芥川賞受賞作・田中慎弥「共喰い」と円城塔「道化師の蝶」を読んだ。

Posted at 12/02/13

文藝春秋3月号、芥川賞受賞作二作全文掲載号で、いま二本とも読み終わった。疲労困憊。田中慎弥「共喰い」が思ったより面白く、というか読みやすく、わりとすらすらと、というかゆっくりペースを守ってだけど、読みきれたので、じゃあ円城塔「道化師の蝶」も一気に読んでしまおうと思って読み始め、わりといい調子で読んでいたのに途中からなんだか込み入ってきて、思考が混乱の坩堝に叩き落された。

文藝春秋 2012年 03月号 [雑誌]
文藝春秋

(以下ネタばれをまったく考慮しないで書いてますのでネタばれを嫌う方は先に受賞作をお読みになってからお読みいただいた方がいいと思います)

なんだか世界の見え方が奇妙に歪んでくるといえばいいか、なんと言うかこの小説を読んだあとだとその月並みな言葉、月並みな着想に自分で不満が募ってきて、思ったはずのことが書き表せない、書こうとしているうちに逃げ行く着想を追っかけて捕まえる銀色の網なんて存在しないんだよということだけが事実、みたいな感じになってくる。しかもたちの悪いことに、一度生まれてしまった着想はどこか気がつかないところでしぶとく生きて知らないうちに交尾をして、また自分の頭の後頭部に面白いのか面白くないのか分からない着想の卵を産み付けていく、そんなたちの悪い道化師じみた蝶が、作家や読者や芥川賞選考者の頭の中をひらひらと待っていく、そんなある種の悪夢のような、ないしは何も起こらない死んだ楽園のような、そんな光景をまざまざと見させられているような感じがした。これは本質的には詩なんだと思う。

共喰い
田中慎弥
集英社

田中慎弥「共喰い」。これはツイッターでも何度か書いたが、よく出来たウェルメイドなファンタジーなんだと思う。肉体性があるようでない。明らかに虚構だ。いやそれがいいとか悪いとかではなく、ただない。そういう意味ではこの人はどんな小説でもかけるんじゃないかと思う。題材さえあれば。もちろん性欲だとか風景だとか自分を観察したり先行する多くの文学作品に取材したりはしていて、そのあたりがうまく書けているからウェルメイドだなと思うし、ストーリー展開が小気味よく、ラストに向かってどんどんテンションを上げて行って、破滅に至るとともにそしてあっと思わせる人死にが起こる。これ以外の結末のつけ方はないだろうと思うような見事な落ち。そういう意味でとてもよく出来ているし、そういう作品は私は好きだ。大枠、構造がしっかりしている作品は読んでいて安心できるし。

しかしまあ肉体性という点ではたとえば孫正義の伝記、『あんぽん』の方が遥かに肉体性と暴力と阿鼻叫喚に満ちていて作り物でない生々しさが伝わってくる。上流と下流を蓋をされて暗渠になっているためにちょうど女性の「割れ目」のようになっている川の両岸の街、「川辺」の中でのみ進行する閉じた世界を作り出し、その世界の中での密度の濃い、主人公の父を中心とする「血と骨」みたいな世界が展開するが、性も暴力もああこんなもんかと思ってしまう部分があり、まあだからあんまりそういうほうに突っ込んでいくのが好きでない私でも全然嫌悪感をもたずに読むことが出来たから、私にとってはありがたいのだけど物足りない人はきっといるだろうなという気はする。

川辺の情景や主人公の心情とかがまさに「文学的」な描写で描かれていて、でもなんていうのかな、お上手に書きましたねというか、こういう心情はもちろん分からないではないけど描写を取っ掛かりにしてはあまり入り込めないという感じがあった。自分にとって切実感があるという点では西村賢太『苦役列車』の方が遥かに強烈で、『苦役列車』は実際途中で読めなくなることが何度もあったが、『共喰い』はそんなに心がざわざわすることもなく、すうっと最後まで読めてよくできた話だったなあと思った。まあ上等なフィクションライターでありストーリーテラーであり、きっといろいろな話をうまく展開させて面白く読ませてくれる、ある意味エンターテイメント的な小説の書き手なんじゃないかと思った。

中上健次とかを引き合いに出す人は多いし題材的にはそういうものに近いけど、小説の書かれている地点はぜんぜん違う場所だと思う。出てくる主要な三人の女性はそれぞれに魅力的だけど、なんと言うかそこにいなくてもいいといえばいいのかな、ラテンアメリカ文学に出てきたり、ある種の異世界的なところにいる人たちで、下関にいなくたっていいんじゃないかという気がした。まあそういう人をそこに持ってきたから「お話」として成立したんだとは思うし、そういう意味でなんというか面白い、新しい書き手だと思う。私小説の伝統の上に立っている人だと読む人は多いと思うけど、多分全然違うはずだ。

でもまあ正直言ってこういう小説は好きだし、芥川賞という枠から解放されたらもっと面白いものがかけるんじゃないかという気がする。楽しみな人。

道化師の蝶
円城塔
講談社

円城塔「道化師の蝶」の方が遥かにたちが悪い。(笑)(笑)とつけざるを得ない感じがする。選者も言っているように端正な文体で、基本的には大真面目な顔をして冗談を言うアイリッシュジョークのようなノリで話が進んでいくが、着想とか考えというものはいったい何なのか、どこからやってきてどこに消えてしまうのか、頭の中でためつすがめつしているうちにいるはずのものがいなくなってしまって慌てたり、そんな有様がアルルカンじみた蝶として描かれていて、それに振り回される人間たちを描いている、という本末転倒な感じが面白い。着想そのものが本当の主人公、という設定自体が奇想天外で面白いし、最後でそのことが明らかにされるというのはまるで『魔法少女まどか☆マギカ』を見ているかのような目くるめく頭の転換が要求されて眠くなったり頭が痛くなったり白日夢を見そうになったり面倒な話だった。

この小説は不親切で、読んでいるうちに前の話の展開を忘れてしまうんじゃないかという不安にとらえられて、途中で読むのを休んでまたあとで読もうというふうにできないところがあり、頭が疲れきっているのに読み続けざるを得ないという拷問的な読書を強制された。そして読みきって見ると自分がどこにいるのか分からない不安。読みきるまで主人公は友幸友幸だと思っていたのに最後に来て蝶=発想だということが分かり、また最初から読まなければという気になってしまう。まあ私もそこまで律儀ではないので蝶の出てくる箇所を飛ばし読みしながら全体のイメージを再構築して選評を読み直し、どこで選者が戸惑っているのかを確認したりした。

まあなんと言うのか私の読みとしては、結局「着想」というものがいかに不安定で気まぐれで人を翻弄するものかということがこれでもかこれでもかとまさにリアルに描かれているという感じで、確かに受賞の弁で円城自身が「リアリズム小説だ」というのは大変よくわかる。こういう後味の悪さみたいなものが思考とか着想とかあるいはそれを敷衍して材料の一つにする小説というものにはあり、『共喰い』がその後味の悪さをきれいに拭い去って実によく作られているのと対照的に、これでもかこれでもかとその事実を突きつけてくる感じが実にリアルで苦笑いをせざるを得ない。

で結局何をこの小説たちは言いたいのかということになると、まあ特に言いたいことはないというのが小説というものだということでしかなく、簡単に言えば「共喰い」はよく出来た物語と魅力的な登場人物たちを楽しむべき作品だし、(まあ「世の中の基準」から言えば楽しむべきでないものも楽しんでしまっている、と見るかもしれないがある種小説のメタ的な読み方を楽しんでる人たちからすれば別にそう奇矯でもないと思う)「道化師の蝶」は着想というもののとらえがたさとかたちの悪いいたずらな女神みたいなありようをリアルに描写して「そうだよね、そういう感じ分かるよな」と思ってみるための作品なんだと思う。両方とも読んで生き方が変わるというような作品ではないが、というかそういうところが石原慎太郎なんかには不満なんだろうけど、(あ、そういえば村上龍の選評がないな、今回は書面で選考に酸化したという話だったから選評も書いてないのか)まあそういう作品でなければいけないと言うようなものでもないとも思った。

「道化師の蝶」は読んでいるときは80年代の小説、たとえば小林恭二の『小説伝』とか『ゼウスガーデン衰亡史』を思わせるところがあったけど、なんていうかそういうポストモダン的な方向よりは思考のリアリティというものをどう描こうかというところである意味小説の本義を追いかけているのかもしれないという気もする。その部分にこの小説がSFになってしまわないところがあるわけで、現時点でのある意味での小説の極北というようなものではないかと思った。近年の受賞作では諏訪哲史の『アサッテの人』に近い感じもしたが、『アサッテの人』よりはずっと骨太な感じだなと思うし、多分小説としていまの時代にはやっておいたほうがいいことがやられてるんじゃないかなという気がする。そういうことはあとになってみないと正確には分からないんだけどね。

ということで、私は今回の受賞作には二作とも満足した。私はいつも選評を読んでから作品を読むのだけど、今回は選評を読み直すのが楽しみだ。自分である程度理解できた気になっているからその選者たちがどういう位置にいるのかよくわかる。みな「道化師の蝶」をどう評価するかで凄く肩肘張っているところがあるので、逆に「共喰い」に対して油断している感じがあるが、この小説だってわりとオーソドックスなだけでない、化け物じみたものに変わる可能性だってあるよな、という感じがする。

まあ今回の選考はひとつのターニングポイントになるだろう。黒井千次と石原慎太郎が選考委員を抜け、川上弘美・高樹のぶ子・山田詠美・小川洋子という女性選考委員が残り、伝統的な男の書き手といえば宮本輝くらいしか残らないし、あとは村上龍と島田雅彦だから芥川賞の流れはかなり変わる可能性がある。やめた二人の代わりに誰が入るかによって芥川賞の未来像が見えてくるということになるかな。笙野頼子が面白いと思うんだけど、あと一人は保坂和志か奥泉光あたりかな。玄侑宗久とか入れてぜんぜん違ったノリにしてみるのも面白いかもしれないけど。

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