iPhoneで聴けるスピーカー/ドヌーヴとバーキン/男の子はスポイルされている?/岡本太郎『自分の中に毒を持て』感想(2)/昨日気づいたこと

Posted at 12/02/06

【iPhoneで聴けるスピーカー/ドヌーヴとバーキン/男の子はスポイルされている?】

iPhoneで聴けるスピーカーを買おうと思ってアリオ北砂のノジマ電機に行ったのだが、どうも欲しいのがない。iPhoneを使っているうちにその設計思想みたいなものにすごく共鳴する部分が大きくなって、そのスマートでクールなデザインにあったスピーカーが欲しいと思ったのに、あったのは日本のメーカーのキッチュで可愛い系のものばかりで、どうも買う気がしなかった。結局イトーヨーカ堂で昼食の買い物だけして帰る。キットヤマダ電機も似たようなものだろうなと思い(本当は違うかもしれないけど)、銀座のアップルストアに行ってみることにした。

どうも気持ち的に調子がいまいちで出かけるのが遅くなってしまったのだけど、4時ごろ出かけて銀座へ。まずアップルストアに行っていろいろ探してみる。前から思っていたのだけど、この店舗はどこに何があるのかいまひとつよくわからない。スピーカーは二階の奥にあった。いくつかあったのだけど、私のiPhone4は白なので、白のもので探したのだけど、スピーカーは結局ボーズとJBLだった。ボーズの方が音はいいだろうと思ったのだけど重くて一応平気で持って帰ることが出来るものとも思い、結局JBLのOnStationMicroIIIというのを買った。

JBL ONSTATION MICRO3 iPhone/iPod用スピーカー ホワイト ONSTATIONMICRO3WHTJ
JBL

使ってみた感想としては音はまあこんなもんだろうと思う。だいたい予想通り。アップルストアの方がamazonより値段が少し高かったな。でもなんというか、アップルストアで買い物をするというのは初体験だったのだけどなんだか面白かった。青いシャツ着たお姉さんにこれが欲しいといったらさくさくっとカード入れて画面にサインして名前とメアドを入力。領収書はPDFでメアドに送られるそうな。欲しいといってから5分もかからなかっただろう。こういうのは面白いなと思った。

さて用事は済んだから教文館で本でも漁るかと思っていたら友人からメールがあって横浜で会うことにした。だいぶいろいろ話したのだけど、店を三軒梯子、二軒目のつばめグリルで焼き牡蠣を食べたけど、なんだか久しぶりだった。そのあと有隣堂で本を見て、PerfectStyleシリーズのカトリーヌ・ドヌーヴを買った。

Catherine Deneuve―perfect style of Deneuve カトリーヌ・ドヌーヴ パーフェクトスタイルオブドヌーヴ (MARBLE BOOKS Love Fashionista)
マーブルトロン

このシリーズはジェーン・バーキンを持ってるので比べながら立ち読みしているうちに閉店になってしまい、何か惹かれるものがあったので買ってみたのだけど、買って正解だった。ジェーン・バーキンはかっこよくて、すごく好きなのだが、カトリーヌ・ドヌーヴはオーラが違う。ジェーン・バーキンはナチュラルにかっこいい感じなんだけど、ドヌーヴは体型的にとかいろいろ問題がある感じなのにそれをパーフェクトに仕上げているその感じが凄い。バーキンはまねできるけど(いや、感じですよ)ドヌーヴはちょっと無理だなと思う。出来ないことを冷徹にどんどん削除して、できることを増やして行ってあれだけのオーラを身につけたんだろうなと思う。バーキンってちょっと地上に立ち寄った天使っぽいところがあるんだけど、ドヌーヴは凄い「人間」というか、筋金が入っている感じがする。バーキンは真似したいとおもいつつそう何度も見直してはいないんだけどドヌーヴはつい熟読してしまう。面白いなと思う。

家に帰ってからスピーカーをセットしていろいろ聴いてみたが、YouTubeで検索してAKB48を何曲か聞いてみてなんだか感動してしまって、Wikipediaで「ヘビーローテーション」と検索してみたら、じつは写真家の蜷川実花がAKBの初期からの大ファンで、ヘビロテのPVやジャケット撮影を担当し、深く関わってるということを知ってそうだったのかと思った。なんだかそういうことを聞くと好きになることを許可された感じがしてしまうところが私なんだけど、誰がなんと言おうといいものはいいんだがやっぱりこの人も好きなんだ、と思ったほうが安心するんだなと思った。私の姪が小学5年生ですごくAKBが好きで、ああ、今の小学生には昔のピンクレディーみたいなものなんだなと思ったことがあった。でも曲にしてもいろいろな企画にしても、本当に老練に作られていて、70年代に始まったアイドル文化がいかに深く成熟しているかということを強く感じるのだが、これは受験文化の深まりと成熟によってものすごく懇切丁寧で分かりやすい参考書や勉強システムが作られているのと同じことで、もし自分たちの10代後半にこういうものがあったらものすごく勉強できたのにな、あるいは熱中しただろうなと思う一方、不便だからこそ燃えたという面、アイドルも芋っぽかったから熱中したという面もあるような気がした。

つまり今の若者はやっぱり甘やかされているというか、用意されすぎているというか、いろいろなことでスポイルされている面は凄くあるんじゃないかと思う。正直できすぎだよ、AKB48。いろいろ難のあるアイドルに敢えて没入して楽しむ醍醐味(?)みたいなものが軽くなってる。でも女の子たちにとっては凄くルールの分かりやすい戦いで、そこが吹奏楽部の猛特訓みたいなノリで泣いて笑って楽しいんじゃないかなと思う。恋愛禁止なんて凄い前時代的なルールだけど、敢えてそういう「ルールのあるゲーム」であることに意味があるんだよなと思う。AKBもファンの男の子の側からの論評は多いけど、ファンの女の子の側からの分析みたいなものもまた時代を映す鏡として面白いんじゃないかな。私の結論としては、男の子を甘やかして女の子を燃えさせるシステムだよなと基本思う。でもなんかいろいろなものが出てくるびっくり箱みたいな感じで面白い。

なんだかんだで横浜を出たのは11時を過ぎていて、帰り着いたのは12時を過ぎていたからそれからいろいろやったら寝たのは3時になってしまった。今朝起きたのは7時前だから4時間寝てないな。今日は帰郷してそのまま校正に入るからけっこうハードなんだけど。


【岡本太郎『自分の中に毒を持て』感想(2)】

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
岡本太郎
青春出版社

いろいろ書きたいことがあるのであれなんだが岡本太郎の感想も最後まで書いておきたい。「美を創造するものと、それを受けとめるもの、芸術を中心とする人間関係だが、極言すれば、ぼくは、相互は同じ運命にあると思う。」この考えが岡本太郎らしくて凄いと思う。見る者を決して安全地帯には置かない。「一人が走り始める。人間の運命の矛盾の重圧を背負い込んだまま、そして生きる。それに触れ、感動するものはその重いバトンを全身で受け継いで、リレーするのだ。そして、さらに遠く走っていかなければならない。今度は彼の責任において。だから受け止める側も、大変辛いのである。」まったくそうだよなあと思う。

「いやな感じには猛一つ理由がある。芸術に触れるとき、相手の高みにまで踏み込んでいかなければならないからだ。日常の小賢しい自分のままで、ぬくぬくと座ったまま、つかめるはずがない。感動するということは背伸びを強要されることだ。」まったくその通りだなと思う。背伸びを強要される、その感じが芸術に触れる醍醐味なのだが、「精一杯背伸びしても間に合わない」「その絶望的な距離」を自覚させられ、忸怩たる思いに陥る。「しかしその足掻きの中にこそ、今まで自分の知らなかった新しい自分が出現してくるのだ」うーん。「美しい感動。だが不気味だ。」うひゃあ。うん、だからそこでたじろぐのはいいのだが、そこであきらめてしまっては意味がない。その絶望的な距離をどう越えるかが新たな人生の目標になるような作品こそが芸術として存在する価値があるものなんだと思う。だから人によって、評価するべきものは違うということになる。

「ぼくはここで一つ提言したい。……今この世界に必要なことは、芸術・政治・経済の三権分立である。……司法・立法・行政の相互不可侵というような技術的システムではなく、まったく新しい三つのオートのミーを確立すべきだ。」もうこうなってくるとやられたとしか言うほかなく、真の独走状態に入っている。「芸術は爆発だ」というのが岡本の一番人口に膾炙した言葉だが、彼はこれについてこういう。「一般に爆発というとドカンと大きな音が響いて、モノが飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。だが私の言う爆発はまったく違う。音もしない。モノも飛び散らない。全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッと開くこと。(!!!!!)それが爆発だ。人生は本来、瞬間瞬間に無償、無目的に爆発し続けるべきだ。いのちの本来のあり方だ。」そうだったのかという感じ。もう岡本太郎に対する世俗的なイメージは粉々だ、。

「子どものころから私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かしがたい感覚を持っていた。それは誰にも冒させることの出来ない、絶対的な存在感なのだ。……思いつめ、息苦しさを紛らそうとして映画館に入ったこともある。今でもまざまざとその感覚が蘇ってくるが、暗い中でじいっと座席に身を沈めた。スクリーンに明滅するさまざまな映像。……胸を抑えて、自分のみのうち奥深いところに無言で燃えている炎だけを見据え、抱きしめた。あるとき、パッと目の前が開けた。……そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、守ろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、後は無。――爆発するんだ。自分を認めさせようとか、この社会の中で自分がどういう役割を果たせるんだ等とか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても無意味な袋小路に入ってしまう。今この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。」

この神聖な火と爆発のイメージ。

「芸術は呪術である」「呪術の目的的な役割だけが科学技術によって受け継がれ、拡大されている。もう一つの混沌と直結し、超越と対話する、人間存在の根源の神秘の力に通じる面は無価値のように顧みられない。それを今日生き返らせうるのは芸術であろう。」

これもその通りだと思う。目的に疎外された人間の生の全体性の回復。それは人間が職業だけに閉じ込められて社会システムの部品になってしまうことに反対する、という姿勢を明らかにしていて、もう本当に腑に落ちることばかりだ。

「ぼくが問題にしたいのは、人類全体が滅びるかという漠とした遠い想定よりも、いま現時点で人間の一人ひとりはいったい本当に生きているだろうかということだ。」これもまったくその通りだなあと思う。

なんというかうなずきすぎて、そうだなと思うことが多すぎてまだ自分の思考が十分ついていってないんだなと書いていて思った。なんだか感想というよりメモ的になってしまったのはそのせいだ。


【昨日気づいたこと】

時間もないし隣のエレベーターの工事の騒音がうるさい。昨日友人と話していて気がついたことなど少し書こうと思ったのだが、さすがに集中しないと書けないので、また機会があったら。朝起きたときモーニングページにはかなり延々と書いたので、内容的にはまた書けるだろう。ただいまより考えが進んでしまうと今感じている心の火のようなものはまた様相を変えているかもしれないなとは思うけど、まあそれはそう言うものだと思う。

やあそれにしてもうるさいな。ドリル音が直撃してるよ。

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