アップル前の花束/たよるものなんてない/呉智英『つぎはぎ仏教入門』:苦行・イメージの力・知識人と大衆・上から目線

Posted at 11/10/17

【アップル前の花束】

一昨日夜帰京。まっすぐ家に帰ったので10時前に家に着いた。美の巨人たちか何か見て、その後2時半ごろまで起きていた。なんだかんだと。カウントダウンTVとか見てたから。

昨日。BSジャパンでやってたシュジー・ソリドールの番組を見て、面白かった。一流の画家たち200人以上が描いた自分の肖像画の前で歌う女性、というのも文字面だけ見ると変な感じだが、すごく魅力的に見えた。関わってる人すべてがいい思い出として彼女のことを語っていたからだろうな。

お昼ごろでかけて銀座へ行き、アップルの前でジョブズにささげた花束の群れを見学。書店へ二軒ほど行ったが買いたいものがなく、何も買わず。東銀座まで歩いて岩手銀河プラザでお弁当を買って帰った。あと山葡萄の羊羹も。

【呉智英『つぎはぎ仏教入門』】

つぎはぎ仏教入門
呉智英
筑摩書房

帰ってきていろいろやっているうちに、ネットで呉智英の新著『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房、2011)が出ているのを知り、夕方大手町に出かけて丸善丸の内店で買った。夕食はどうしようかと思ったのだけどまだおなかが減ってなかったのでいろいろ考えて、結局東京駅構内の『大地を守る会』の売店へ行ってから揚げ弁当を買った。そういえばそうだったとあとで思ったのだけど、モバイルスイカは入場券としては使えなかったんだ。八重洲南口から出るときに引っかかって、結局有人改札で出場処理をしてもらった。八重洲口でユニクロを少しのぞいて日本橋まで歩いて帰った。

そのあと昨日はずっと『つぎはぎ仏教入門』を読んでいたのだけど、夜9時半には眠くなってしまい、そのまま寝た。起きたら2時過ぎで、それからしばらくモーニングページを書き、少しネットをして、それから続けて本を読んでいたけど、5時過ぎには眠くなったのでもう一度寝て、起きたら7時だった。それからご飯を食べてまたしばらく読んで、『つぎはぎ仏教入門』読了。

土曜日曜とブログを書いてなかったのでそろそろ書こうと思って書き始めたのだけど、どうもなんというかこうブログを書くときのノリのようなものがなかなか戻って来ず、ばたばたと時間が押してくる。原理的な思考と創作的な思考と、それからうまく名づけられないが『ブログ的な思考』のようなものとが実はあんまりマッチしていないからだろう。ここのところしばらく考えていたことにうまく方向性を与えられなくて、すごくくすぶってる感じがここ数日あったのだけど、『つぎはぎ仏教入門』を読んですごく方向性が整理された感じがした。


【たよるものなんてない/「一人でいてもさびしくない男になれ」】

もともと今朝は、2時半に目が覚めたとき、夢を見ていた。自分は中学生でもあり、今の自分でもある。話している相手はそのころの友達。友達といっても性質が合うからというより、避け得ない近隣の関係といったほうがいいか。本質的なところを突いてくる、ちょっと苦手な方向の人だった。でも彼のセンスのようなものには一目おいているところもあり、どちらかというと「こわい」感じのする友でもあった。

そういう彼に対しては、私も本音でしか話すことができない。裏も表も知ってるから、ごまかしがきかないのだ。ある意味すごく研ぎ澄まされた関係だったんだと思う。場所は今の職場だった。私は一階にいて空を見上げて寝転んでいて、彼は二回にいてやっぱり空を見上げて寝転んでいた。

会話は、もちろん夢の話ではあるけど、ちょっとここには書けない。でもなんというか心の底から本音を言っていて、分かられたという満足感があった。そこに去年まで私の職場によく来てた人が通りがかった。そのことの意味は分からないのだけど、「現在の自分」が心配になって「中学生の」私たちを見にきたのかもしれないと思った。

そのとき、深く心に思ったことがある。

たよるものなんてない。好きで生まれてきたわけじゃないし、好きで生きてるわけじゃないんだから。

それが私の原点だと思った。中二病的に思えると思うのだけど、自分について考えるときの実感的真実として一番正確に自分を言い当てているのはこの言葉だと思った。

たよるものなんてない。

そう、人間には頼るものなんてない。そんなことを中二のときに私はもう知っていた。ただ生きていく、生きるしかないから。何ができるわけでもない弱い自分でも、生きていくしかない。だから、何も出来ない弱い子どもで、不満があっても表に出せず、したいことも出来なかった中学生時代を、案外私は本当は嫌いではなかったんだと思った。

たよるものなんてない。それは暗さと裏表だけど、というか中学生時代の私は明らかに暗い子どもだったけど、暗さを乗り越えて獲得した真実だったんだなと思った。

その後、何も持っていなかった私は「勉強ができる」「学力がある」という事実を発見し、中三以降その「力」に引っ張られて生きていくようになった。しかし、その「力」に頼って生きていくことはある意味危険であるということはどこかで知っていたのだと思う。

まあ、正直いろいろな経緯があって、いろいろな力を発見し、いろいろな恵まれた「場」を経験したりもしたけど、本当はそんな「力」は頼るに足りないものだということを、本当は知っていたのだろう。

もともと人間にはたよるものなんてない。だから自由なんじゃないか。たよるものなんてない、ということは、言葉を変えて言えば人生は苦である、ということでもある。いろいろなものがたよれるぞーといって近づいてきては去っていく。たよるものなんてない、生まれてから死ぬまで、人は一人きりなんだ。

「やりたいこと」にたよって生きることだって出来ない。そんなたよることができるような「やりたいこと」なんてない。ほむらちゃんが「たった一つの道しるべ」というような、「やりたいこと」、たよれるようなやりたいことなんてない。でも生きてる。それは不思議なことで、今の言葉で言えば有るのが難しい、文字通りの意味で有り難いことなんだ。

あのころのその感じを、呉智英を読んでいて思い出した。呉智英の冴えてる評論というのは、最近はなかなかないけど、私にとってそういう自分の中二病的な自覚にすごくフィットするところがあるんだなと思った。

あの夢に出てきた友達の感じは、桜井章一の感じにも似ているし、たとえば野口晴哉とかの感じにも似ている。本質は同じなんだろうと思う。頭山満は、「一人でいてもさびしくない男になれ」と言ってたけど、つまりそういうことなんだと思う。何もなくても、何の力もなくても、生きることができる。生きる力と言うのはそういうもので、本来何ができないどんな無力な状態でも生きていける、そういう人間存在のあり方そのものなんだと思う。だからむしろ弱いときに、自分がまったく力を持たない存在であると認識しているときに、たとえば病の床や腰痛でまったく動けないようなときに、感じることができるものなんだと思う。学力や、腕力や、英語力や、地縁血縁、あらゆる外形的なすべての力は、本当は生きる力と無縁なのだ。それらは自分や誰かの生きる力が形を変えたものではあるのだけど、でもすでに自分の生きる力そのものとは別のものになっている。そしてそういう力にたよっているうちに、人は衰えてくる。生きる力そのものを使わないうちに生きる力そのものは痩せ衰え、硬直化し、みずみずしさを失っていく。そして何かを失ったとき、とてもさびしくなってしまうのだろう。

私がどこかふてぶてしさを持ってるとしたら、結局たよるものなんてないという無意識の自覚に由来してるんだなと思う。死ぬときゃ死ぬし、生きるときゃ生きる。それだけのことなんだ。

私の衒いというのはそれに対して、たよるものがあるんじゃないかとか、たよるものがなければだめなんじゃないかとか、少なくともそう思うべきなんじゃないかとか、何かそう思わされた部分にあるような気がする。でもそんなのばかげたことなんだって本当は知ってたし、だから何か信じたいものがある人とどこかが合わないのはそういうところなんだと思った。

世の中のいろいろなものって、おためごかしで優しそうな顔をして私にたよるといいよ、そうしたらこんないいことがあるんだ!と手を変え品を変え手品のようにステキな夢をみさせてくれるけど、何かそういうのにだまされてみようかなと思ったりして、でも全然本当はだまされることは出来なかった。だいぶ混乱はしたけど、結局全然譲れないものが自分にあったからなんだなと思う。

でもなんというか、たよるものなんてない、と思うと不思議に自由で生きる気持ちがもりもりわいてくるけど、逆に言えばそれは守られてるってことかもしれないな、とも思う。そのいのちが生きる場、わたしと言う現象が行われている場というものは、誰かあるいは何者かに用意された場所なんだろうと言うことで、つまりいのちが生きる場所を死ぬまでのあいだ確保されている、守られているといってもいい。その現象がどこから来てどこへ行くのか、それはわからないけど、たよるものなんかないということと守られているということは両立することなんだと思う。だからまあ、つのだじろう的にいえば、あの友達の出てきた夢は霊夢であって、あの夢の中の友達は私の守護霊なのかもしれないなと思う。何でもできるんだよと言うことを私に教えてくれたんだから。

ま、それはあくまでつのだじろう的な解釈であって、別にどう解釈したっていい。ただそんな風にいうと思いのほか分かりやすいこともあるんじゃないかなと思ってみたのだった。


【『つぎはぎ仏教入門』:苦行・イメージの力・知識人と大衆・上から目線】

と言うわけで呉智英『つぎはぎ仏教入門』読了。本当は読みかけで書いたほうがよかったなと思う部分もあるのだが、ちょっと一応全部読み終えてから書くのが読む人に親切かなと「いい人」的な考え方をしてしまってちょっとしくじったなと言う気もする。だいたい私は、創作とか執筆に関しては、「いい人のフリをして振舞ってみよう」とするとだいたい失敗する。やっぱり非常識であっても自分の思ったように行動しないとだめなんだなと思う。だいたい、「いい人」の書いた文章なんかあんまり読みたくないしな、と思う。

この本、全体的には呉智英ぶしで仏教概論的に書かれていて基本的には面白いと思う。まあ好き好きはあると思うが、確かに教義そのものを批判すると言うことは内部にいては出来ないことなので、意味がないことはないだろう。内容的にも大乗非仏説論(大乗経典は釈迦=ブッダの教説と関係なく成立している)とか、知ってるようで知られてないこと、私自身としても自分でそれなりに勉強してようやく気づいたり読んだりしたようなことが多く書かれているので、本当に私にとって新しいことというのはそうはたくさんはなかったが、逆にこういうことに対して一般にはこういう認識なんだろうなと言うことを確認できた感じがして面白いなと思うことはけっこうあった。特に前半部分のさまざまに仏教を解読していくところは相変わらずの腕前で、包丁捌きがなかなかいいと思う。でも後半部分になると具体的な提案になっていくのだけど、そりゃどうかなとか思うことも多かった。

まあだから自分として特になるほどと思った前半部を中心に新たに理解できたことをいくつか書くと、一つ目にして最大なのは上記の「この世は苦であり、だからこそ自由なんだ」という認識。目に見える何もかもたよるものなんかない。死が怖いからと言って何かにたよろうとするから苦が生まれる。たよろうとするのをやめたとき、人は解き放たれる、まあそんなことだろうか。いや、これはそういうふうに書いているというよりは自分なりの自分自身の理解がこの本の影響を受けてこう変わったと言うことなので、この本に関してはそういう触媒作用があったと言うにとどまるわけなのだけど。

二つ目は苦行に対する認識。私は苦行というものが理解できない、と言うかいったい何のために苦行なんてものをしているのか、苦しみに耐える精神力を養うのが目的なのか、それにしてはむちゃくちゃだなと思っていたのだけど、「苦行によって現世を克服した超越的存在となり、神通力や天眼力などの超能力も獲得できる」と彼はまとめていて、そうか、そういう「能力」がほしいからそのためにそういう苦行をしていたのかと目から鱗が落ちる思いだった。力がほしいから訓練する、すごく分かりやすい。そしてすごく俗っぽい考えなんだと言うことが分かった。何か神秘的に考えすぎてた。

釈迦が苦行を否定して禅定に入ったのは有名な話だけど、苦行と言うものが本来そういう目的ならば釈迦が否定するのは当たり前だと言うことがよくわかった。釈迦は苦しみから解脱を求めているのであって超能力を求めているわけではない。むしろ、超能力を求めるその気持ち自体が執着になってしまうわけだから、そんなものを肯定するはずがないのだ。そして、もう一つ思ったのは、苦行なりその種の修行によって尋常でない能力を獲得することは「ある」のだ、と言うことだ。いやそれも呉智英はそんなこと書いてない。私が読んで思っただけだ。釈迦にはある種の超能力があったと言われているが、それもある種の苦行で獲得したものなのではないかと言う気がする。野口晴哉も若い日にその種の修行をしたことがあり、もともとの資質はあるにしてもそれゆえにそういう能力を獲得したということはあるのではないかと思う。おそらくは孔子もそういう力があったのではないかとも思う。孔子が「怪力乱神を語らず」とか「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」とかいうこと、野口が超能力の修行を「つまらんこと」とにべもなく否定すること、あるいは釈迦が苦行やその種の力について否定することはある意味すべて共通していて、それ(苦行やその成果たる超能力)によって人が救われるわけではない、ということなのだと思う。超能力や怪力乱神がないといってるわけではないのだ。

まあよくはわからないけど、やはり人として尋常でない能力を持つと言うことは、人として尋常な何かが失われる可能性はあるんだと思う。野口整体でも視力を失いそうな子どもに操法するときに、「勘が発達してきているからまずそれを鈍らせる」ことをはかったと甲野善紀が書いていて、つまり目が見えない状態をすでに準備している身体に対してその準備をやめさせることで視力の回復を図ったという。そんなものなのだと思う。

まあ苦行により超能力を身につけるというのは言わば教習所にいって運転技術を身につけるのと変わらないわけだから、やったことがないから分からないけど、それなりにけっこう身についたりはするんじゃないかと思う。まあ教習所で免許を取れずに脱落する割合より超能力が身につかない人の割合は高いだろうとは思うけど。

三つ目は密教に対する認識。「密教の特徴は曼荼羅による世界象徴と真言による世界獲得である」と断言していて、なるほど、と思う。曼荼羅は世界を表象する、つまりイメージする、思い浮かべるための手段であって、つまりよく言われるような「イメージの力」、「思い浮かべることの持つ力」を掘り起こし、パワーを発揮させるための手段なのだ。これは芸術的な方法論として考えても非常に興味深い。また真言は聖なる言葉として外界や実体に力を持つ、つまり「言葉の力」を使うと言う方法論だ。つまり密教というのは実態として「イメージの力と言葉の力を使う技術」だと言うことができる。それは呪術だと呉は言うが、呉の言うように人の望みや願いの実現のために工夫されたという動機においては呪術も科学的な技術も同じだし、そのあいだに位置する芸術なんてものにおいてはましてやである。

まあそれに超人的な修行によって身につけた超人的な能力が加われば、多分想像を絶するような力を働かせることができたのだろうし、空海などは実際そういうことがあったのではないかと思う。まあいろいろな意味で空海は本当に超人的なのだけど。

最後になるほどと思ったのは、小乗と大乗の起源。釈迦が菩提樹の下で覚りを開いたとき、このしんりはほかの人に語っても理解されないだろうと思い、自分の胸に秘めておこうとした。確かに「この世の一切は苦である」「それから逃れるためには生への執着を捨てなければならない」なんて真理が大衆にそんなに人気を持つとは思えない。秋元康にプロデュースさせても難しいだろう。しかしそこに梵天が現れ、衆生のために法を説くことを勧請する。釈迦はそこで衆生のための慈悲を自覚し、法を説くことを決意する。まあこれは梵天勧請として有名な説話で、手塚治虫の『ブッダ』にも出てくるけれども、呉はそれこそが小乗と大乗の起源を説明しているというのだ。

つまり、この真理は大衆に伝える、つまり啓蒙することは不可能だと考え、それができる修行僧のための方法論、つまり小乗こそが釈迦の「本心」から生まれた流れであり、梵天の勧請を受けて慈悲の心を持って大衆を強化するという釈迦の「決断」から生まれた流れこそが大乗である、というわけだ。これはなかなか面白い考えだと思う。呉はここに「知識人と大衆」の関係を見ているわけで、これは人類史上繰り返されてきた大きな問題だというわけだ。「知恵による覚り」が本質の仏教が今のような多種多様な発展を遂げたのはその問題の故だといわれればその通りだと思うし、それはゲルマン人の教科に聖像を使用したローマカトリックの問題でもある。釈迦自身が「人を見て法を説け」と言っているように、基本的に釈迦は大衆を信用していない。大衆を教化しようとしたのは彼の「決意」であり「慈悲」の故なのだ。この辺のところも正直言って納得できるところは多いし、むしろこういうふうに整理されると肩の荷が下りるところもたくさんある。

まあ関係ないといえばないのだけど、呉は最近の流行語で一番嫌いなのが「上から目線」と言う言葉だそうで、「上から目線だと言えばそれで何かを批判できたと思う怠惰な精神が醜悪なのである。上に立つ者が上から目線であるのは当然ではないか。それのどこがいけないのだろう。社会全体の平準化圧力に同調していることを批判精神と勘違いした用地で甘えた連中の口にする言葉である。こんなものが批判の言葉として成り立つのは文明の衰弱以外の何者でもない。」相変わらず胸のすく啖呵である。慈悲や憐れみと言う言葉が忌避され、「弱者の権利」と言う言葉がもてはやされるのは権利と言う言葉が法律とか政治、国家に換言できる言葉だからであり、知らず知らずのうちに国家から演繹される言葉に縛られてしまっているからだ、という指摘は的確だなと思うのだった。

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