わからなかったことが分かり、読めなかったものが読める/「自信なんてものは、どうでもいいじゃないか」

Posted at 12/02/02

私が今感じていることを文章にするのは難しい。というかこのことについて書くのはまだ時期尚早なのかもしれないが、とりあえず書いてみよう。

いまの実感は、今まで分からなかったことが日々分かるようになったことに気がつき、今まで読めなかった類の本が日々読めるようになっていることに気がついている、つまりそういう変化を感じている、と言えばいいだろうか。そういう私自身の変化を私は好ましく感じているし、戸惑っている部分もなくはないし、またちょっと怖い部分もないわけでもないのだけど、基本的には楽しく感じている。

C・S・ルイスの秘密の国
アン・アーノット
すぐ書房

そういうことはいままでの一つ一つの変化の積み重ねの上に実った果実のようなものだと思うのだけど、そういうふうに自分を変えた――進歩させたと言っていいと思う――ものは日々いろいろあって、特に最近では昨日読んだC・S・ルイスの伝記が大きい。自分が『ナルニア国ものがたり』を通じてルイスの影響を強く受けていること、そしてこの物語に魅かれた自分の心理像がルイスの人としての成り立ちの過程ともかなり共通の光があるのだと自覚したことが大きい。そしてそのルイスが感じていた「美」というものの見方や、「神」というものと向き合う真摯な姿勢というものが、ルイスに自分を重ね合わせることによって自分の中にも入ってきて、それをどういうふうに受け取るのかという楽しい課題になっていて、それが自分の中にいろいろな変化をもたらしたのだと感じている。

おとといは校正を上げて印刷屋に渡してその疲れの中にいたのだが、昨日はルイスの伝記を読み終えてその感銘の中にいた。今朝も何か書こうと思っていたのだけどそういう気持ちにならず、ある種の幸福感の中の怠惰さというか、それを味わっていたいという余韻の中にいたことにあとで気がついた。

ちょうど下の部屋で工事が始まって少し騒音がすることもあって11時前に部屋を出て本屋を二軒回ったのだけど、たまたま出会った丸山健二『田舎暮らしに殺されない法』(朝日新聞出版、2008)を立ち読みしたら面白くて買ってしまった。以前だったらこんなネガティブな題の本は買う気にならなかったが、何というかそれも面白いんじゃないかという気持ちになって、また実際問題田舎での生活の大変さみたいなものがすごく自分も感じているものであったために面白いなあと思って買ってみたのだった。

田舎暮らしに殺されない法
丸山健二
朝日新聞出版

実際読んでると都会人が引退後田舎暮らしの夢を追って移住することの危険さについてこれでもかこれでもかと書いてあり、週の半分以上を田舎で暮らしている私自身にも感じられることが多くて面白くて仕方ない。「住めばまた浮世なりけりよそながら思ひしままの山里もがな」と吉田兼好も歌っているが、都会から見れば別世界に見える田舎も住んでみれば浮世そのもの。めんどくさくして仕方がないという面から言えば都会より遥かにめんどくさい。特に最近の異常気象や地震の頻発を考えると、都会の方がある意味ずっと安全、である場合が多いだろうと思う。都会で暮らしていると自然災害というものはほとんど意識しないが、田舎にいるとものすごい雷とかものすごい豪雨とかものすごい豪雪とかものすごい風とかそういうものは全然珍しくないわけだから。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
岡本太郎
青春出版社

まあそういう本を買って帰ってきたらちょうど昼休みで工事も終わっていて、手元にあった岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春文庫、1993)を読んだのだが、今までどうもよくわからなかった岡本太郎の言葉が理解できるようになっていて、これも面白くなってどんどん読んでしまった。

特に面白いと思ったのは、「自信なんてどうでもいいじゃないか」という言葉だ。ひどく逆説的に聞こえるけれども、読み進めているとすごく深く納得できる。「自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。……そもそも自分を他と比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。我が人生、立と比較して自分を決めるなどという卑しいことはやらない。……ぼくは自分を始終、落ち込ませているんだ。徹底的に自分を追いつめ、…最低の条件に自分をつき落とす。そうすると逆にモリモリッと奮い立つ。……ダメだ、と思ったら、じゃあやってやろう、というのがぼくの主義。……自分を殺す、そこから自分が強烈に生きるわけだ。それがほんとうに生きることなんだ。自信なんていうのは相対的価値観だ。……そうじゃなくて、人間は生死を超えた絶対感によって生きなければだめだ。」

いままでこういう言葉は正直言って全然入って来なかった。でもいま読むと、「最低の条件に自分をつき落とす。そうすると逆にモリモリッと奮い立つ」というような部分がすごく面白く感じられる。「自分はだめだ、だからやってやる」、という心の展開が面白いと感じられるようになったのは正直言って心境の変化としか言いようがない。

それでこれを読んでいるうちにジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことをやりなさい』(The Artists's Way)の言葉の意味も急に分かってきたように感じた。キャメロンが言っていることも、他人の言葉に左右される自分とか、他人の価値観にあわせてしまう自分とか、そういう言わば「相対的価値観」から自分を解き放ち、自分がやりたいからやるんだという「絶対感」に基づいて行動できるようにするためのレッスンなわけだ。正直、それを実践した時はそこまで分かっていたわけではないのだけど、今ようやくそのレッスンの意味が理解できたように思う。人の言葉にとらわれてしまう自分を殺せ。自分の本心だけを道しるべに、犀の角のように一人歩め、みたいなことを言っているわけだ。おそらくは桜井章一の言っていることもかなり重なって来るのだと思う。

いろんな人がいろんな表現で同じことを言っていて、でもその関連とかがあまり見えてなかったのだけど、絶対感を持つ、ということですべては貫かれる気がする。その前ではすべての相対的なものは色褪せて見える。

まあ絶対の境地とよく言うけど、今までそれがどういうことなのか分かってなかったなと思う。絶対の境地に立つと人は自分が全然やれてないことを素直に認められるし、ダメだなあと笑ってられるようになるし、身を捨てて戦えるようになるし、人のことを思いやれるようにもなる。物事をこうやればいいんだという落とし所というか、人間が人為で無理に落とすのではなく、自然にそこにぽこっとはまるような場所が見えるようになる。いままで無理をしてなんか滑稽なことになっていたのが笑い話になるようになる。

ルイスの伝記を読んでいると、この人は本当に不器用な人だなあと思ってすごく憐憫を覚えるとともに、自分の不器用さとすごく重なって共感を感じてでもなおかつすごく滑稽さを感じていたのだけど、自分にもあるそういう滑稽さを笑える感じが出てきて面白いなと思った。

自信を持て、なんていうのは便宜上のことなんだな、と思う。自信持って大丈夫だよ、という励ましも、客観的に見れば相対的にけっこういい位置にいるよ、というだけのことであって、まあそれを足がかりにして本物の自信、というかプライドをつかんでくれればいいのだけど、まあそこに至るまではLong and winding roadだろう。まあとにかく前向きになるための動機づけ、前向きになって行動するためのきっかけとして使えるということで、本質的には絶対感を持たなければ人生の芯が入らないのだなと思う。でも面白いな。結局みんな同じことを言っているんだ。

最近思うのだけど、私は何と言うか、ファンタジー脳だなと思う。頭の中がゆるふわ系なのだ。現実というものをすごく牢獄のように感じてしまうのだけど、その辺すごくルイスに似ていると思う。まあファンタジー脳ならファンタジー脳なりの生き方というものがあるわけで、最近ちょっとはそういうことが分かってきたんじゃないかなという気がする。

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