じだと思う。セールスというと私にはピンと来にくいけど、やはり売り込むということが仕事を回して行く上でキーになるということは実感している。これはやってみないと分からないというか、人のまねをしてやっているうちに「ああおれ売り込んでんじゃん」みたいな感慨を持ったり、何かそれを自覚して緊張したりもしたのだけど、今ではエンジンをかけるためにイグニッションキーを回すのと同じくらい自然にセールストークを繰り出して反応を見ながら押したり引いたりするようになっている。売り込むという行為がなければすべての仕事は動きださないのだ。

「セールスなしに存続できるビジネスはない。でもセールスはもっともないがしろにされる分野でもあるのだ」まあだから成功者と成功できないものがいるのであってそれはまあ仕方がないと思う。

「ビジネスで成功するには、二つのことをやればいい。新しい客を見つけて、その客を逃がさないことだ」それは全くその通り。そのためには宣伝を打たなければならないし、また使い続けてくれるようにしっかりフォローして行く必要がある。だけど客に客になってもらうということは結局「売るという行為」が成立して初めて成立する関係であるということを自覚しなければいけない。セールスの成功五原則というのがこの本に出ているが、結局は自分が売る物の価値に確信を持ち、それを相手に理解してもらうためにしっかり説明して、相手に買いたいという気持ちを起こさせるということに尽きる。自分の売る、という気持ちが相手の買う、という気持ちを呼び起こしたときに、初めてその関係は成り立つのだから。

まあこの種のビジネス本というものは眉唾に感じている人が多いとは思うのだけど、真剣に事業を成功させようと思っていたらわりと吸収できるところはあるものだと思う。全部役に立つとは限らないし、書いてある通りにやればいいわけではなくて、自分が仕事の上で感じている問題点を乗り越えるために背中を押してもらうのに使う、という感じでうまく使いこなせればわりといいと思う。自転車は自転車に乗らなければ乗れるようにならないし、水泳は水の中に入らなければ泳げるようにはならない。いくら本を読んでも。


【宮崎駿が無敵なわけ】

宮崎駿のインタビューとか、鈴木敏夫のインタビューを読んで、一晩寝て起きて寝起きの頭に啓示として降りてきたのが、「言いたいこと、あるいは言わなければならないこと(つまり使命とか理想とか)を言うためにやりたいこと(つまりアニメ作りやそれに伴う世界観の開陳や展開、その表現化)がやれている。だから宮崎駿は無敵なのだ」ということだった。

だいたい私は寝起きの啓示というものを信じている、というかそれに頼っている面がかなりあって、まあ一番余計なことを考えていない頭が一番本質をつかまえると思っているから、寝起きの自分が捕まえたことが一番価値があると思っているのだ。

まあそれはともかく、言いたいことを言うだけではつまらない。というか自己満足になりがちだ。言いたいことを言っているだけの文章というのは世の中にたくさんあるけれども、それを読んでもあんまりそうだなと思うことは多くないし、また読んでいてそんなに楽しくない。だいたい言ってる方も言っててそんなに楽しくないだろう。ネットでもいろいろと悲憤慷慨したりしている人がいるが、どこか滑稽だ。言ってることが正しかったとしても、説得力がない。

楽しいのは言いたいことをいうことではなく、作りたいものを作ること、書きたいものを書くことの方にある。つまり言いたいことの内容をどういう形で表現するかということの方にあるわけだ。しかし作りたいものを作っているだけでは楽しいけれどもそれだけになり、同好の士の間で楽しむおたく的な楽しみの世界に終わってしまう。

つくりたいものをつくる中でも、そこに言いたいことが込められているときに、その作品の中に一本筋が通ることになる。そしてそれで食べて行くためには、商業的にも成功しなければならない。記憶で書いているので不確かだが、宮崎駿は作品として取り組むことにゴーを出すためには三つの条件がある、というようなことを言っていた。「それはつくられるべきものか」「それはつくるべきものか」「それは売れるか」という三つの問いにパスすること、だったかと思う。つくられるべきもの、つくるべき社会的意味は何かということをクリアすること、つくるべきもの、今それに取り組むという情熱がかきたてられるものであるという制作者にとってのいわば芸術的意味は何かということをクリアすること、そして売れるものであるか、つまり制作者集団を維持し関わる個々の人一人ひとりを食わせて行くことができるものであるか、ということをクリアすること、の三つだったと思う。

まあ全くもってもっともなことなのだけど、なかなかそれを実現するということは希有なことで、それがやれてるからスタジオジブリという集団は何か奇跡のような存在なのだけど、その中核にいる宮崎駿という巨大な才能がなぜ成り立っているかというと、やはりそれは言いたいことをもっていて、やりたいことを実現できる技術と能力があって、そしてそれを売るだけの制作者、つまり鈴木敏夫がいるということなのだと思う。

まあものを作ろうとするものが宮崎から学ぶべきことは本当に多いと思う。ただ今思っていることでいえば、やはり作りたいものを作るだけでなく、言いたいことをもって、それによって作品に一本の筋を通すということ、なぜこの作品が作られなければならないのかということに自覚して取り組むということが特に重要なことだと思った。

芝居を書いている友人が、社会主義も資本主義も終わってしまった後でも成立しうる演劇を書く、と病と闘いつつ苦闘している様をときどき某SNSで読むと、そこまで先鋭化して取り組めるということに感動してしまうのだけど、そんなふうに200年くらい先まで見通したような取り組み方、そういう作品を作ろうという意識でやれたらいい、と思いつつ、今のこの時代を乗り切るための力になるような作品を書きたいとも思うし、誰にどんなふうに生きてほしいのか、そんなことを考えつつ作品を書いて行かないといけないなあと思ったりもするのだった。

まあこのブログでもそういうようなわけで、何かしらこの現世を乗り切っていくのに役に立ちそうなことを少しでも書けたらいいなと思っていろいろなことを書いているし、書いて行こうと思っている。

ところで『Cut』に載せられていた宮崎駿の40000字インタビューだが、これは実は『風の帰る場所』に掲載されていた60000字インタビューの縮約版だった。縮約されていたためにちょっとニュアンスが変わっていて最初は気づかなかったのだけど、他のインタビューも読んでみようと思ってこの本を取り出してみたら内容が同じであることに気がついたのだ。ただ縮約されているために問題がより浮き彫りになっているところもあり、読み直してみる価値はあったと思う。

彼は1941年生まれだから初めて国民的な大ヒットとなった『魔女の宅急便』を送りだした1989年にはもう48歳になっていて(最初のオリジナル作品『風の谷のナウシカ』の1984年だってもう43歳だけど)、今のところ頂点となっている『千と千尋の神隠し』を送りだした2001年には60歳になっていた。若い頃から才能を出して行かないとダメだと言われがちな世の中だけど、年を取っていろいろなことができるようになったりできないようになったりしてからでないと出来ないこともある。そう思って私も頑張ろうと思う。

風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡
宮崎駿
ロッキング・オン


【告知・『大聖堂のある街で』第3話「6月の海岸で」を公開しました】

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